44回を迎える「藤沢野焼祭」に今年も参加した。これに参加しないと夏は終わらない。しかし、例年ほど熱くなれなかったのは、比較的涼しかった天候のせいばかりではない。いつもの窯焚き仙台チームのメンバーである、かつての勤務先の上司であるW氏や、毎回洒脱で奇想天外な作品を出してみんなを驚かせる90歳(たぶん)のK氏が、体の不調ゆえに参加しなかったのが大きかった。しかし、W氏から預かった作品は慎重に窯に入れた。そこで翌朝5時過ぎにはいそいそと起き出して、鎮火した窯へ、作品取り出しに向かった。
そこにはすでに窯から取り出した作品を眺めているH氏がいた。H氏は毎年縄文土器のレプリカを作り続けている。その力あふれる作品を見て並みの情熱ではないなあ、と思っていた。しばし、その彼と話す機会を得た。彼は各地に赴いて実にたくさんの縄文の出土物を見ている。火焔街道と言われる信濃川流域の出土地域では、見事な火焔土器に触れさせてもらった体験を嬉しそうに語る。こうした実物を見て触った感覚的体験と、本業である電子部品の技術開発に基づく、綿密な分析設計能力がミックスされ、作品制作にフルに生かされている。
目の前に置かれた今年の作品は、群馬のもので、インターネットを通して出土物の情報や写真を入手し、図面を書いて再現した。この文様は踊る人だと言われているが、彼は実際に作って見て、そうではない、これは女性の顔だと直観したという。女性器も埋め込まれているから、豊穣への呪術的な祈りと関わりがあることも想像される。彼の話では、文様とその呪術的な意味合いは小集団ごとに違い、相互に秘匿されているのだという。くびれ部分に付いた取っ手が、装飾と思っていたら、上部を支える構造的な役割を担っていることを知ったという。情念的な観点からのみ見られがちな縄文土器と言えど、その形は合理的な思考によって制御されいると知るのは、製作して見て初めて分かることだろう。
一次資料となる文献がないことをいいことに、出土物や遺跡跡などから想像をたくましくて作り上げた様々な人の知見を読み込んで、縄文像を作り上げることには、どこか胡散臭さを感じていた。しかし、彼の話を聞いているうちに、縄文探求のために実際に作って見て、プリミティブなやり方で火にいれてみるというのは、結構悪くない方法だなあと思い始めていた。なぜなら縄文人であれ現代人であれ、同じ感覚と思考機能を持った共通の人間である。その連続性の上に、制作し火と相対するうちに古層と呼ばれる深いところに眠っていたものが蘇ってくることはあり得ないことではない。
もう一人、窯出しの場にいた作家のお名前をあげておこう。児玉智江さんは、祭りの初期の頃から参加し、大賞、池田満寿夫賞を始め何度も賞を取っている常連アーチスト&詩人。(だから、実名を上げても許していただけるだろう。)幾分これまでのものより小さくなったが、彼女ならではのスタイルのトルソを今年は無事に焼き上げた。今はお一人だがかつては車椅子に乗ったご主人と毎年のように来ていた。ご健在で、精力的に制作を続けておられるのがとにかく嬉しく、駆け寄って握手をした。一方では、年々、好きな人がやってよとばかりに、メインの野焼きはそっちのけで、しつらえた舞台で次々繰り広げられるエンタテーメントを、スマホ片手につっ立って見るだけの人たちが増えてるように感じる。これは今形を変えてどこでも見られる光景だと思うが、彼女のような(最大の実質的功労者の陶芸家の本間伸一氏はもちろん)本当に野焼祭の精神を担っている人たちを大事にしてほしいと、心から思う。
もっとも里帰りの若い人は、とにかく都会でのストレス多い仕事にクタクタで、昨今は一段と余裕がなくなっているのだろうなあ、と想像する。私のような作家でない凡庸の人も、燃え盛る炎を掻い潜り、汗みどろになって薪をくべるだけで、うちにある本能や命のほとばしりを感じる、本当の意味で贅沢な経験ができる、いいチャンスなのに、残念だ。
(写真右はH氏の作品、本物の上端の飾りはもっと大きい。しかし、支えきれず一回り小さくなった。左はH氏が私淑する大木義則氏ー実験考古学的活動を中心に縄文文化の謎を探求する縄文文化研究会の主催者ーの思いがたっぷりこもったディープで存在感ある作品である。)
そこにはすでに窯から取り出した作品を眺めているH氏がいた。H氏は毎年縄文土器のレプリカを作り続けている。その力あふれる作品を見て並みの情熱ではないなあ、と思っていた。しばし、その彼と話す機会を得た。彼は各地に赴いて実にたくさんの縄文の出土物を見ている。火焔街道と言われる信濃川流域の出土地域では、見事な火焔土器に触れさせてもらった体験を嬉しそうに語る。こうした実物を見て触った感覚的体験と、本業である電子部品の技術開発に基づく、綿密な分析設計能力がミックスされ、作品制作にフルに生かされている。
目の前に置かれた今年の作品は、群馬のもので、インターネットを通して出土物の情報や写真を入手し、図面を書いて再現した。この文様は踊る人だと言われているが、彼は実際に作って見て、そうではない、これは女性の顔だと直観したという。女性器も埋め込まれているから、豊穣への呪術的な祈りと関わりがあることも想像される。彼の話では、文様とその呪術的な意味合いは小集団ごとに違い、相互に秘匿されているのだという。くびれ部分に付いた取っ手が、装飾と思っていたら、上部を支える構造的な役割を担っていることを知ったという。情念的な観点からのみ見られがちな縄文土器と言えど、その形は合理的な思考によって制御されいると知るのは、製作して見て初めて分かることだろう。
一次資料となる文献がないことをいいことに、出土物や遺跡跡などから想像をたくましくて作り上げた様々な人の知見を読み込んで、縄文像を作り上げることには、どこか胡散臭さを感じていた。しかし、彼の話を聞いているうちに、縄文探求のために実際に作って見て、プリミティブなやり方で火にいれてみるというのは、結構悪くない方法だなあと思い始めていた。なぜなら縄文人であれ現代人であれ、同じ感覚と思考機能を持った共通の人間である。その連続性の上に、制作し火と相対するうちに古層と呼ばれる深いところに眠っていたものが蘇ってくることはあり得ないことではない。
もう一人、窯出しの場にいた作家のお名前をあげておこう。児玉智江さんは、祭りの初期の頃から参加し、大賞、池田満寿夫賞を始め何度も賞を取っている常連アーチスト&詩人。(だから、実名を上げても許していただけるだろう。)幾分これまでのものより小さくなったが、彼女ならではのスタイルのトルソを今年は無事に焼き上げた。今はお一人だがかつては車椅子に乗ったご主人と毎年のように来ていた。ご健在で、精力的に制作を続けておられるのがとにかく嬉しく、駆け寄って握手をした。一方では、年々、好きな人がやってよとばかりに、メインの野焼きはそっちのけで、しつらえた舞台で次々繰り広げられるエンタテーメントを、スマホ片手につっ立って見るだけの人たちが増えてるように感じる。これは今形を変えてどこでも見られる光景だと思うが、彼女のような(最大の実質的功労者の陶芸家の本間伸一氏はもちろん)本当に野焼祭の精神を担っている人たちを大事にしてほしいと、心から思う。
もっとも里帰りの若い人は、とにかく都会でのストレス多い仕事にクタクタで、昨今は一段と余裕がなくなっているのだろうなあ、と想像する。私のような作家でない凡庸の人も、燃え盛る炎を掻い潜り、汗みどろになって薪をくべるだけで、うちにある本能や命のほとばしりを感じる、本当の意味で贅沢な経験ができる、いいチャンスなのに、残念だ。
(写真右はH氏の作品、本物の上端の飾りはもっと大きい。しかし、支えきれず一回り小さくなった。左はH氏が私淑する大木義則氏ー実験考古学的活動を中心に縄文文化の謎を探求する縄文文化研究会の主催者ーの思いがたっぷりこもったディープで存在感ある作品である。)