美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

ゴッホ展 宮城県美術館 5/26~7/15 

2013-06-17 21:19:05 | レビュー/感想
この展覧会の企画意図は、ゴッホの空白のパリ時代を美術史的に価値づけることにあるようだ。ただ、そのことを新たな発見を通して強調しても、やはりパリ時代の作品はボルテージが低いなと感じたのはわたしだけであろうか。田舎では一番と言われていた画家が、大都会に出て来てそこで活躍する新進画家たちと交わる中で、「自分が遅れている」と感じ、懸命にトレンドの絵を真似て描くうちに本来持っていた生命感を喪失して、二流の作家として終わるというのは、今でもよくある話だ。

確かに構図やタッチの面で面白い絵はあるが、心をわしづかみにするような迫力を持った絵はない。「サンピエール広場」のあの脱力感は何だろう。「アブサンとグラス」からは群小のアーティストたちを巻き込んだ蒼白の世紀末の魂が見て取れる。多くの芸術家がアルコール度数70%前後というこの悪魔の酒で身を持ち崩した。ここには絶望の象徴のようなこの酒を空しい気持ちで見ている、醒めたゴッホがいる。この展示会の一番の目玉である自画像とてそうである。補色を丁寧に重ねた細部が調和の取れた全体を構成する。天才だけが持ち得る力量がここには如実に表れている。しかし、かってオルセー美術館で見たアルル時代に描いた自画像のあの魂に突き刺さるような迫力はここにはない。

スーラやロートレック風の画風なら完全に自分の物に出来る能力を持っている。この力量を持ってしたら、彼はパリで流行のアバンギャルドの一員にやすやすとなって、やがてパリ画壇でそれなりの地位を築けたであろう。だが、そうしなかった(できなかった)ところに、ゴッホという存在の核心がある。その意味でゴッホにとってのパリ時代は、オランダ時代とアルル時代に挟まれた習作の時代以上であるようには思えない。問題は画家の魂のど真ん中にあるものは何かということだ。そこに踏み込まずに、先行作品や同時代作品との比較研究だけで結論を出そうとすると浅はかなことになる。

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