美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

レオナール・フジタ展 せんだいメディアテーク 5月24日

2009-05-25 10:23:27 | レビュー/感想
「メディアテーク混んでたみたいだけど、話題の幻の群像大作、どうだった?」
「陰影で骨格や筋肉が描かれているのだけど、リアルな存在感にどれも乏しいんじゃないかな。東京美術学校時代、黒田清輝が酷評したのもむべなるかなだね。写実主義や印象派の画法を自家薬籠中のものにした黒田から見たら、許し難いと思うよね」
「ん、確かにへたくそね。でも、国内画壇でどんなに高度な西洋の正当画法を身につけ、高い評価を得たとしても、フランスに行ったら単なるまねっこになってしまう現実を、彼は脳天気な国内画家と違って知ってたんだと思うわ」
「フランスの絵画マーケットで生きて行くには、日本人である藤田にしか描けない絵でなけりゃね。「藤田の白」と呼ばれる白いうす塗りのマチエールもあの面相筆による細いりんかく線も、差別化のスタイルを強くもとめたところから出てきたんだろ。だけど、そのあわあわとしたスタイルでは大主題は描けなかった、失敗に終わらざる得なかったということかな。それにしても今度の展示会には傑作が出てなかったような気がするね」
「初期の作品で心を引かれたのは、唯一女性を二人描いた絵だけだったように思う。パスキンやモディリアニなどの画家の作品から感じるのと同じ悲哀の感情が伝わってきたわ。後は、まるで漫画やイラストを見ているようね。これを見ると売れっ子になってからは売れ筋をオートマチックに描いた面があったんでしょうね」
「このフラットさは、今の若手画家の流行現象に通じるところがある。幾分、フランス画壇での成功という思惑が入っているね。この展覧会では僕はカトリックの洗礼を受けた後の後期の絵の方にいい作品があったとおもうな。もう画壇でどうポジショニングするかなんてどうでも良くなった。自分がなっとくする絵を描きたいと仕切直ししたんだと思ったね」
「精神的な世界を描いても藤田の場合、深まらないのよね。それにちょっとこれ画面に詰めすぎじゃないと思う絵があったわ。藤田にとって、抽象という方向性はなかったのかしら」
「確かに漫画タッチから劇画タッチに移ったような感じがするね。ぼくは白土三平のタッチを思い出してしまったよ。藤田の画集を見ると、画狂人北斎にいちばん感化された人だからね、藤田の作品の中には、前期の作品の中にも、偏執狂的な、それだけに見応えのある作品があるはずだけどね」
「今まで悪口を大分言っちゃったけど、選択が悪いのかしらね。「藤田の白」というステレオタイプの見方を離れても見応えのある質の高い一枚があれば、画室の再現など人寄せの趣向は必要ないと思うわ」
「そうだね。本質を見極めないで、マーケットしちゃう時代だからね。藤田に初めて触れた人がこの作品だけで評価するとしたら、天国で藤田はじたんだ踏んでいると思うな」

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水墨画の輝き 2009年5月19日(火) 出光美術館

2009-05-22 17:56:46 | レビュー/感想
室町時代、筆線を重視する中国画壇から見れば「逸」とされる牧けいの水墨画が好まれ、そこから日本人の感性に会った水墨画が誕生し、発展していく過程が一望できる展示会だった。いろいろな発見があったが、長谷川等伯が情感の画家であること、しかも、その情感が近代人のものであり、レンブラントとの近親性を感じたのはうがちすぎだろうか?俵屋宗達はのっけから抽象化の傾きを持った画家なのだろう。写実の方向性から逸脱したその行く先は、浮世絵であり、現代に及んでは漫画であろう。宗達の描く虎はなるほどユーモラスで「かわいい」。宮本武蔵のスピード感あふれる筆致は、剣豪の太刀筋の鋭ささながらに、殺気すら感じられる。ゴッホの自画像を見たときのように激しく一直線に迫ってくるものがある。アウトサイダー武蔵の、生きるか死ぬかの対戦の生活から生まれたすごみ十分の絵は、職業画家の絵とは全く次元の異なるものだと思う。

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