昨年度は会場の駐車場が土砂に埋まり中止を余儀なくされた「とうほく陶芸家展」を再開することとなった。会場で配るパンフレットの冒頭にこの展示会の目的を述べたので、以下に再録しておこう。
4回目の展示会となりますが、震災からの復興支援の意味合いが強くあったこれまでとは開催の意味が微妙に違って来ています。端的に言えば、東北らしい陶芸の姿をどう残していくか、という点にウェイトを置いた展示会にこれまで以上にしていきたいと思います。マーケッテイングをベースに使い手のニーズに基づき頭でデザインするという一見スマートなやり方からは、同じようなテクスチャやかたちのものしか生まれないというのは巷に見るところです。そういう中で、東北の陶芸を他と差別化していくには、これまで受け継がれてきた伝統、東北の風土が育てた感性という2つのものを自覚的に出していく必要があるでしょう。その意味で、長い歴史を経て風土の感性を染み込ませ、多様な試みの集積を財産として持っている伝統窯と、東北の地でリアルタイムで使い手の反応を見ながら個性を磨いている個人窯が交流する場としての存在意義は大きいと思います。生活環境の東京化=ステレオタイプ化の中で、暮らしの変化にあるところでは合わせつつも、時代に流されず、「東北の魂、心はここにあり」といういのちあふれる器の魅力を、新鮮なものとして若い世代にもアピールしていければと願っています。
今回は会場のスペースの都合もあって、参加の窯は20窯に絞った。なかでも第1回以来ずっとご参加いただいていた相馬駒焼が今回は見られない。残念だが故15代の作品で買い求めやすいものは残り少なくなって貴重品ばかりとなった現状で、故15代の奥様に神経を使う出品を依頼するのは憚れた。
相馬駒焼の元禄の初期形態を残す窯については、県の文化財課の尽力で窯の保存処置がなされることが決まった由を前に書いたが、その結果窯を囲む立派な鞘堂ができた。ただし、あまり立派過ぎて、煙が内部に滞留してしまい、これで昔のように窯を焚くのは難しくなった。奥様の話では来年春には一般公開されるという。
かくして震災前まで稼働していた東北最古の相馬駒焼は文化財になってしまった。あとは窯のまわりに散らばっていた古い窯焚きの道具まで含めて、研究者や陶芸家の視点を入れた適切な保存を望むのみだ。
古い窯は使えなくても、いつか相馬駒焼に後継者が現れ再興される日が来ることを祈りたいが、その時はもはやかつての趣は再現できないかもしれない。大きな障害は土の問題。かつて代々陶土を採集してた場所は除染が進んでいない。それを見透かすかのように、太陽光発電の業者が土地使用を願い出てきたがそれは断った由、奥様から伺ったが、ここの土を使えないとしたら相馬駒焼を名乗ることができるか疑問だ。東北の伝統窯はいずれもその土地土地の土を使ってこそ意味があるからだ。この土の特性に縛られる中で他にないユニークな造形がなりたっていたからだ。これは今他地域から仕入れた土でかろうじてなりたっている大堀相馬焼が抱える問題でもある。再興の手助けは出来ないが、せめてその貴重な歴史を事実に即して残し、一般に知らしめる役割は微力ながらこれからも果たしていきたいと思う。
4回目の展示会となりますが、震災からの復興支援の意味合いが強くあったこれまでとは開催の意味が微妙に違って来ています。端的に言えば、東北らしい陶芸の姿をどう残していくか、という点にウェイトを置いた展示会にこれまで以上にしていきたいと思います。マーケッテイングをベースに使い手のニーズに基づき頭でデザインするという一見スマートなやり方からは、同じようなテクスチャやかたちのものしか生まれないというのは巷に見るところです。そういう中で、東北の陶芸を他と差別化していくには、これまで受け継がれてきた伝統、東北の風土が育てた感性という2つのものを自覚的に出していく必要があるでしょう。その意味で、長い歴史を経て風土の感性を染み込ませ、多様な試みの集積を財産として持っている伝統窯と、東北の地でリアルタイムで使い手の反応を見ながら個性を磨いている個人窯が交流する場としての存在意義は大きいと思います。生活環境の東京化=ステレオタイプ化の中で、暮らしの変化にあるところでは合わせつつも、時代に流されず、「東北の魂、心はここにあり」といういのちあふれる器の魅力を、新鮮なものとして若い世代にもアピールしていければと願っています。
今回は会場のスペースの都合もあって、参加の窯は20窯に絞った。なかでも第1回以来ずっとご参加いただいていた相馬駒焼が今回は見られない。残念だが故15代の作品で買い求めやすいものは残り少なくなって貴重品ばかりとなった現状で、故15代の奥様に神経を使う出品を依頼するのは憚れた。
相馬駒焼の元禄の初期形態を残す窯については、県の文化財課の尽力で窯の保存処置がなされることが決まった由を前に書いたが、その結果窯を囲む立派な鞘堂ができた。ただし、あまり立派過ぎて、煙が内部に滞留してしまい、これで昔のように窯を焚くのは難しくなった。奥様の話では来年春には一般公開されるという。
かくして震災前まで稼働していた東北最古の相馬駒焼は文化財になってしまった。あとは窯のまわりに散らばっていた古い窯焚きの道具まで含めて、研究者や陶芸家の視点を入れた適切な保存を望むのみだ。
古い窯は使えなくても、いつか相馬駒焼に後継者が現れ再興される日が来ることを祈りたいが、その時はもはやかつての趣は再現できないかもしれない。大きな障害は土の問題。かつて代々陶土を採集してた場所は除染が進んでいない。それを見透かすかのように、太陽光発電の業者が土地使用を願い出てきたがそれは断った由、奥様から伺ったが、ここの土を使えないとしたら相馬駒焼を名乗ることができるか疑問だ。東北の伝統窯はいずれもその土地土地の土を使ってこそ意味があるからだ。この土の特性に縛られる中で他にないユニークな造形がなりたっていたからだ。これは今他地域から仕入れた土でかろうじてなりたっている大堀相馬焼が抱える問題でもある。再興の手助けは出来ないが、せめてその貴重な歴史を事実に即して残し、一般に知らしめる役割は微力ながらこれからも果たしていきたいと思う。