美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

野中光正展2016/2・3~12 (ギャラリーアビアント)から野中語録

2016-01-21 10:35:56 | 私が作家・芸術家・芸人
野中光正さんは、浅草の画家であり版画家であり、毎年展示会をお願いしている作家さんだが、実は色彩とかたちで音楽を演奏されている方と言った方が良い気がする。すばらしい音楽を演奏するために、彼は持って生まれた才能はさることながら(20歳の時描いた風景スケッチを見ただけで、ずば抜けた才能の片鱗が見えてこの人は特別な人だなと思う)、40年以上の長い間、日々日記のように欠かさず作品を描いて、一人で何種類もの楽器(筆、色、和紙、キャンバス、版木、馬楝など)を感性が導くままに自在にこなせるまでに技量を磨いてきた。その総決算として、最近の作品には誰にも真似のできないようなすばらしいオーケストレーション(主としてクラシックの)の響きが聞かれる。
自分に与えられているものに正直な方でその自然なまっすぐさが作品にも出ている。これは受けそうだから、流行りだろうから、取り入れてやろうなんて小賢しくいやらしい計算が微塵もない。もっともそんなことをしたら、すぐ演奏に出てしまい人を感動させるようないい音楽は奏でられない。これが人の魂を表現の核に置いた抽象というジャンルの正直なところだ。
ときどきハガキをお送りいただけるがそこに書かれた言葉にはいつも心動かされる。最近届いた本所吾妻橋のギャラリーアビアントでの展覧会の案内状。そこにも作品(1980年代の旧作。線のいろんなタッチがあって面白い。上方の山のように見えるのは意図してやったわけではないが、マックスエルンストのフロッタージュのようになりましたとは本人の弁)とともに自筆の言葉が添えられていた。「描くことが生きること」である画家の言葉を、味わいのある文字といっしょに紹介したい。


「今あるところからはじめる」佐立るり子展 1/26~31 SARP

2016-01-19 15:01:31 | レビュー/感想
1月になって今年初めての雪が降った。白っぽく乾いていた路上が舞い落ちてくる雪片で見る間に見えなくなった。佐立るり子さんからいただいていた展示会の案内カードを引き出してみる。雪が降り積む様を見ていると、何度読んでも分からなかったカードの文章の意味がなんとなく分かるような気がしてきた。

彼女の今回の作品は支持体の上に「色」を次々乗せていくことで出来上がっていく。色の素材は様々だがふだんわれわれが目に触れるものだ。陶器のかけら、ボタンなど落ちていたものの色、炭とロウの色、糸の色。そして画家の日常の身近なところにある油絵のために作り出された油絵の具という色。「それを積み重ねることによって浮かび上がって来る過程」と彼女は書くのみで、「完成ではない」と補足する。なぜならすでに「全部が備わっている」からという。

われわれは自分の肉体も含めて自然の中に生きている。多様な色とかたちの中、しかもそれらが変化し続ける中に生きている。それだけで十分大変な事実で、素晴らしく感動的なことのはずなのだが。しかし、知恵の実を食べてしまい楽園を追い出されたわれわれには、このリアルな現実をそのまま喜んで受け入れがたいようだ。実は何々なんだと、囁き続ける声に促されて、次々ずれた思考を続けていると、自分にも他人にも喜びを与えるものはできなくなる。

とりわけ多くの画家がベースとしている近代以降の芸術の歴史は、リアルから離れたバーチャル世界を作っていくための技術や理論の集積であり、宗教やイデオロギーがそれと密接な関係を持ってきた。それはそれで時代時代の様式を形作って十分魅力的な文化の華を開かせてきた面もあるのだか、行き着く先、個人にすべて収斂する現代では、その膨大なカテゴリーは飽和状態で、新たなカテゴリーをつくるのはほとんど難しい状態になっている。一方で、そうした隙間を狙ったマーケティングはますます盛んで、その中で盗用という問題も起こる。

日本が閉じていた時代には「洋行」帰りや外国の受け売りが芸術稼業を成り立たせるために幅を利かせたが、今はインターネットを通してグローバル世界に簡単につながってしまうから、すぐに真似をしてもネタが割れてしまう。かって大学や高等教育機関だけが独占していた情報の非対称も実はもはや存在しない。だから、それらがあるかのように見せ続けるために、宗教的なアプローチ、ブランディングが盛んなのも納得出来るというものだ。

では、どこからスタートを切ればいいのだろう。ほんとうにオリジナルなものを創るには、われわれが生きているこの場所から始めなければならない。佐立さんもおそらくそのことを考えているのだろう。彼女のこれまでの作品も、何かをつくるのでなく、降り落ちていく雪のように自然が形づくる何かに極めて近い営為を求めてきた、そこから出てきたものではないかと思う。何だかわからないけど彼女の作品を初めて見た瞬間にすっと心に入って来る感じがしたのはこのためであろう。

陶芸家はこのことを一に土、二に焼き、三に細工という言葉で表している。造形というのは土がなりたいものをつくることだと言った陶芸家もいた。 そういう器は生活で使える(=仕える)。画家も、今の閉塞感を打破するには謙虚な探求者の心を持って素材という名で自分が描くことに従属させている自然から始める必要があるが、そのためには今持っている嘘(生活に深く結びついているかもしれない)を捨てなければならないとなると、そう簡単ではない。また、それをし続けるのには、われわれの脳内で作られたものではない自然に常に感動している、心がなければならない。佐立さんは郊外で農業をしていると聞いたが、コンクリートとプラステイックで作られ、緑の自然も箱庭のようになっている都会であっても、光があり、色があり、自然はそういう意味で完全に脳化できない。

この正月は陶芸家が持ってきた地鶏を堪能した。スーパーで買ったものと違い、スープがたっぷり出て、3日間楽しんだ。天然昆布だけで調味料も必要がない。絵もこのようなものであったらと思う。今年も少数のそうした道を本能を通して自然に選択している画家や陶芸家とつきあっていきたい。感心するものより感動するものにより多く出会いたい。今回は新年の抱負のようなオチになってしまった。

ブログ主の運営するギャラリーshopはこちらです



きのうボウイが死んだー「ラザロよ、出てきなさい」

2016-01-12 17:57:43 | 私が作家・芸術家・芸人
デビッド・ボウイは初めからクールだった。これはかっこいいという意味ではなく、冷めているという意味でのクール。良しにつけ悪しきにつけ世界を変えてきた若者の狂熱が現実の前に急速に衰えていく時代 、内向的厭世的な気分に鋭敏に反応してボウイが演じた、ジギー・スターダストという架空の宇宙ヒーローは時代の空白を見事に埋めた。若い私も演劇的な世界だと思いつつ、その極めて新鮮な音と哲学的な隠喩に満ちた詩の世界に当時はすっかりハマってしまった口だった。ファンタジーでも信じない限り、生きていくことができない空虚な時代だった。

しかし、歌の別れというようなカッコいいことでもなく、それまでのめり込んでいた感覚の世界にさよならしてでも生きて行くのに必死だった80年代、90年代の、騒々しくて嘘っぽい時代でも、ボウイはレコードを出し続け、レッツダンスのようなライトな曲をヒットさせ、結構時代を巧みに泳いでいた印象だった。70年代の初めにボウイを教えてくれた友人は、素の魂の奥底を作品に表現しているルー・リードは本物だけど、ボウイはルーのモノマネをしている作為的な商売人だからというようなことを言っていた。このとき、そのことが改めて納得できるように思え、それ以後ボウイの曲は一切聞かなくなった。これに関連して、BBCの記事に載ったボウイの言葉に、当時、芸術系の若者たちに圧倒的な影響力を持っていたアンディ・ウォルホールやルー・リードから英国のミュージック&アートを守った唯一の橋頭堡であった、というような言葉もあって、そうか当時ボウイはそういう立ち位置だったのかと、興味深かった。(大掛かりな舞台をニューヨークなどで打つなどした後、大赤字状態であったとの記事もあった。)

しかし、ルー・リードも少し早すぎた死ではあったが、お茶の間テレビに出るような晩年は改心した懐メロスターのように一般社会に受け入れられ人生をそれなりに完うしたようだった。上記の友人が教えてくれた、ほとんどが20世紀を見ることなく消えてしまった、90'sと呼ばれるイギリスのマイナーポエットたちのように、決して情緒に溺れて破滅していく弱々しい魂の持ち主ではなかった。もっとも、現代の巨大な音楽産業がそれを許さなかったのだと思う。実は大衆の中の一人という自覚を持ちながら(街で隣にいても誰も気づかないくらい目立たない人物だったと、ニューヨークの友人の一人はいう)様々なヒーローキャラクターを演じたボウイと違って、彼はオンリーワンの強烈な個性を持ったルー・リードだけを生きていたのだ。ファンタジー作家と私小説作家では資質が違うんだから、単純に比較はできまい。

さて、ボウイ死去の報が入って、実に40年ぶりぐらいにボウイの曲を聴いた。死の前の週にリリースしたシングルカットLAZARUS(新約聖書ラザロの復活から)のPV。この闊達に動かなくなった体だからこそできる最後のミニマムダンス。ボウイの最後のユーモア。自分が今目前にしている死をさえ客観視できるこのクールさが、ずっとユニークなプレゼンテーションで変身を遂げつつ、時代の波を乗り切って生き残ってきた理由だったのだろう。少しばかりドラマテックな死を遂げたミシマのことを思い出した。しかし、恐ろしく孤独で絶望的な感情に支配されていたミシマと違い、「ここを見て、天国にいるよ」と私たちにメッセージを残し、愛する家族に看取られて亡くなったボウイの方がずっと希望がある、と思う。

ラザロのように目に包帯を巻きつけて臨終の床にあるボウイが、最後のシーン、さよならをするように自ら扉を閉めて衣装ダンス(棺桶)の中に消えていく。確かに“he's got drama, can't be stolen ”.ジギースターダストは自分の死さえ、痛切な、しかし誰にも真似のできないドラマに仕立てあげた。一緒に幕引きのプランを練った終生のプロデューサー、トニー・ヴィスコンティの力もあると思うが、美事な幕引きだ。かくて誰もが‥everybody knows him now‥確かに、自分の死を持ってアートとエンタテーメントを統合した本物の芸術家として、歌に予言した通りの結果が。ニュースは最後のアルバムBlack Starがボウイのレコードとしては初めてアメリカのアルバムチャートのNO.1になったことを伝える。

しかし、それだけだろうか。

Ground Control to Major Tom
Your circuit's dead, there's something wrong
Can you hear me, Major Tom?
Ground Control to Major Tom
Your circuit's dead, there's something wrong
Can you hear me, Major Tom?

初期のヒットアルバム Space Oddityで、地球帰還を自ら拒んだ宇宙飛行士の行き着く先は?最後のアルバムBlack Starではその結末を見せてくれた。漂い着いた死の惑星でドクロと化した宇宙飛行士。そこにも何もなかったのだ。一方、 Look up here. Im in heaven という短い最後のメッセージは、ファンタジーではなく、ボウイが死を前に垣間見た、誰もが理解できずにいるがわれわれすべてが、「今、ここに」持っている究極のリアリティーを指しているのかもしれない。
http://www.independent.co.uk/・・・/david-bowie-dead・・・

ブログ主の運営するギャラリーshopはこちらです