ヨーロッパの農村部、山岳地帯など僻遠の地も含めて、中世あるいはもっと古い時代にオリジンを持つ歴史的集落が無数にあるが、それらはたいてい石造りでかろうじて外形を保っていても誰も住むものがなくなって石の廃墟に変わりつつある。Kirstenは、それら打ち捨てられた建物に特別な思いがあるのだろう、それらを再生しようとしている試みを数多くレポートしている。ここではそれらのうち、ゴーストタウン化したイタリアの中世の村に家族ともども住み着き、他にも誘いかけて往時の集落の姿を取り戻そうとしている建築家の試みを紹介しよう。
こうした試みの多くは建築家によって行われていて、古い石造りの小屋を外観はそのままだったが、中は建築家のプライドを投影させて、まったくのモダンデザインに変えてしまった例(朽ち果てるままより良いが、正直使いにくそう)も出てきた。こういうのをカッコいい、クールだと思う人はその方面の日本人には割に多いのだろうが、私は使えない器のようであまり好まない。
例えば同じ北イタリア、アルプス麓の家。便器までコンクリート打ちっ放し、そこまでこだわる?→古い小屋とアップトゥデートの融合←
ここで紹介する例は、そうした例とは違って、何よりも原点に、これら貴重な暮らしの遺産への情熱的な愛がある。構想者自身、頭だけ使って、あとは人任せにするのではなく再生のために自ら協力者とともに汗を流している。だから自らの労力も加えて完成した家には、自然とそうした愛が反映されていて、地に足がついたものとなっている。
マオリツィオ・セスプリー二は、妻のパオラ・ガーデンとともに、25,000ユーロと1,000時間の労力を注ぎ込み、スイスとの国境に近い、アルプスの麓に点々と残る中世の村の一つ、ゲッシオの廃墟化した家の再生に取り組んだ。そこには中世以来引き継がれている石工の豊かな伝統の技術的遺産を後世に保存継承したいとの願いがあった。この土地の権利を得るに当たっては、アメリカに住まう子孫と交渉するなどの苦労もあった。
できるだけ昔の家と同じ材料を使おうとしているが、もちろん昔の家そのままでは現代人は住めない。彼らは一日のほとんどの時間を外で過ごしていたので、現代人には標準的な快適の概念がない。例えば、内側も石の壁に漆喰が塗られているだけであった。マオリツィオは、漆喰との間に厚い断熱材を入れて冬の寒さに備えた。彼らのこだわりから天然素材の藁を用いたが。丸い膨らみを持たせて塗られた漆喰がいい雰囲気を醸している。
映像に出てくるように、村の再生のために、世界中からたくさんの若い学生たちが集まってきた。彼らのボランティア労働の多くは、この集落に崩れ落ちるままになっていた石材を主に使って、それらを削り、ボールトを使わず組み上げる作業に費やされる。誰も歴史的な石の建築技術の実際的な知識などないから、それは彼ら自身が「ビレッジ・ラボラトリー」と呼ぶ、作りながら実験し、時には19世紀の古い文献にあたり知識を得る、まさしく試行錯誤の工程となった。
彼ら家族の住まいを建てたのち、4軒の家族用の住まいと、学生のための食堂やシアターなど、彼自身の言葉によると、ゆっくりゆっくり構想し建築中である。この村の中心にある富裕層の廃墟の一部を再生し大きなパン&ピッツア窯を設けた。かつて盛時には富裕層の人々は誰もがこうした窯を持っていたという。この窯を設けて、労働のため、そしてパーティや夏場コンサートのため集まった人々に振るまうだけでなく、この中世の村に往時のような賑わいが戻ることを願っている。