美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

「アマデウス」

2011-01-30 08:55:49 | 日記
サリエリ(Antonio Salieri)という凡庸な作曲家の目を通して晩年のモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の姿を描いた映画「アマデウス」は、映画としてはいかにも派手派手しいハリウッド映画で、スペクタクルなオペラのシーンなど楽しめるところはあるものの、人物造形は(とりわけモーツァルトのキャスティングにおいて)騒々しく薄っぺらな仕上がりとも言えなくなかったが、映画の下敷きとなっているテーマは興味深いものだった。

端的に言えば最高の藝術は努力だけでは生まれないということである。そこには天与のセンスが関わっているということだ。これは「信仰によって義とされる」というルターの命題とも響き合う。基本的に藝術も信仰も選びと選ばれた者にだけ与えられる啓示の問題(芸術ではインスピレーション)となる。しかし、選ばれなかったと知った者には残酷だ。サリエリの狂気はここから生じる。なぜ神はあの下品な小男ではなく、身を慎み真摯に藝術に身を捧げている私を選ばなかったのか、という強烈なルサンチマンがついには神に愛された芸術家モーツァルトを死へ追いやり、同時にサリエリは自らにも狂気という名の破滅を呼び寄せてしまう。

しかし、現実にはこんなドラマチックな結果とはならなかった。現実のサリエリは、技巧だけで魂のない作品を量産しながらも、宮廷のアカデミックな仕組みに守られて、当時の世の名声も勝ち得、外見には行き倒れとともに葬られたモーツァルトと違い幸せな一生を終えたようだ。

真の藝術は天与のセンスからのみ生まれる、という立場からすれば芸術には教育という制度は無意味ということになるが、鈍感か、したたかなのかどちらなのか分からないが、今の時代には、星の数ほどのサリエリがいて、教育家であり芸術家であるという職業ジャンル、あるいは芸術界(?)を支えている。芸術を支える「宗教」的なしくみ(イエスが否定した)にたくさんの先生&芸術家が、サリエリほど真っ正面から自分の凡庸さを思い詰めることもなく、それぞれに確立したスタイルをくりかえし消費しながら一家を構えているのが現代の有り様だ。

ところで実際のサリエリは、困窮する音楽家やその遺族への支援を惜しまない人でもあったようである。こうした見る目を持った慈善家サリエリが少しでも増えたなら、本当のところ現代の埋もれたモーツァルトもどんなにか幸せだろう。

謹賀新年

2011-01-03 17:38:33 | 日記
あけましておめでとうございます。

今年の年賀状は昨年展示会をさせていただいた染付の陶芸家、岩田ゆりさんに、干支にちなんで兎の絵を描いてもらいデザインした。上の雲の図柄は、狩野派の屏風絵の図柄から取った。この不思議なかたちの雲をイラストレーターで心地よくなぞりつつ、今年も本能の赴くままに作品を作っている作家さんに出会いたい、と思った。