美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

日本社会のイメージ

2011-06-25 05:39:19 | レビュー/感想
小さな村、中くらいの村、そしてとてつもなく大きな村があるだろう。それらの村々の連合がこの国のかたちであった。何時の頃からかと言えば、かなり古い昔(大和時代)なのか、はたまたもっともっと古い昔なのか分からない。長い争乱の時代を経て、江戸時代にはそれは藩のかたちとなった。藩連合はもっとも合理的な落ち着きどころであった。しかし、その藩の中にも入れ子状に村々が集合しており基本的には村落連合のかたちは変わらない。それは究極的な安定のかたち、「和」のかたちであった。共同体の縛りに耐え、「空気」を乱して村八分にならない限り、この村の中で穏やかに人生をまっとうできた。それは明治以降も同じである。藩は県と名を変えたが、ベースは村落連合であった。

近代以降、資本主義社会になっても、村落を会社に名前を変えただけで、大中小の村落連合の国のかたちは変わらない。不安定はそのかたちもグローバル化する世界の中に有るということから生じる。永遠に繁栄が続くわけではない。周期的に好不況の波が来る。村々の関係は大むね縦構造を成している。だから,不況ともなればその末端の小さな村からつぶれていくことになる。戦前にも世界恐慌の中で、村々は次々つぶれ、最も安定した大きな村にもひびが入ったり、崩壊する所も出できた。こうなると村に依存しての生活はなりたたない。人々の間により安定した大きな村を求めようという「空気」が醸成される。そこでにわかにリアリティーを持ってクローズアップされたのが、村落連合の合理的な調停システムとしての国ではなく、神聖幻想化された「巨大な村」としての「国」であった。

しかし、村と違って国は実態的な経済のベースではない。人々が求めるすべての人に平等な分配など、どんなに賢いリーダー(大審問官)が出て来ようと出来る訳がない。部分真理でしかない人間の正義感で政治をしようとする人物が、大衆の感情を操作して出て来たとしたら最悪だ。やがて財布も、人材もつきた時、不満と不安がないまぜになった巨大な感情の高まりの行き着く先は、「外圧」に原因を転化しての無謀な戦争であり悲惨な結末であったことはほんの一世代前に見て来たところである。それまでは先に述べたように「村八分」に合わない限り人々は安寧と平和を享受できていた。しかし、永遠に続く訳ではない。

そして戦後も、この流れは基本的に変わらないのだろうか?できれば同じところに行き着いてはほしくない。「みんなで頑張ろう」がいつのまにか「相互監視」の社会になり「一億玉砕」にならないでほしいとつくづく思う。こうした同じ間違いの轍を踏まないためにはどうしたら良いのだろう。丸山真男が焼け跡の中から促された反省的思考に再び戻って「村」ではなく「自律した個人」(=出る杭)が主体の国になればよいのだろうか。だが、戦後60年経っても実現できなかったことが果たして可能なのだろうか?孤独や絶望に陥らずに「自律した個人」であるためには何か人間の外部に信頼を寄せる普遍的な主体があらねばならない。ヨーロッパではそれは「神」であった。それに反応するのは人間の本源的なものに根ざす「共通感覚」であった。そして、時には村の論理にあらがいつつ、「美」というこの世ばなれした価値を追い求めているように見える芸術家もこの「共通感覚」に関わることで、社会に大きな意味を持つように思う。

ノスタルジア 遠ざかる風景

2011-06-07 11:03:38 | レビュー/感想
そこを出たらきっと自由の天地がある。「当局」の厳しい検閲や抑圧も確かにあったであろう。しかし、「放浪者」(映画ではモスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ)はむしろそう思うことで自発的に祖国を離れたに違いない。だが、そこにあったのはコミュニティが崩壊し、個々バラバラになってしまった「近代人=末人」たちの姿だった。それは「ドメニコ」が無言のうちに語るように、「信じること」を失った社会の成れの果てであった。終末が近いとの聖カテリーナの啓示を受け、ドメニコは家族を家に閉じ込めて予言の日を待つ。「無垢の人」ノアをとらえ、山の上に巨大な方船を造らせたのも、周りの人々から見ると馬鹿げた啓示だったかもしれない。(旧約聖書『創世記6章-9章』)結局、妻と子ども達は、住民の訴えを聞いた公権力の手で監禁から解放され、今、屋根が壊れ雨水が常に漏れ落ちる、半壊した石造りの家には、ドメニコ一人が孤独に暮らす。この狂人と呼ばれる人物が、愛する者たちからも見捨てられて、なおもたった一人で自分に託された警告のメッセージを公に知らせる役目を果たすとしたら、死を賭けた行動しかもはや残されていない。

とまれ。「アンドレイ」は、「ドメニコ」と出会う。田舎に残る宗教行事に、素朴な民衆の信仰を見ても、懐疑の思いを晴らすことのできない彼ではあったが、ドメニコのまっすぐな人格に心打たれる。直後、ドメニコはローマのスペイン広場で民衆に叫ぶように訴え、自ら灯油をかぶり火をつけて命を断つ。市ヶ谷の自衛隊基地のバルコニーの上で演説し切腹して果てた、あの三島由紀夫のような衝撃的な結末だ。三島の時と同じように、そこにいる誰も常軌を逸した彼の声に耳を傾けようとはしない。しかし、ドメニコの死を賭けた最後の訴えはアンドレイの決心を促す。広場を浸す湯治場の湯がすっかり引いて石畳の底が見えたとき、一本のろうそくに火を点し、その火を消さずに広場を往復すること。それが破滅を回避し世界を救う道だという。まったく馬鹿げたミッションであった。しかし、アンドレイは信じて引き受け、辛抱強く何度も試みてついに約束を果たす。その間の長まわしのカットが感動的だ。

この放浪者「アンドレイ」と狂人「ドメニコ」は、ソ連から亡命し奇跡的に美しい映画を残しつつも寄留地イタリアで客死したアンドレイ・タルコフスキーの揺れ動く魂の似姿であろう。「放浪者」が「狂人」の魂と一つとなって「信じること」への飛躍を遂げた後には、ほんとうにパラディーゾが待っているのだろうか。それは分からない。しかし、とてつもなく馬鹿げたことを信じられるようになったという、そのこと自体が「啓示」と言えるかもしれない。

タルコフスキーの「ノスタルジア」(原題NOSTALGHIA)以上に、「究極のニヒリスト」かもしれない芸術家のロマンティク・アゴニー(Romantic Agony)を夢の織物のように美しく表現した映画はない。そこにもまさしく「常に遠のいてゆく風景、麗しい距離(ディスタンス)」と、かつて北方の詩人(吉田一穂)が謳った芸術創造のメカニズムが働いている。決して得られることがない故に、現代の絶滅貴種たる芸術家の魂を引きつけるもの。永遠の「ノスタルジア」としてのみ存在する世界が、奇跡的に映画のスクリーンに映し出される。廃墟の教会を背景に、故郷の沼のほとりにやすらぐ男の姿。その姿を慰撫するかのように、静かに絶え間なく天上から白い雪が舞い落ち、危うい映写の光と交錯しながら消えてゆく。

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