美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

陶芸家S氏宅を訪ねて

2013-04-25 19:29:46 | レビュー/感想
2月の終わり、宮城県北の陶芸家宅を訪れた。車一台がようやく通れる幅のどろんこ道を抜けると、S氏の美意識の世界が奇跡的に実現された夢のような風景が広がっていた。縁側に布団を広げた藁葺きの陋屋、向かい側の段々畑を覆う白い雪が午後の日に輝いていた。手前の小屋の荒々しいばかりの土壁が否応なしに目に飛び込んで来る。後から聞いたところでは漆喰が塗られる前の下地状態なのだそうだ。未完成のまま放り投げられた美しさがある。

母屋の古民家の板戸の前で誰何すると、右手の鎧戸の下方から「少々お待ち下さい」との声がして、しばらくすると戸が開いた。まあるい眼鏡をかけたS氏が顔をのぞかせる。戦後花巻に蟄居した高村光太郎の姿が頭をよぎる。土間に立つと視線は自然と天井とそこに組み上げられた見事な梁の造型に向かう。シロアリに喰われた土台に近い部分を切って、つなぎ合わせたという太い柱。こんなプロの大工も敬遠しそうな手間仕事を重ね、ほとんど廃屋になりかかっていたのを、ご自身で5年をかけて再生したのだという。黒光りする床とそれに続く奥座敷には、S氏が収集した英国のアンティーク家具をはじめ、木彫、瓶、神棚などいずれも年ふりて存在感のある品がぽつりぽつりと置かれている。全てに彼の美の視線が感ぜられる。

奥座敷の端には文机があって、上には放射状の赤い後背を背負った弥陀の絵が掛けられている。机の上にはお椀や一輪指し、何か分からない小さい器が並び、中央には写真が入った木製の額が置かれていた。隣に大きな白い石棺が置かれていたのでS氏に聞くと、こともなげに「中国の古い骨壺ですよ」という返事。それがしばらく前に亡くなった奥さんを弔う「仏壇」だと気づいたのは、迂闊にも家を出てからのことだった。

薪ストーブのある小部屋で出だされた干し柿と銀杏を食むと、懐かしい味が口に広がった。お茶を出す時に用いた土瓶と湯のみがほっこりとしたかたちが印象深く、茶碗なりと求めたかったが、寡作ゆえに分けられる作品は今はほとんどないとすまなそうに答える。家を辞して振り返った屋敷林がやけに生き生きして見えたのは、この終いの住処に彼のいのちがあふれんばかりに注ぎ込まれている故であろうか。あえて陶芸家の名前と場所は、「あまり人が来ると」という、彼の願いを尊重して伏せておこう。

「世の人の見付けぬ花や軒の栗」。美と貧は親和性がある。

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