美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

文化輸出の意味

2011-11-05 06:21:36 | レビュー/感想
海外に扱っている作家さんの作品を持っていきたい、とかねてより思っていたが、この大地震によりその機会が唐突に訪れた。英国の陶芸家による大震災の支援組織「窯炊きプロジェクト」から、9月開催の日本陶芸に関するイベント(Contemporary Japanese Ceramics:The Old & The New)に、東北の被災作家の代表として岩手県藤沢の山中に窯を持つ本間伸一氏が招聘されたのだ。さらに12月にはニューヨークで開催される復興支援のオークションには東北の若い作家を数人エントリーした。

この小さな取り組みの中からさえインターネットという現代の魔法のツールを媒介として海外との結びつきが生まれた。情報世界ではまぎれもない現実となっているグローバリズムを身近なところで思い知らされる出来事だった。と同時に、今後どういうスタンスで工芸品なり美術品という「物」を持っていったらよいかを明らかにしておく必要があると思った。

明治時代にも重商主義的な国家政策の後押しもあって、パリ万博を機に日本の工芸品が大量に海外へ輸出されたときがあった。例えば薩摩焼は鹿児島だけでなく京都や横浜でも製造された輸出工芸品の花形だった。豪華絢爛な色絵錦手の磁器、いうならば日本製の「ロココ磁器」が盛んに作られた。確かにその超絶的な技巧には感心させられるが、好みではない。それは商売を先に考えてのことだろうが、今も欧米輸出を意識して作られる他の工芸作品についても言えることだ。中国風に見えるかたちにこれぞ日本といわんばかりの装飾が張り付いているような印象をそれらの作品には抱いてしまう。

本当に持っていきたいのは、ポピュラーな文化的な意匠を越えたところで訴える力と深度を持っている作品である。親から受け継いで来た血や生まれ育った風土はどうしようもなく変えようないものとしてある。それがフォルムや色彩の個性となってあらわれるのは当然のことだ。しかしそのさらに奥底にあるいのちは人類に共通のものだ、と思う。人類のルーツアフリカの一人の女性(ミトコンドリア・イヴ)に宿ってすべての人類に受け継がれてきた魂。その証しが日本の芸術にもあると信じたい。

さて、本間氏は英国でフリータイムにロイヤルアルバートミュジアムの2階を訪れ、中世や古代の膨大な陶芸の展示品を見て来て、感銘を受けたという。彼は陶芸というジャンルを抜きにすれば、古代の生命的な表現を現代に持ち込んだブランクーシに近い資質を持った作家ではないか、とあるときに思ったが、日本中世の器の美にインスパイアされ、内発的な生命力にあふれたシンプルで美しい器を作り続ける彼に、それが今後どう影響を与えるか、楽しみではある。

”create like god, command like king, work like slave”「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」(コンスタンティン・ブランクーシ Constantin Brâncuşi 1876年2月19日 - 1957年3月16日)

写真は、コーンフィールドにあるウイッチフォードポタリー主催のワークショップで日本陶芸独特の手びねり技法を披露する本間氏。手前はGas君嶋氏、ロックンローラーとして英国に渡り25年、英国在住の日本人陶芸家にして、ケンブリッジに所蔵されている未公開の日本中世陶芸の研究家でもある。「窯炊きプロジェクト」の中心スタッフとして本間さん招聘のために大きな働きをして下さった。

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