美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

イタリアンアルプス麓、中世の村の再生に取り組む Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2020-03-17 12:39:53 | レビュー/感想

中世の村の再生に取り組む

ヨーロッパの農村部、山岳地帯など僻遠の地も含めて、中世あるいはもっと古い時代にオリジンを持つ歴史的集落が無数にあるが、それらはたいてい石造りでかろうじて外形を保っていても誰も住むものがなくなって石の廃墟に変わりつつある。Kirstenは、それら打ち捨てられた建物に特別な思いがあるのだろう、それらを再生しようとしている試みを数多くレポートしている。ここではそれらのうち、ゴーストタウン化したイタリアの中世の村に家族ともども住み着き、他にも誘いかけて往時の集落の姿を取り戻そうとしている建築家の試みを紹介しよう。

こうした試みの多くは建築家によって行われていて、古い石造りの小屋を外観はそのままだったが、中は建築家のプライドを投影させて、まったくのモダンデザインに変えてしまった例(朽ち果てるままより良いが、正直使いにくそう)も出てきた。こういうのをカッコいい、クールだと思う人はその方面の日本人には割に多いのだろうが、私は使えない器のようであまり好まない。

例えば同じ北イタリア、アルプス麓の家。便器までコンクリート打ちっ放し、そこまでこだわる?→古い小屋とアップトゥデートの融合

ここで紹介する例は、そうした例とは違って、何よりも原点に、これら貴重な暮らしの遺産への情熱的な愛がある。構想者自身、頭だけ使って、あとは人任せにするのではなく再生のために自ら協力者とともに汗を流している。だから自らの労力も加えて完成した家には、自然とそうした愛が反映されていて、地に足がついたものとなっている。

マオリツィオ・セスプリー二は、妻のパオラ・ガーデンとともに、25,000ユーロと1,000時間の労力を注ぎ込み、スイスとの国境に近い、アルプスの麓に点々と残る中世の村の一つ、ゲッシオの廃墟化した家の再生に取り組んだ。そこには中世以来引き継がれている石工の豊かな伝統の技術的遺産を後世に保存継承したいとの願いがあった。この土地の権利を得るに当たっては、アメリカに住まう子孫と交渉するなどの苦労もあった。

できるだけ昔の家と同じ材料を使おうとしているが、もちろん昔の家そのままでは現代人は住めない。彼らは一日のほとんどの時間を外で過ごしていたので、現代人には標準的な快適の概念がない。例えば、内側も石の壁に漆喰が塗られているだけであった。マオリツィオは、漆喰との間に厚い断熱材を入れて冬の寒さに備えた。彼らのこだわりから天然素材の藁を用いたが。丸い膨らみを持たせて塗られた漆喰がいい雰囲気を醸している。

映像に出てくるように、村の再生のために、世界中からたくさんの若い学生たちが集まってきた。彼らのボランティア労働の多くは、この集落に崩れ落ちるままになっていた石材を主に使って、それらを削り、ボールトを使わず組み上げる作業に費やされる。誰も歴史的な石の建築技術の実際的な知識などないから、それは彼ら自身が「ビレッジ・ラボラトリー」と呼ぶ、作りながら実験し、時には19世紀の古い文献にあたり知識を得る、まさしく試行錯誤の工程となった。

彼ら家族の住まいを建てたのち、4軒の家族用の住まいと、学生のための食堂やシアターなど、彼自身の言葉によると、ゆっくりゆっくり構想し建築中である。この村の中心にある富裕層の廃墟の一部を再生し大きなパン&ピッツア窯を設けた。かつて盛時には富裕層の人々は誰もがこうした窯を持っていたという。この窯を設けて、労働のため、そしてパーティや夏場コンサートのため集まった人々に振るまうだけでなく、この中世の村に往時のような賑わいが戻ることを願っている。

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アースシップス、過酷な世界を生き延びるための住まい  Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2020-03-16 23:27:42 | レビュー/感想

アースシップス、過酷な世界を生き延びるための住まい← 

ちょっと古い映像になるが、面白い取り組みなので紹介しておこう。ニューメキシコの荒涼とした砂漠を走ると、スターウォーズのシェルターのような多様なユニークな形の建物が忽然と現れる。核戦争後のような過酷な条件を生き延びるサバイバルモデル、633エーカーの土地に建てられたアースシップス(Earth Ships)と呼ばれる、70近くの建物群(The Greater World Earthship Community)である。

建築家マイク・レイノルズの発案によるこれらの建物は、土とゴミ(カン、ガラス瓶、古タイヤ)でつくられている。1997年のスタート当初、これらの建物群は、不法分譲を理由に閉鎖を余儀なくされたが、7年の後には適法を勝ち取った。現在、州は、2エーカーの土地を与え、上記のリサイクル品を提供しつつ、全面的にレイノルズの独創的な家づくりの実験に協力している。

このビデオの案内人トム・デュークは17年前に妻とこの地にささやかな土地を買い、小さな物置ほどのアースシップスを建て始め、息子が生まれたときには2部屋のベッドルームがある家を完成した。彼が案内する、当の家は、他のアースシップス同様、砂漠での持続可能な生活とプライスダウン実現のために、独創的なアイデアが詰め込まれている。雨水を集め、その水を屋内の植物によってろ過することで、4度利用するのみならず、下水処理のシステムさえ備え、砂漠を緑に変えている。

可塑性の高い土を用いた建物のデザインのユニークさにも注目したい。学生たちの住まいとなっている大きな建物は、柱や壁にガラス瓶やカンを大量に用いて建てられているが、スーパーストロングな構造を実現する上で役立っているばかりでなく、砂漠の光を乱反射させ、ガウディのサグラダ・ファミリアのような、有名なカテドラルを彷彿とさせてとても美しい。

 

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廃品をユニーク住宅に変えるテキサス魂 Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2020-03-15 15:23:20 | レビュー/感想

廃品をユニーク住宅に変えるテキサス魂

全米でもプアな人が多いとされるテキサス州には、おシャレで、乙に済ました東海岸のエリート&セレブたちには見られない、テキサス魂と言われる自由独立の精神に富んだ人物が多いようだ。前にプアな人々向けに廃材で作った住宅を実際に提供する、熱い気持ちのいっぱい入った事業を展開している、見た目エキセントリックなテキサス爺さんを紹介したが、この爺さん(ダン・フィリップス)も、やはり同じテキサス人で小柄で痩せているが、同じような事業を展開している会社の社長である。負けず劣らずエネルギッシュなうえに、テキサス人の真骨頂を発揮して発想がぶっ飛んでいて、すぐに尊敬してしまった。

最初に出てくるのは木の上に建てられた家だ。と言っても、こぎれいに収まった家ではなくて、縦横に広がった枝は家を突き抜けているし、入り口や内部の階段には折れ曲がった枝がそのまま使われているなど、かなりアバウトなのだ。支えになっている木の幹が腐れたらどうするんだなんて考えたらできないし、安全安心に毒されている日本人には住めない家だ。それをプロのスキルなど持ち合わせてないプアな人たちを雇ってやらせている。エライことに、プアな人々に仕事を与える社会事業的な意味合いも持っているのだ。

前のテキサス爺さんと違って、この爺さんは、廃材だけではない、コルクせんや割れたガラス、牛の骨などリサイクルゴミも使っている。だから材料費は80パーセントただだと爺さんは言っている。感心したのはそれがそれなりにユニークな美しさを持っていることだ。デザインも巨大なカーボーイブーツをかたどるなど度肝を抜く。大量のコルクせんを用いてフェニックスを造形した美しい床など、真似したいところだ。安心快適の宣伝に踊らされ、パネルをジョイントしたプラモデルのような無個性な住宅に生涯の借金を負って何千万も払っているのが馬鹿らしくなる。

’My great advantage is I don't care about money’ by ダン・フィリップス

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廃棄された客車の往時を再生、オフグリッドの家に Living Big in Tiny House から (セントラル・オタゴ、ニュージーランド南島)

2020-03-15 12:29:42 | レビュー/感想

廃棄された客車の往時を再生、オフグリッドの家に

大きな空と遠く山々が連なる、広々とした放牧地のパノラマ風景の中に、ポツンと置かれたダークレッドの古風な2つの車体。マンデーの手に渡るまで、この2つの客車は、長い間、ここに打ち捨てられ、カビと蜘蛛の巣と鳥の死骸だらけで、雨もりのする壊れた、誰も見向きもしないジャンクと化していた。

しかし、マンデーは再生の夢を諦めなかった。元夫とともに、8年もの歳月と情熱を傾け、台車部分も含めて歴史的な往時の美しい姿を少しづつ取り戻して行った。今、ここに見るユニークで素晴らしいタイニーハウス に変わった客車は、彼女の言うように、誇張ではなくまさしく「血と汗と涙」の結晶なのである。

それぞれの客車は、おおよそ12×2.5メートル。メインの車体は、キッチン、ラウンジ、ベッドルーム、バスルームを備えた、機能的で快適なタイニーハウス に変えられた。一方でマンデーは、この客車の元の姿を極力保存しようとしている。骨を折って、元の材料と造作の再生に務めた。往年の乗客がナイフでつけた傷もそのまま歴史の痕跡として残った。装飾的な白い天井、フランス製の瀟洒なストーブ、クラシックな革張りのソファーなど、彼女のセンスが念入りに探し出し選んだものも、古い時代の雰囲気を蘇らせている。

もう一つの客車は、家族や友人のためのゲストルームと、まだ整備は中途だが、マンデーが特別な思いを込めて言う、娯楽のための「ライブラリー」に当てられている。この僻遠の地へは、当然電気や水道の供給は不可能なので、水は雨水、電気は小さなソーラーシステムにより得ている。日暮れてからの素晴らしい星空の実景が最初の方に出てくるが、客車用の広い窓から見える風景の素晴らしさを見れば、便利さの多少の不足なぞ何ほどでもなかろう。

 

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ありきたりのキャラバンを「指輪物語」の世界に改造 ユーチューブLiving Big in Tiny House から

2020-03-13 17:01:01 | レビュー/感想

キャラバンを「指輪物語」の世界に改造

離婚の後、17年間の警官生活をやめ、木彫家となったグレン(イギリス)は、ソフトヤンキーがしそうなステレオタイプの改造ではなくて、DIYと木彫の腕をフルに使って、どこにでもあるような白いキャラバンを大好きな「ロード・オブ・ザ・リング」と「ホビットシリーズ」の世界で塗り込められた独創的なタイニーハウス に変えてしまった。

 キャラバンのシャッターを開けると、ドラゴンが稠密に彫り込まれた木彫のドアが現れる。さあ中に入ろう。そこは大好きなイメージで埋め尽くされた世界。キッチンデスク、ライト、チェア、ディスクなど、木彫の腕を生かした木製家具が置かれている。重量を考慮してすべて木を使うのではなく、お気に入りの模様の壁紙も使っているが、これがバンの中だとはとても信じられない。しかも、コンパクトなスペースに、シンク、薪ストーブ、トイレ(ドイツ製)、シャワー(ストーンワークの壁がいい)、キングサイズのベッド、冷蔵庫など一人の生活を快適に過ごす最低限の機能も十分に備えている。

 バンをどこにでも止められる権利とともに、自然林の一区画4エーカーを買って、そこを維持する管理人の仕事もしつつ、一台のバンが実現したファンタジーとイマジネーションを一つにした生活をこれからも続けていきたいと語る。

 

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ウェールズの森の中での超シンプル生活 ユーチューブLiving in Tiny Houseから

2020-03-13 12:11:13 | レビュー/感想

ウェールズの森の中での超シンプル生活

山の国ウェールズのスノードン山を望む野生の森の中に、1000ポンドで建てた小さな家。雑草で屋根を覆い、泥壁で囲ったきりの、Earth Buildingと言えばかっこいいが、方丈記に出てきそうな「草の庵(いおり)」を思い浮かべればいい。当然電気なし、電話なし、もちろんインターネットなぞ、あるわけない。水は近くの小川からボトルで汲んでくる。ストーブには、切りそろえた薪などではない、森で拾い集めた小枝を燃やす。野生飼している山羊や鶏や小さな栽培ベッドに植えたハーブで食事を賄う。

 ドアがわりに幾重にも垂れ下がった布をくぐると、そこは敷物を敷いた丸い空間が一部屋あるばかり。二つの窓は嵌めきりで、光が絶えず入ってくるが、夜ふと目覚めると、煌々とした星の光があたりを照らし出すファンタジーを味わえる。あるのは自然木を組み合わせた美しい天井とチョロチョロと燃える暖炉。もちろんキッチンもない、トイレも、シャワーもない。家具もないし、タイニーハウスで必ず出てくる工夫を凝らしたストレージもない。棚に並べられただけの食器は、食事の前後、外で暖炉の夜間の熱湯をかけて消毒する。

 テクノロジーにより便利さや安全安心、クリーンさを極めて、コロナビールスに世界中大騒ぎする、神経過敏で脆弱なモダーンワールドに真っ向から挑戦するような生き方だ。しかし、ご本人はそれを世に主張するわけでもなく、彼女は自分のアイデアで建てた家で、自分がやっと見つけた超シンプル生活のハッピーさを繰り返し強調するのみだ。気にいった自然のサイクルに従ったシンプル、プリミティブな生活に満足して、至ってのほほんとしている。初めは強い違和感があっても、見ているうちにバカボンのお父さんに倣って「これでいいのだ」と言いたくなってくるから不思議だ。そうかこの世界がとことん嫌になったら、昔の人に倣って森の隠者になる手があったか。

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ニュージーランドの老夫婦が作った靴の家 ユーチューブLiving Big in Tiny Houseから

2020-03-12 10:25:54 | レビュー/感想

ニュージーランドの靴の← 

「靴の家に住んでるおばあさんがいました」。そういえば、子供の時、そんな童話を読んだことがあるような気がするが、外観を見れば特徴は一目瞭然、まさしくユニークなブーツの形の家である。ご丁寧に紐通しの穴やステッチまでしっかり再現している。子供なら童話の世界は現実にあるもの(そんなコメントがあったが)と錯覚するに違いない。  

このブーツの家は、ニュージーランドの南島、モトゥイーカの郊外、カフェとレストラン(1991~)、そしてそれを取り囲むガーデンパラダイス、その名もジェスターハウスに建てられている。他にも何棟かの不思議な家が庭の中に建てられている。オーナーであるスティーブとジュディのポリシーは「ユーモアがなければ、する価値がない」というもの。確かにここには疑いようのない楽しさと軽妙さが同居している。風変わりな外見にも関わらず、機能的なつくりで、世知辛い現実を離れて、ちょっと妖精物語の世界で過ごしたい思っているカップルたちのためにはうってつけだ。  

この家づくりのプロジェクトはワインを飲みながらの思いつきによって始まった。不定形なブーツの形の家は、鉄のフレーム、網、コンクリートと石膏を使った工法(Ferrocement工法)を用いることで現実になった。中に入ると角のないソフトな印象の空間に暖炉とキッチンと広いバスルームが付設されている。螺旋階段を登るとベッドルーム。窓枠の飾りやチェアや天井などディテールにも凝っていて、童話の世界を再現してくれる。バルコニーに立つとまさに童話の主人公になったようだ。  

林間の坂を登りきったところには、軽い土と藁の和壁で囲まれた木造の愛らしい、五角形のコテージがある。湾を望む景観が何よりも素晴らしい。小さなキッチン、バスルームも付設されていてカップルが逗留するには十分だ。

 もう一軒の家、the Wiggly Wogはホビットの家のようだ。もっともオーナーの話では、映画でトレンディになる前に作られたそうだが。お金をかけずに(なんと総工費1,000ドル!)エコフレンドリーな家づくりを実現した。中に一歩入ると、まず目に飛び込んでくるのが太い自然木と小枝が美しく組み合わされた天井。折れ曲がった支え柱と土壁、レンガづくりの暖炉と一体化して、別世界に入り込んだような印象を受ける。

 このオーナーのご老人の案内(早口でニュージーランド訛りがあって聞き取りにくいが)を聞き、映像を見ているだけで、心がハッピーで自由になる。ニュージーランドに行って実物を体験したくなった。

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森の中に妖精の家を作り続ける ユーチューブLiving Big in Tiny Houseから。

2020-03-10 15:55:47 | レビュー/感想

森の中に妖精の家を作り続ける ← 

深い森の中に、子供時代に誰でもが頭に浮かぶビジョンを、一人実現し続けている。こうなるとアート作品、ジェーコブ(Jacob W. H.)自身の言葉によると「住まうことができる彫刻」と言った方が良いかもしれない。日々アーテストが作品づくりに取り組むように、太平洋に面したワシントン州オリンピアの奥深い森の中、魅惑的なスモールキャビンを作り続けている。現代にも、コツコツと拾い集めた石で理想宮を作り上げた郵便配達員シュヴアルのような、夢につかれた人がいる。  →郵便配達員シュヴァル

最初に紹介しているスモールキャビンの外観は、周りのアメリカ杉に覆われた森の景観ともマッチして、ファンタジーノベルにでも出てきそうな雰囲気。上からの映像を見ると分かるが、全体の構造は十字架状をしており、鋭い傾斜角の屋根とともに、まさしく森の中のカテドラルといった感じである。室内の屋根の真ん中には十字架が取り付けられており、さりげなく彼の信仰の在り処を語っている。材料は街の建物から集めて来た廃材を用いているが、屋根には、森から集めて来た苔をベールのようにかけていて、それが妖精の住まいのような趣きを醸している。  

今、建築中の最新のキャビンは、八角形の建物で、特徴的な屋根はピラミット型で王冠のようにも見える。近くを散歩する人が、木々の間に振り仰いで見て、唐突にこれら不思議な建物に出会い、驚いて喜んでくれることが何よりも嬉しいという。「手を見つめた時に、この手が何を成し遂げて来たか、私の歴史が浮かび上がってくる」と、創り続けることから生まれる喜びを、目を輝かせて語る彼の表情がいい。何の利害や作為もなく夢に取り組む、名もなき者でありながら、彼は本当の意味でアーティストの名に値する

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カリフォルニアの砂漠に土の家で暮らす ユーチューブLiving Big in Tiny Houseから

2020-03-10 14:21:10 | レビュー/感想

カリフォルニアの砂漠に土の家で暮らす。

アースビルディング(Earth Building)という言葉をご存知だろうか。私も、この映像を通して初めて知った。建築関係のWikiを見ると、耐火性があり、未加工の原土を用いた建築を実践することとある。11,000年以上前から存在し、特別な道具を用いずに作れることから、今日でも世界の半数の人々がこの手法で作った土の家に生活している。日本の農家の藁すさを粘土質の土に混ぜ合わせた土壁の建物もこのカテゴリーに入るのだろう。

サーシャとジョンのカップルが住まう、寒暖の差が激しい、カリフォルニアの砂漠、異星人の惑星のような厳しい環境こそ、アースビルディングに適していると言える。  アースビルダー(Earth Builder)の二人は、パーマカルチャー(Permaculture)と呼ぶエコロジカルな農業を実践するコミュニティ(The Quail Springs Permaculture community)に、この建築手法を取り入れたタイニーハウスを、ワークショップやボランティアのグループの協力も得ながら、ほぼ自力で3年がかりで建てた。

その家づくりは、トウモロコシの穂軸、編み枝、漆喰、土囊袋などを用いたアースビルディングの実験的な手法を試すチャンスでもあった。  さて中に入るとまず目につくのがDIYスタイルのロケットストーブ(空気を吸い込みながらゴーゴー燃えるストーブ)。ストーブの横のベンチにまでパイプが引き込んであって、冬のディナーの前や寝る前の語らいを暖かく包み、そして朝までも、温もりが残っている。

家具から食器まですべてハンドメードで作られているシンプルなキッチンエリア。家で一番過ごす時間の多い場所だ。ボトルを埋め込んだ石膏壁が美しい。  内側のドアを開けると、そこは家の心臓部でサーシャのクラフトワークの場でもある。やはりロケットストーブがある。寒いときには二つのストーブをつけて部屋を温める。ジョンが自然木を利用して作ったユニークな階段を登ると、心地よいスリーピングロフト。夏はベンチレーションのために設けた高窓から爽やかな風を吹き入れる。かかった労働は自前として、コストは15~18000ドルかかっている。しかし、家を自分たちで作る体験の貴重さはお金に代え難い。

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尾崎 森平 個展 「1942020」 2/18~3/1 ターンアラウンド

2020-02-25 12:57:38 | レビュー/感想

一見して建築パースの世界である。大抵はこの類の建築パースは高度なドローイングソフトで描かれている。しかし、ご苦労なことだが、作家は手書きの筆でこれを描いているのである。そこが建築パースではなく、そしてデザインでもなく、この絵を、絵画ジャンルにかろうじて、止めている重要な要素であることを画家は誰よりもよく知っているのかもしれない。

かといって、リアリティを追う写実主義からたどる西洋近代美術史の上に成立した、空気感まで描かれたハイパーリアリズムの世界ではない。建築パースのように描かれた彼の絵は、その種の絵画の様式を借りたシュミラクルなのである。それは西洋の流行に常に晒され、様式の意味を深化させる間もない日本の画家の誰もが必然的に陥る錯覚なので致し方ないことではあるが。

だから、我々は、むしろここではここに描かれた「記号」の意味を追うことになる。それは彼のモチベーション、情熱のソースでもある。会場でいただいたパンフレットで彼自身が語っている言葉がもっとも参考になるだろう。彼が大学時代影響を受けた「環境心理学」。目新しい分野だ。形作られた環境から社会や個人の心理を読み解くということなのだろうか。シンプルな画面構成の中に配されたガソリンスタンド、墓石、ホテル、ホームセンター。となるとこの岩手特有の空と大地で区切られた、だだ広い風景は、例えば箱庭療法の格好の舞台のようなものなのだろうか。

ブラシタッチによる自然なエクリチュールの楽しさをあえて抑圧して、深層を含めた彼の頭の世界の絵解きをしていく。ロードサイドのありきたりのショッピングセンターやパチンコ屋に貼り付けられた、私には判読不明なイタリア語の仰々しいスローガン。彼は、政治とビジネスのプロパガンダの近似性を語りたいのだろうか。

そして人の内部にあるおどろおどろしいものを象徴するように屠殺された牛がガソリンスタンドのキャノピーにかかる(オシラサマ)。なぜかレンブラントの皮剥された牛の絵を思い出した。(この場合は贖罪の象徴なのだが)人々の心に染み通った祭儀性と行き過ぎたモダニズムのアンバランスが、ムソリー二のようなファシズムの母体となっていると言いたいのだろうか。そのクリティカルな真意はよく分からず、しかし、絵を見て心踊りたい私の中の馬鹿な原始人には、これが現代美術と言うのだろうが、なぜか命が細り辛くなる絵ではあった。

 

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アイヌの美しき手仕事 柳宗悦と芹沢銈介のコレクションから 1/25〜3/15 宮城県美術館

2020-02-22 18:51:27 | レビュー/感想

柳宗悦と芹沢銈介のまなざしの違いは、各々の収集品を見れば一目瞭然だった。最初の部屋には柳の目と心が集めた品々、日本民藝館所蔵の収集品が陳列されていた。そこには副題として柳の言葉「それは啻(ただ)に美しいのみならず」が冠せられていた。柳は人々を捉える美の力が一体どこから生まれるのかを探求する中で、民藝の世界に出会い、信仰の道を深めていった人だった。だからこの言葉の背景には、柳がつかんだ「真」の世界がある。

それは柳にとっては、端的にいえば、人間の側から極めてゆくものではなく、向こうから来るもの、啓示に基づくものであった。それが美の思索と結びついたところに、柳の独自性がある。晩年の著作「南無阿弥陀仏」に明らかだが、彼の言う美の道は、分岐するばかりの宗派教派が説く特定の教義に結びつく道ではなく、「ひとつ」の神が内心に美という形で巻き起こす「ひとつ」の真理の道であった。その意味で啓示としか言えないのだが、このことについては別稿でいずれ語ることがあろう。ひとまず展示の説明に戻ろう。

だが、ほとんどの者はかつて皆が我々を超える存在に対して持っていた、この素朴な畏れの感情(それはまことに美的感情のベースなのだが)を失ってしまって久しい。だから柳を云々する場合、通常、この時代にあっては誰にでも通じるニュートラルな用の美や民衆の美に焦点が当たり、その結果、柳の思索の中核にある真の像を捉え損ねてしまっているのがほとんどだ。その観点からは、「神が死んだ」(ニーチェが正直に言ったまでの言葉)現代では、柳という存在は矮小化され、せいぜい日本のデザイン思想の先駆者にしかならない。しかし、ここでは展示の眼目は「アイヌ」の美にある。このテーマとの関連においては、ディープな信の世界との関連を語らざる得まい。ここでは、その関連で「美しき」ことの意味を明らかにすることが、他の民藝品の展示とは違ってあからさまに問われている。

素材の活かし方、色の選び方、形態とレイアウトの妙、そしてそれを実現する精緻な手仕事。確かに原始の環境にあった野生の民アイヌがこのような美的センスと能力を持っていたのは驚かされる。しかし、最も根本的で素朴な疑問が残る。さてこのウネウネした紋様の意味するところは一体なんなのだろう。誰もが抱く最も素朴な疑問だが、展示会の中では何も語られていない。以下は何らかの文献を読み込んだものではなく、私の想像で言うことだが、この野生での生活は、イヨマンテの祭儀に象徴的に示されているように、諸霊の働きを恐れての生活であったに違いない。

それらの諸霊は想像上のものではなく、彼らにとっては明らかな恐るべき「実在」であった。病気など禍事は、とりわけ悪霊によってもたらされる。だから健やかに生を営むためには、それらへの防御が必要になる。彼らの衣装は、彼らなりに防御のために必要な合理的実用性を備えたものなのだろう。例えば、紋様は悪霊を封じるための知恵の一種だったのではなかろうか。

今も邪気が入ると我々も言うことがあるではないか。紋様は、その侵入口たる首の後ろや背中、そして袖口に集中しているが、どれも細いウネウネとした線と太いリボンによって作られている。強い太いリボンによる明瞭な視覚表現は邪気を封じ込める呪術的手段であったかもしれない?いずれにしろ柳の収集品には、もはや我々には分からないヌミノーゼ的感情が明瞭に刻印されている。そしてそれをキャッチする柳がいたことだけは確かだ。

一方、芹沢の収集品は次の部屋に配置せられていた。軽やかに空に浮かぶかのように天井まで無数の刺繍衣装が吊るされていた。芹沢が収集したアイヌの品々からは深い魂が脱色されているかのようだ。ウネウネはただのアイヌ様式のようになってしまっている。その多くは戦後急速に増えたアイヌ研究家・収集家の需要に応えて作られたものかもしれない。

芹沢は前にもブログで書いたが植物の大量のデッサンを残している。若い頃から近代的な職業であるデザイナーとして活躍した彼にとって抽象的パターンは、そのような写実の努力から得られたかたちのエッセンスにすぎない。それは「抽象と感情移入」のヴォーリンゲルの言葉に従って、小難しい言葉を使っていえば「感性的所与物と私の統括的活動と言う二つの成分から生じた結果」である。(アイヌのウネウネはそうではない)近代デザイン思想の背景にあるこのドライな造形的受け止め方が、芹沢のかたちにもしっかり入っている。彼がパリで展示会を開いた時、地元の新聞でマチスとの親和性が言われたりしたのも当然であろう。

今まで2人の収集品を別々にしか見てなくて気づかなかった、この決定的なベクトルの違い、「上」(神、見えざるもの)からか「下」(人間、見えるもの)からが、この両者の収集品を合わせた展示会を通して目に見える形ではっきりと見れたのは収穫だった。このデザイナー芹沢の道が経済合理性と合致してグローバルスタンダードとなり世界中にステレオタイプを大量生産している現在、むしろ新たな可能性のベースとして再び蘇ってきているのは、我々の中から失われてしまったかのように思っている柳の「真=信」の道ではないかと思った。なぜなら、歴然たる証拠は、柳のコレクションの方に圧倒的に驚きがあり、力強い美の力を感じたからである。そして、今の閉塞状況に対して、ヴォーリンゲルのいうように「抽象衝動」と、それを生み出す人間に生具的な器官は決して衰えるはずはない、と信じたいと思う。

ところで私が一番欲しいと思ったのは日本民藝館の所蔵の椀や杓子など日常の道具であった。素晴らしい!こんな小賢しさが毫も感じられない道具を使いたい!と思う。

写真は1941年に日本民藝館で開催された「アイヌ工藝文化展」を再現したコーナー。このコーナーだけ撮影を許可されていた。その時展示された杉山寿栄氏の珠玉のコレクションは、惜しむらくは戦災で焼失した。再現のため集めた作品はやはりどこか弱々しい。

 

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コートールド美術館展 魅惑の印象派 9/10~12/12 東京都美術館

2019-12-21 11:09:39 | レビュー/感想

東京の友人から突然の電話があった。上野の都美術館で開催中の「コートルード美術館展」がとても素晴らしかったので絶対見に来るべきだという、強いお薦めだった。すぐに行きたかったところだが、他の東京での仕事の予定とも兼ね合わせて、当の展覧会に赴いたのは終幕の2日前となってしまった。11時過ぎ、上野駅を出て都美術館に向かう。久しぶりに上京した田舎者には、日曜祭日でもないのに異様に思えるこの人の多さ。それも自分も含めてほとんど老人たち。朝早くの列車にすべきだったと一瞬悔やんだ。案の定、切符売り場には列が出来ていて、荷物を入れるロッカーには空きがない。それでも、旅行鞄を手に持たざる得ないとしても、15分ほどで入れたからましな方なのだろう。

見学者はみなかぶりつき席が好みのようだ。絵にギリギリまで近づいてカニの横歩きさながらにジリジリと進んでいる。並ぶのが嫌いな自分は、いつものやり方で、その列とは離れた位置から頭越しにざっと見て、向こうから強い磁力を発している絵があれば近づいて列の間からじっくり覗き見る。そうして見ても、第一印象はよくぞこれだけの粒ぞろいの作品が揃ったものだという驚きだった。彼の言う通り、確かに美術の教科書や美術全集で必ず目にする印象派および後期印象派の巨匠たちのウルトラメジャーな作品が揃っていた。こんな展示会が開催できるのは、現在下降の一途をたどる日本の経済力のゆえではない。それに反比例して、人口の一極集中が強まる一方の東京での開催あれば、人が集まり確実にペイできるという提供者のしたたかな読みがあるからであろう。だから混雑も我慢せねばならないと納得する。

これだけの作品を集めたコートールドという人物にまず興味を持った。家に帰って展示会のカタログを見て知ったのは、彼の家系がフランスのプロテスタント、ユグノーの流れをくむユーテリアンであったこと。その教理・教義を優先しない信仰が、知識ではなく、まず自分の感覚を信じて判断する態度と繋がっているように思う。セザンヌの「プロヴァンスの風景」を見たときの驚きを、コートルードは回想する。「この絵は画中のあちらこちらを歩き回らせて、それからすっかり夢中にさせてしまうんだ」。

このセザンヌ絵画への格別の愛に基づき、コートルードは、先取り的にセザンヌの絵を評価収集し、展覧会を催し、カタログを頒布し、ついに彼を近代絵画の歴史を塗り替えた最重要人物に位置付けさせる。美術の教科書や画集などに必ず彼の作品(とりわけコートルードのコレクション)が取り上げられるようになったのは彼の功績、確信的なマーケテイング戦略によるところが大きい。今までは十分に見えてなかったことだが、作家や作品が世に知られ、有名になっていく過程には、このようなセンスと財力を兼ね備えた人物の援助がある。俗世間に押し上げていく力という観点から見れば、画家とヒフティー、ヒフティーなのかもしれない、とさえ思わされた。

ここで見るセザンヌは文句がつけようなく素晴らしかった。どの絵にもセザンヌが生きて感じた永遠の今が定着されている。エミール・ベルナールに宛てたセザンヌの手紙を読むと、彼が自然から遠ざかった実体のない思弁をいかに嫌ったかがよくわかる。ダビンチがそうであったように彼の絵画は、徹底した自然研究から生まれたものであった。後年「自然を円筒、球、円錐によって扱う」との言葉が公式として一人歩きし、キュビズムの先駆者のように見なされてしまったのは、全く彼の本意ではなかったに違いない。「学校とか年金とか勲章とかは、白痴やおどけ者やならず者のためにのみ作られているのです」という辛辣な言葉を残したセザンヌ。これら、人間の営為を形式化して、ビジネスに結びつけ、永続化しようとする詐欺的知恵の働きを、彼はとことん嫌ったのだ。

自然はセザンヌにとって疑いもなく神の被造物であった。彼が「サント=ヴィクトワール山」や「大水浴」を繰り返し描いたのは、自然を通して永遠のアルカディア=エデンを、どうにかして見たいと思ったからである。それは観念が作り出すしてしまう理想や物語ではない。目が捉えた現実と心が描き出す現実が重なり合って焦点を結ぶところに成立している不可視の領域。しかし神が見せてくれる「本当の現実」。それを見えるキャンバスの上にしっかり構築すること。それが彼にとってのエデンだった。

しかし、セザンヌとて近代人の一人である。中世の画工のように、やすやすとはそこに近づけなかった。感覚で捉えたものを、小癪に働きすぎる知性を制御しつつ、具体的にキャンバスの上にどうあらしめるか。そこに彼の孤独な戦いがあり、単純な古典絵画の崇拝者で、理屈の人、エミール・ベルナールには、到底理解できない問題があった。まさしく「ベルナールの演繹的プラトン主義とセザンヌの機能的経験主義の対立は、やがて、立体主義やピューリズムによるセザンヌに関する想像的誤解として反復されていく」(永井隆則「ベルナール宛セザンヌ書簡」)のである。モダニズム絵画という紋切り型の中には入らないセザンヌを見た、それだけでもこの展覧会に行ってよかったと思う。

 

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馬渡裕子新作展 after dark 12/3~8 杜の未来舎ぎゃらりい

2019-11-10 16:59:52 | レビュー/感想

今年5月、リアス・アーク美術館で東北で活躍する若手作家を紹介するシリーズで展示され、高い評価を得た「VS」をはじめ、馬渡裕子の最新作を展示します。関連してこの時書いた当ブログの文章を再掲載いたします。当ギャラリーでは、毎年年末のクリスマス前のこの時期、馬渡展を定例開催していますが、今度はどんな新作が見られるのか、毎回ワクワクさせられます。淡々とした日常に異世界とのささやかな通路を拓き、凡庸な目には見慣れた世界との、思いもかけぬスリリングな出会い方、楽しみ方を教えてくれる馬渡ワールドの魅力を、もっと多くの方に知ってもらいたいと思っています。

昼間に我々が経験したことや見たことは無意識層の中に積み上げられ、夢の中で唐突に予想外のイメージとなって蘇ることがある。馬渡さんの絵は、この夢のイメージをスナップショットのように、キャンバスに定着させたもののように見える。しかし、夢の形や色をそのまま写実することは難しい。なぜなら夢は眠っているときの脳の働きによって生まれる極めて主観的な閉じた体験だからである。目が覚めて我々は夢の片鱗を元にそれを再構築しようとするが、それはすでに意識の世界の出来事であり、「そのような夢を見た」と言ってるに過ぎないのかもしれない。まして、色や形を正確にとなると‥‥

さて、馬渡さんの絵についてである。そう言うことだから、その一見夢のように見える世界は、精神分析の対象になるような夢の報告ではなくて、画家が意識的に作り出した世界ということになる。画家自身、「毎日を過ごす日常の風景とそれを眺める目の間に、スライドのように今そこにない光景を挟み込む」と創作の秘密に触れているが、こういう常人には真似のできない意識的な操作と高度な絵画技術が合間って、画家のユニークな絵画世界を形作っているのである。

それは主観と客観(一般認識としての)の間に精緻に打ち立てられた中間領域のようなものだ。どのような場所かというのを譬えるとするなら、自分の幼年時代のことを思い出したら良い。女性なら片時も離さない人形やぬいぐるみがあったであろう。そしてこれら無生物に想像力を発動させ、極めて生き生きとした生活世界を形作っていた。だが誰もがここから卒業させられる時がくる。それが成長していくことだ、大人になっていくことだと言われつつ、また自分でも納得しつつ。

馬渡さんの絵は、大人になってしまった我々にもこの世界を再び蘇らせてくれる。画家が扱うモチーフには、人間はもちろん、ウサギやネコやクマやトリなど様々な動物が出てくるだろう。しかし、それらはどこか人形っぽい、ぬいぐるみっぽい、あるいは置物っぽい。かといって無生物かというと、微妙な仕草や表情はまさに命のあるもののそれだ。画家が繊細な造形センスとスキルによって作り上げた世界の中で、それらは確かにリアリティーを持って生息している。

ほとんどの作品は平平たる日常の中で、画家のアンテナが捉えた生活風景や物が基本のモチーフになっている。しかし、ときに衝撃波が襲う。例えば、あの大震災はどうだろう。その前には予兆のように一群のお化けが登場してたり、その後には変幻する霊のようでもある巨大な盆栽がクラシックカーと合体するなど、画家の穏やかな絵の世界にも黒雲が広がり不穏な嵐が感ぜられた。この現実の災厄から呼び起こされたかのような異世界からの強い力は、最新作「VS」に例をとれば、力士の目から発するビームとなったり、画家の静止的な世界を時折揺り動して、白昼夢のようなちょっと怖い異様なイメージを喚起する。

勤め先の広告用ポストカードの元絵を始め多くの小品には、言葉にしすぎると魅力が砂のように滑り落ちてしまう程の、ささやかなストーリーが見る者の想像力を刺激する。お馴染みの馬渡アイコンと彼らが生息するギリギリまでシンプル化された舞台装置を通して、誰もが幼年時代に持っていた想像力を働かせて、小さなフレームの中に立ち上がった馬渡世界の構築に参加できる。その開かれた自由さが美術ファンのみならず、一般の人も深く魅了する馬渡絵画の持ち味であろう。

ちなみに、今回のメイン展示、「vs」(キャンバス、油彩、1167×910mm)は、モノとモノとの予想を超えた出会いから生まれる不思議な想像世界を、品位とエレガンスの質を保ちつつ、二次元画面にしっかり着地させる、画家のセンスと集中力の非凡さを象徴的に表しているような作品です。

 

馬渡裕子作品集

馬渡裕子新作展 2014 11/17~30



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究極のミニマリストライフモデルか? Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2019-11-08 13:32:39 | レビュー/感想

究極のミニマリストライフモデルか?

真贋の判定は難しい。しかし、これはフェークであろう。どうしてkirstenがこんな異質なモチーフを撮影することになったか、その経緯は分からない。力量のある取材者であればいろいろ問い詰めるであろうが、編集者の判断を最初の取材対象の選択に限定することで、あとはコメントを交えず登場人物に好きなように語らせ、リアリティーをそのまま発信する、このシリーズの制作スタイルでは、それも叶わない。だから視聴者が全く自分で判断するしかないが、そこがテレビと違うYouTubeの面白さかもしれない。

さてフェークだと思う理由はこんなところにある。この森の中での生活の映像は、静かで美しい。ソローの生活の理想をまさに体現している奇特な方がいるもんだ、と最初は思った。しかし、見続けるうちにどこか怪しいところがあるのに気づき始めた。建物とその美的に整えられた内部は映画のセットじみている。7年間もここに暮らしているなら、家自体には経年の変化が染み込んでいるはずだ。しかし、どこにもそうした損傷は見られない。洗いざらしの真っ白な椅子カバー、ベッドカバー、カーテン。確かに特別に潔癖症の人なら可能だろうが、どうも非日常的だ。この撮影のためにしつらえた感じがする。

特に著しいのは生活感の欠如である。完全なオフグリッド生活だから灯りはろうそく、そして煮炊きは暖炉の薪に鍋を乗せてする。何年間もこんな生活もしていたら、ロウや溢れた食べ物で床は汚れ、舞い上がる煙で天井から壁まで煤けてしまい生活の匂いがプンプンするはずだ。だが積年のそうした生活の匂いは全く感じられないのだ。そのほか生活していれば必要になる種々雑多なものはどこにしまってあるのだろう。例えば夫人が着ている質素だが品質の良さげな服はどこで洗って干してアイロンをかけ、どこに収納しているのだろう。決定的なのは他のトピックでは必ず出てくる夫が出てこないことだ。どこに行っているのだろう。喋り方もやけに気取った感じがしている。

好意的に考えれば、ソロービアンの伝統的シンプルライフを推奨するプレゼンテーションと言おうか。「いいんでないの」という向きもあろうが、だがそのことを明かさないとしたらやはり不誠実だ。こんな手の込んだ世への売り込みができるのは、これは想像だが、仕掛け人である夫はかなりのインテリジェンスの持ち主で余裕のある人(大学の先生、あるいは建築デザイナー・・)なのではなかろうか。しかし、この奥さんは産業革命時代の初歩知識のラッダイド運動も知らなかった。とにかく皆さんも世の中にはこういう手の込んだ嘘があるから、ご用心。とりわけいかにも正義、いかにも美しい、いかにも整えられていると思うものには必ず裏があると思っていい。さて皆さんはどう思う?



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青野文昭 ものの,ねむり,越路山,こえ 11/2~1/12 主催 せんだいメディアテーク

2019-11-06 11:48:16 | レビュー/感想

2011年3月11日、巨大な何かが、たくさんの生命を呑み込んで通り抜けていった。記憶という名の霊となって物質に張り付いているそれらの痕跡を、仙台の卓越したアースダイバー、青野文昭さんのアンテナが捉え、掘り起こし再生し、見事に視覚化している。あの出来事への美術家からの初めての深く内的な反応だと思う。古くから霊が越える場所だった八木山越路(「こえじ」は、仙台市南面の住宅地となっている。伊達政宗も、江戸、東京と同じく、近世に仙臺を造るとき、霊的な設計をした)から、今も見えざるものたちは、ついにはクルマとスマフォだけが残ったように見える、プラスチック都市の未明の暗闇にもボウボウと吹き下ろしてきている。いや、近代人の眠りを揺さぶる常人を超えた力仕事にびっくり。今年二番目の収穫。一番目はウチでやった野中&村山展😅 この作品の背景として次のささやかな経験を追加で書き留めて置く。震災の翌々日、車で妻と海辺へと向かった。高速道路の下を通るトンネルを抜けると、見慣れた風景は一変して、うず高く積まれた瓦礫の山が延々と続いていた。夢のようだった。かろうじて一台取れるぐらいの道を農家の人の軽トラだろうか、被災した住居との間をただオロオロと行き来していた。その切迫した様を見ながら、黒沢明初のカラー映画「どですかでん」で六ちゃんがゴミの山の間で電車ごっこしているシーンを思い浮かべている、変な自分がいた。信じ頼っている合理性に基づいて作られた文明も、実は一瞬のうちに崩壊する不条理な、しかしあまりにもリアルだから、むしろ夢のような現実の唐突な出現。この展示は、その時の目と心を蘇らせる。一人の美術家を通して、様々な生活の痕跡とともに再生された「霊」の宿る街。これがわれわれの住む街の真実の姿かもしれない。1月までやっているようだから、ぜひ遠方の方も来仙の際は立ち寄ってほしい。


青野文昭インタビュー


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