小さな村、中くらいの村、そしてとてつもなく大きな村があるだろう。それらの村々の連合がこの国のかたちであった。何時の頃からかと言えば、かなり古い昔(大和時代)なのか、はたまたもっともっと古い昔なのか分からない。長い争乱の時代を経て、江戸時代にはそれは藩のかたちとなった。藩連合はもっとも合理的な落ち着きどころであった。しかし、その藩の中にも入れ子状に村々が集合しており基本的には村落連合のかたちは変わらない。それは究極的な安定のかたち、「和」のかたちであった。共同体の縛りに耐え、「空気」を乱して村八分にならない限り、この村の中で穏やかに人生をまっとうできた。それは明治以降も同じである。藩は県と名を変えたが、ベースは村落連合であった。
近代以降、資本主義社会になっても、村落を会社に名前を変えただけで、大中小の村落連合の国のかたちは変わらない。不安定はそのかたちもグローバル化する世界の中に有るということから生じる。永遠に繁栄が続くわけではない。周期的に好不況の波が来る。村々の関係は大むね縦構造を成している。だから,不況ともなればその末端の小さな村からつぶれていくことになる。戦前にも世界恐慌の中で、村々は次々つぶれ、最も安定した大きな村にもひびが入ったり、崩壊する所も出できた。こうなると村に依存しての生活はなりたたない。人々の間により安定した大きな村を求めようという「空気」が醸成される。そこでにわかにリアリティーを持ってクローズアップされたのが、村落連合の合理的な調停システムとしての国ではなく、神聖幻想化された「巨大な村」としての「国」であった。
しかし、村と違って国は実態的な経済のベースではない。人々が求めるすべての人に平等な分配など、どんなに賢いリーダー(大審問官)が出て来ようと出来る訳がない。部分真理でしかない人間の正義感で政治をしようとする人物が、大衆の感情を操作して出て来たとしたら最悪だ。やがて財布も、人材もつきた時、不満と不安がないまぜになった巨大な感情の高まりの行き着く先は、「外圧」に原因を転化しての無謀な戦争であり悲惨な結末であったことはほんの一世代前に見て来たところである。それまでは先に述べたように「村八分」に合わない限り人々は安寧と平和を享受できていた。しかし、永遠に続く訳ではない。
そして戦後も、この流れは基本的に変わらないのだろうか?できれば同じところに行き着いてはほしくない。「みんなで頑張ろう」がいつのまにか「相互監視」の社会になり「一億玉砕」にならないでほしいとつくづく思う。こうした同じ間違いの轍を踏まないためにはどうしたら良いのだろう。丸山真男が焼け跡の中から促された反省的思考に再び戻って「村」ではなく「自律した個人」(=出る杭)が主体の国になればよいのだろうか。だが、戦後60年経っても実現できなかったことが果たして可能なのだろうか?孤独や絶望に陥らずに「自律した個人」であるためには何か人間の外部に信頼を寄せる普遍的な主体があらねばならない。ヨーロッパではそれは「神」であった。それに反応するのは人間の本源的なものに根ざす「共通感覚」であった。そして、時には村の論理にあらがいつつ、「美」というこの世ばなれした価値を追い求めているように見える芸術家もこの「共通感覚」に関わることで、社会に大きな意味を持つように思う。
近代以降、資本主義社会になっても、村落を会社に名前を変えただけで、大中小の村落連合の国のかたちは変わらない。不安定はそのかたちもグローバル化する世界の中に有るということから生じる。永遠に繁栄が続くわけではない。周期的に好不況の波が来る。村々の関係は大むね縦構造を成している。だから,不況ともなればその末端の小さな村からつぶれていくことになる。戦前にも世界恐慌の中で、村々は次々つぶれ、最も安定した大きな村にもひびが入ったり、崩壊する所も出できた。こうなると村に依存しての生活はなりたたない。人々の間により安定した大きな村を求めようという「空気」が醸成される。そこでにわかにリアリティーを持ってクローズアップされたのが、村落連合の合理的な調停システムとしての国ではなく、神聖幻想化された「巨大な村」としての「国」であった。
しかし、村と違って国は実態的な経済のベースではない。人々が求めるすべての人に平等な分配など、どんなに賢いリーダー(大審問官)が出て来ようと出来る訳がない。部分真理でしかない人間の正義感で政治をしようとする人物が、大衆の感情を操作して出て来たとしたら最悪だ。やがて財布も、人材もつきた時、不満と不安がないまぜになった巨大な感情の高まりの行き着く先は、「外圧」に原因を転化しての無謀な戦争であり悲惨な結末であったことはほんの一世代前に見て来たところである。それまでは先に述べたように「村八分」に合わない限り人々は安寧と平和を享受できていた。しかし、永遠に続く訳ではない。
そして戦後も、この流れは基本的に変わらないのだろうか?できれば同じところに行き着いてはほしくない。「みんなで頑張ろう」がいつのまにか「相互監視」の社会になり「一億玉砕」にならないでほしいとつくづく思う。こうした同じ間違いの轍を踏まないためにはどうしたら良いのだろう。丸山真男が焼け跡の中から促された反省的思考に再び戻って「村」ではなく「自律した個人」(=出る杭)が主体の国になればよいのだろうか。だが、戦後60年経っても実現できなかったことが果たして可能なのだろうか?孤独や絶望に陥らずに「自律した個人」であるためには何か人間の外部に信頼を寄せる普遍的な主体があらねばならない。ヨーロッパではそれは「神」であった。それに反応するのは人間の本源的なものに根ざす「共通感覚」であった。そして、時には村の論理にあらがいつつ、「美」というこの世ばなれした価値を追い求めているように見える芸術家もこの「共通感覚」に関わることで、社会に大きな意味を持つように思う。