たまたま仙台の隣り、多賀城市の東北歴史博物館で「大白隠展」が開かれていることを知って急遽訪れた。五月晴れの平日だったが、男性が一人熱心に見ているだけで会場はガラガラ、まさしく独り占め状態で、何度も出たり入ったりしゆっくり見ることができた。一見、単純に筆の勢いに任せて描いたような墨絵なのだが、それだけ時間をかけて何度見ても見飽きないのは、作品が秘めた深い精神世界のゆえであろうか。傍に添えられた解説も実行委員のお坊さんが書かれたのか、ときに禅の公案の内容まで深く入った中身の濃いものもあった。
入ってすぐのところには達磨像が11枚ずらりと並ぶ。白隠の筆頭弟子、遂翁元盧が描いた「白隠慧鶴像」と、眇(すがめ)といい、頭や鼻の形がそっくりだから、これら達磨像は自画像に近いのではないだろうか。もっとも達磨のイコノグラフィーがあって、遂翁の「白隠像」は、尊敬する師をそれに擬して描いているのだとしたら、実像は分からない。いずれ達磨像であれ、白隠像であれ、ひたすら厳しい修行と座禅を重ねて眼光鋭い異形の人となった僧の姿と見えなくもない。じっくり見てると、まるで岩に浮き上がった人の顔のようでもある。しかし、筆跡の強弱とスピード、墨痕の明暗、緊張感あふれ、ときに意表をつくレイアウトの妙など、とても真似の出来るものではない。
これらの達磨像はいつ頃の年代のものか分からないのだが、私はまだ若い時の作品と思いたい。臨済禅中興の祖といわれる白隠は若い時からずばぬけて優秀なお坊さんであったようだが、達磨や聖徳たちを模範としつつ、その悟りの境地に近づこうと研鑽努力していた時代の作のように見える。
しかし、凡夫であろうとも、長生きの功徳は、努力で実現しようとするものではなく、もともとあるものに気付かせる自然過程をともなう。それを仏道では知恵の目では見えない心の根源=仏性への目覚めとして「本覚論」のうちに語るが、この自己中=「空」の気づきから他者愛への大転換が、白隠にもあったように思われる。その姿は実在した中国禅宗史上の愛すべき人物、布袋の一連の姿に描かれている。カタログの説明によると、布袋和尚の禅は、「深山の仏法ではない。庶民が生活する場所に出向いて法を説く、十字街頭の仏法である」という。空っぽの袋しか持たぬ、優しくユーモラスな布袋の姿は、巷間に慈悲の目で法を説く、白隠の姿でもあったのだろう。
この東北歴史博物館は、幾つかの小展示用の部屋があるが、お奨めしたいのはアイヌの刀剣を展示した杉山コレクションの部屋。それまではアイヌの工芸文化というと、木彫りや刺し子の衣服しか思い浮かばなかったのだが、刀剣を飾る金工細工にこれほどの繊細精緻な技術とセンスを持っていたとは驚きで、アイヌ人に対する従来の見方が変わった。とりわけ奥の正面に飾られている、邪を祓うために作られたという一振りの刀剣は、純粋な信仰に基づく、作為性が全く感じられない奇跡的な産物だと思う。これを見れただけでも儲けものというものだ。
入ってすぐのところには達磨像が11枚ずらりと並ぶ。白隠の筆頭弟子、遂翁元盧が描いた「白隠慧鶴像」と、眇(すがめ)といい、頭や鼻の形がそっくりだから、これら達磨像は自画像に近いのではないだろうか。もっとも達磨のイコノグラフィーがあって、遂翁の「白隠像」は、尊敬する師をそれに擬して描いているのだとしたら、実像は分からない。いずれ達磨像であれ、白隠像であれ、ひたすら厳しい修行と座禅を重ねて眼光鋭い異形の人となった僧の姿と見えなくもない。じっくり見てると、まるで岩に浮き上がった人の顔のようでもある。しかし、筆跡の強弱とスピード、墨痕の明暗、緊張感あふれ、ときに意表をつくレイアウトの妙など、とても真似の出来るものではない。
これらの達磨像はいつ頃の年代のものか分からないのだが、私はまだ若い時の作品と思いたい。臨済禅中興の祖といわれる白隠は若い時からずばぬけて優秀なお坊さんであったようだが、達磨や聖徳たちを模範としつつ、その悟りの境地に近づこうと研鑽努力していた時代の作のように見える。
しかし、凡夫であろうとも、長生きの功徳は、努力で実現しようとするものではなく、もともとあるものに気付かせる自然過程をともなう。それを仏道では知恵の目では見えない心の根源=仏性への目覚めとして「本覚論」のうちに語るが、この自己中=「空」の気づきから他者愛への大転換が、白隠にもあったように思われる。その姿は実在した中国禅宗史上の愛すべき人物、布袋の一連の姿に描かれている。カタログの説明によると、布袋和尚の禅は、「深山の仏法ではない。庶民が生活する場所に出向いて法を説く、十字街頭の仏法である」という。空っぽの袋しか持たぬ、優しくユーモラスな布袋の姿は、巷間に慈悲の目で法を説く、白隠の姿でもあったのだろう。
この東北歴史博物館は、幾つかの小展示用の部屋があるが、お奨めしたいのはアイヌの刀剣を展示した杉山コレクションの部屋。それまではアイヌの工芸文化というと、木彫りや刺し子の衣服しか思い浮かばなかったのだが、刀剣を飾る金工細工にこれほどの繊細精緻な技術とセンスを持っていたとは驚きで、アイヌ人に対する従来の見方が変わった。とりわけ奥の正面に飾られている、邪を祓うために作られたという一振りの刀剣は、純粋な信仰に基づく、作為性が全く感じられない奇跡的な産物だと思う。これを見れただけでも儲けものというものだ。
素敵なご指摘、感謝です。
東北歴史博物館は2度訪れましたが、杉山コレクションというのは気がつきませんでした。迂闊でした。今度訪れた時は是非忘れずに見たいと思います。
達磨像に限らず、釈迦像も、そしてひょっとしたら布袋像だって、自画像かと思うようなものがありました。確かに時期の問題は考証が必要かもしれませんね。
「南無地獄大菩薩」の墨書、見ることは見ました。2012年のBunkamuraザ・ミュージアムでした。
当時は「書」としてあまり惹かれることはなかったのですが、もう一度自分なりに考えてみたいと思います。
蕭白は雲龍図以外、どう評価したらいいか今勉強中です。考えがまとまりましたらブログにアップしますが、まとまらないかもしれないです。
素人の図々しさでノンビリとやっていきたいです。
またいろいろと教えていただきたいと思っています。