美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

馬渡裕子新作展 after dark 12/3~8 杜の未来舎ぎゃらりい

2019-11-10 16:59:52 | レビュー/感想

今年5月、リアス・アーク美術館で東北で活躍する若手作家を紹介するシリーズで展示され、高い評価を得た「VS」をはじめ、馬渡裕子の最新作を展示します。関連してこの時書いた当ブログの文章を再掲載いたします。当ギャラリーでは、毎年年末のクリスマス前のこの時期、馬渡展を定例開催していますが、今度はどんな新作が見られるのか、毎回ワクワクさせられます。淡々とした日常に異世界とのささやかな通路を拓き、凡庸な目には見慣れた世界との、思いもかけぬスリリングな出会い方、楽しみ方を教えてくれる馬渡ワールドの魅力を、もっと多くの方に知ってもらいたいと思っています。

昼間に我々が経験したことや見たことは無意識層の中に積み上げられ、夢の中で唐突に予想外のイメージとなって蘇ることがある。馬渡さんの絵は、この夢のイメージをスナップショットのように、キャンバスに定着させたもののように見える。しかし、夢の形や色をそのまま写実することは難しい。なぜなら夢は眠っているときの脳の働きによって生まれる極めて主観的な閉じた体験だからである。目が覚めて我々は夢の片鱗を元にそれを再構築しようとするが、それはすでに意識の世界の出来事であり、「そのような夢を見た」と言ってるに過ぎないのかもしれない。まして、色や形を正確にとなると‥‥

さて、馬渡さんの絵についてである。そう言うことだから、その一見夢のように見える世界は、精神分析の対象になるような夢の報告ではなくて、画家が意識的に作り出した世界ということになる。画家自身、「毎日を過ごす日常の風景とそれを眺める目の間に、スライドのように今そこにない光景を挟み込む」と創作の秘密に触れているが、こういう常人には真似のできない意識的な操作と高度な絵画技術が合間って、画家のユニークな絵画世界を形作っているのである。

それは主観と客観(一般認識としての)の間に精緻に打ち立てられた中間領域のようなものだ。どのような場所かというのを譬えるとするなら、自分の幼年時代のことを思い出したら良い。女性なら片時も離さない人形やぬいぐるみがあったであろう。そしてこれら無生物に想像力を発動させ、極めて生き生きとした生活世界を形作っていた。だが誰もがここから卒業させられる時がくる。それが成長していくことだ、大人になっていくことだと言われつつ、また自分でも納得しつつ。

馬渡さんの絵は、大人になってしまった我々にもこの世界を再び蘇らせてくれる。画家が扱うモチーフには、人間はもちろん、ウサギやネコやクマやトリなど様々な動物が出てくるだろう。しかし、それらはどこか人形っぽい、ぬいぐるみっぽい、あるいは置物っぽい。かといって無生物かというと、微妙な仕草や表情はまさに命のあるもののそれだ。画家が繊細な造形センスとスキルによって作り上げた世界の中で、それらは確かにリアリティーを持って生息している。

ほとんどの作品は平平たる日常の中で、画家のアンテナが捉えた生活風景や物が基本のモチーフになっている。しかし、ときに衝撃波が襲う。例えば、あの大震災はどうだろう。その前には予兆のように一群のお化けが登場してたり、その後には変幻する霊のようでもある巨大な盆栽がクラシックカーと合体するなど、画家の穏やかな絵の世界にも黒雲が広がり不穏な嵐が感ぜられた。この現実の災厄から呼び起こされたかのような異世界からの強い力は、最新作「VS」に例をとれば、力士の目から発するビームとなったり、画家の静止的な世界を時折揺り動して、白昼夢のようなちょっと怖い異様なイメージを喚起する。

勤め先の広告用ポストカードの元絵を始め多くの小品には、言葉にしすぎると魅力が砂のように滑り落ちてしまう程の、ささやかなストーリーが見る者の想像力を刺激する。お馴染みの馬渡アイコンと彼らが生息するギリギリまでシンプル化された舞台装置を通して、誰もが幼年時代に持っていた想像力を働かせて、小さなフレームの中に立ち上がった馬渡世界の構築に参加できる。その開かれた自由さが美術ファンのみならず、一般の人も深く魅了する馬渡絵画の持ち味であろう。

ちなみに、今回のメイン展示、「vs」(キャンバス、油彩、1167×910mm)は、モノとモノとの予想を超えた出会いから生まれる不思議な想像世界を、品位とエレガンスの質を保ちつつ、二次元画面にしっかり着地させる、画家のセンスと集中力の非凡さを象徴的に表しているような作品です。

 

馬渡裕子作品集

馬渡裕子新作展 2014 11/17~30




究極のミニマリストライフモデルか? Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2019-11-08 13:32:39 | レビュー/感想

究極のミニマリストライフモデルか?

真贋の判定は難しい。しかし、これはフェークであろう。どうしてkirstenがこんな異質なモチーフを撮影することになったか、その経緯は分からない。力量のある取材者であればいろいろ問い詰めるであろうが、編集者の判断を最初の取材対象の選択に限定することで、あとはコメントを交えず登場人物に好きなように語らせ、リアリティーをそのまま発信する、このシリーズの制作スタイルでは、それも叶わない。だから視聴者が全く自分で判断するしかないが、そこがテレビと違うYouTubeの面白さかもしれない。

さてフェークだと思う理由はこんなところにある。この森の中での生活の映像は、静かで美しい。ソローの生活の理想をまさに体現している奇特な方がいるもんだ、と最初は思った。しかし、見続けるうちにどこか怪しいところがあるのに気づき始めた。建物とその美的に整えられた内部は映画のセットじみている。7年間もここに暮らしているなら、家自体には経年の変化が染み込んでいるはずだ。しかし、どこにもそうした損傷は見られない。洗いざらしの真っ白な椅子カバー、ベッドカバー、カーテン。確かに特別に潔癖症の人なら可能だろうが、どうも非日常的だ。この撮影のためにしつらえた感じがする。

特に著しいのは生活感の欠如である。完全なオフグリッド生活だから灯りはろうそく、そして煮炊きは暖炉の薪に鍋を乗せてする。何年間もこんな生活もしていたら、ロウや溢れた食べ物で床は汚れ、舞い上がる煙で天井から壁まで煤けてしまい生活の匂いがプンプンするはずだ。だが積年のそうした生活の匂いは全く感じられないのだ。そのほか生活していれば必要になる種々雑多なものはどこにしまってあるのだろう。例えば夫人が着ている質素だが品質の良さげな服はどこで洗って干してアイロンをかけ、どこに収納しているのだろう。決定的なのは他のトピックでは必ず出てくる夫が出てこないことだ。どこに行っているのだろう。喋り方もやけに気取った感じがしている。

好意的に考えれば、ソロービアンの伝統的シンプルライフを推奨するプレゼンテーションと言おうか。「いいんでないの」という向きもあろうが、だがそのことを明かさないとしたらやはり不誠実だ。こんな手の込んだ世への売り込みができるのは、これは想像だが、仕掛け人である夫はかなりのインテリジェンスの持ち主で余裕のある人(大学の先生、あるいは建築デザイナー・・)なのではなかろうか。しかし、この奥さんは産業革命時代の初歩知識のラッダイド運動も知らなかった。とにかく皆さんも世の中にはこういう手の込んだ嘘があるから、ご用心。とりわけいかにも正義、いかにも美しい、いかにも整えられていると思うものには必ず裏があると思っていい。さて皆さんはどう思う?



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青野文昭 ものの,ねむり,越路山,こえ 11/2~1/12 主催 せんだいメディアテーク

2019-11-06 11:48:16 | レビュー/感想

2011年3月11日、巨大な何かが、たくさんの生命を呑み込んで通り抜けていった。記憶という名の霊となって物質に張り付いているそれらの痕跡を、仙台の卓越したアースダイバー、青野文昭さんのアンテナが捉え、掘り起こし再生し、見事に視覚化している。あの出来事への美術家からの初めての深く内的な反応だと思う。古くから霊が越える場所だった八木山越路(「こえじ」は、仙台市南面の住宅地となっている。伊達政宗も、江戸、東京と同じく、近世に仙臺を造るとき、霊的な設計をした)から、今も見えざるものたちは、ついにはクルマとスマフォだけが残ったように見える、プラスチック都市の未明の暗闇にもボウボウと吹き下ろしてきている。いや、近代人の眠りを揺さぶる常人を超えた力仕事にびっくり。今年二番目の収穫。一番目はウチでやった野中&村山展😅 この作品の背景として次のささやかな経験を追加で書き留めて置く。震災の翌々日、車で妻と海辺へと向かった。高速道路の下を通るトンネルを抜けると、見慣れた風景は一変して、うず高く積まれた瓦礫の山が延々と続いていた。夢のようだった。かろうじて一台取れるぐらいの道を農家の人の軽トラだろうか、被災した住居との間をただオロオロと行き来していた。その切迫した様を見ながら、黒沢明初のカラー映画「どですかでん」で六ちゃんがゴミの山の間で電車ごっこしているシーンを思い浮かべている、変な自分がいた。信じ頼っている合理性に基づいて作られた文明も、実は一瞬のうちに崩壊する不条理な、しかしあまりにもリアルだから、むしろ夢のような現実の唐突な出現。この展示は、その時の目と心を蘇らせる。一人の美術家を通して、様々な生活の痕跡とともに再生された「霊」の宿る街。これがわれわれの住む街の真実の姿かもしれない。1月までやっているようだから、ぜひ遠方の方も来仙の際は立ち寄ってほしい。


青野文昭インタビュー


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