展示場に入ってすぐに14歳の時の作品があった。もうこれだけ見て脱帽だった。対象が発する生命感をキャッチする能力はこのときからずば抜けていると思った。若い頃は探偵小説作家〈地味井平造〉としても活躍した。「煙突奇談」という作品の出だしを展示ケースのガラス越しに読んだが、煙突の上の死体いう奇想天外な始まりに驚かされた。大正から昭和初期、ハイセンスな都市部インテリ層の間で人気のあった雑誌「新青年」とも繋がりがあったという。時代のトレンドに無関心というわけでもなくてキュービズム的な作品も描いている。そうした若いときの絵には形態や色彩感覚において独創的な印象を与える作品もあるが、近づいてみるとずいぶんと稚拙なタッチだ。例えば猪熊げん一郎のようにトレンドのピカソやマチスのタッチを難なく身につけて、生得のセンスでそれにまさるとも劣らない作品をスピーディーに仕上げて、世に受け入れられるというタイプの作家とは対極的な作家だったのだろう。不器用といったらよい画家だった。(自ら〈地味井平造〉を名乗るぐらいだから。)これは交流のあった稲垣足穂(足穂の「お星様と出会う話」をまねた(?)「お月様と出会う話」を書いている)と似通ったものがあったのではなかろうか。足穂は文学に対して不器用であった。それは情緒的・感性的な文壇主流のステレオタイプを超えた文学の彼方を追い求めたからであった。しかし、不器用なゆえの長い時間の鍛錬が詩人の魂と熟練の職人の手が合体した至福の絵を可能にした。
パリ滞在中遠近法に基づいた作品も残している。塀に囲まれた一本道を描いた作品だが、塀の内側に入り込めそうに思えるぐらい風景は存在感を持って迫ってくる。これは岸田劉生の『道路と土手と塀(切通之写生)』に見る現実感に匹敵すると思う。荻窪の風景を描いた作品の土の存在感はどうだ。岸田劉生と潾二郎はこの2つの絵画で問題意識を共有している。しかし、劉生は後年娘麗子をモデルとした人物画の上で、デューラー的な写実的表現の影響を脱して、日本のアンチロジカルな手法を通して事物の奥にある世界へと接近していく。潾二郎の写実的な風景画には世界が存在し、それを見ている眼があるということの根源的な不可思議さと喜びが表層的な技法を突き抜けてキャンパスの上に定着されている。
病を得て後年は静物画の方に向かい、身近な静物をくりかえし描くようになった。潾二郎の関心は構図や色彩といった道具立てでできた絵画技法的な次元からだんだん離れていったようだ。そうした企みがもはやないことを示しているように、静物は等間隔でおかれるようになった。この感じ(静かな時間が流れる感じ)はどかで見た。果物(りんごやももの本当に旨そうなこと!)や器の上には確かにフェルメール的な存在の輝きがある。しかし、最初に思ったのはジョルジュ・モランディであった。イタリアのボローニャでアトリエにこもり、地味な色彩で卓上静物に終生取り組み独特の静寂の世界を形作った画家である。初期に未来派及び形而上絵画との接触があった点も潾二郎と似通っている。東洋と西洋で同時代に同じ謎に向きあっている作家がいたことの不思議さを思う。こうした絵をどうして幻想的とか神秘的とかいってすましているのだろう。また、シュルレアリズムなどという分からないものを均並みにぶちこむための便利なゴミ箱を持ち出すのだろう。様々な文化的歴史的に形作られた頭でっかちのフレームをはずして、素の眼で目の前のものを見たらいい。この不思議な、説明不能な現実を、長谷川潾二郎はキャンパスの上に生涯をかけて淡々とした生活を保ちつつ描き出そうとしていただけなのだと思う。
最晩年に葉をすっかり枯れ落とした樹木の先端部分を冬空をバックに描いた絵がある。それは自然の事物を通して存在の背後にある永遠を追い求めた画家のイコンのようであった。これが画家のできる限界、人間が見ることの限界だよとそれは静かに語りかけているかのように思えた。個性を競い合って、その実似通った騒々しい作品が溢れる中で、久しぶりに静かな幸福な数時間を過ごさせてもらった。
「この世のものとは思われない趣さえある」のは私の画ではなくそれは目前の事実である。-長谷川潾二郎 未定稿〈絵画について〉より
「藝術は真剣な営みであり、人が高貴にして神聖な対象に携わる場合、それは最も真剣な営みとなる」ーW・K・ゴーティッシュー
パリ滞在中遠近法に基づいた作品も残している。塀に囲まれた一本道を描いた作品だが、塀の内側に入り込めそうに思えるぐらい風景は存在感を持って迫ってくる。これは岸田劉生の『道路と土手と塀(切通之写生)』に見る現実感に匹敵すると思う。荻窪の風景を描いた作品の土の存在感はどうだ。岸田劉生と潾二郎はこの2つの絵画で問題意識を共有している。しかし、劉生は後年娘麗子をモデルとした人物画の上で、デューラー的な写実的表現の影響を脱して、日本のアンチロジカルな手法を通して事物の奥にある世界へと接近していく。潾二郎の写実的な風景画には世界が存在し、それを見ている眼があるということの根源的な不可思議さと喜びが表層的な技法を突き抜けてキャンパスの上に定着されている。
病を得て後年は静物画の方に向かい、身近な静物をくりかえし描くようになった。潾二郎の関心は構図や色彩といった道具立てでできた絵画技法的な次元からだんだん離れていったようだ。そうした企みがもはやないことを示しているように、静物は等間隔でおかれるようになった。この感じ(静かな時間が流れる感じ)はどかで見た。果物(りんごやももの本当に旨そうなこと!)や器の上には確かにフェルメール的な存在の輝きがある。しかし、最初に思ったのはジョルジュ・モランディであった。イタリアのボローニャでアトリエにこもり、地味な色彩で卓上静物に終生取り組み独特の静寂の世界を形作った画家である。初期に未来派及び形而上絵画との接触があった点も潾二郎と似通っている。東洋と西洋で同時代に同じ謎に向きあっている作家がいたことの不思議さを思う。こうした絵をどうして幻想的とか神秘的とかいってすましているのだろう。また、シュルレアリズムなどという分からないものを均並みにぶちこむための便利なゴミ箱を持ち出すのだろう。様々な文化的歴史的に形作られた頭でっかちのフレームをはずして、素の眼で目の前のものを見たらいい。この不思議な、説明不能な現実を、長谷川潾二郎はキャンパスの上に生涯をかけて淡々とした生活を保ちつつ描き出そうとしていただけなのだと思う。
最晩年に葉をすっかり枯れ落とした樹木の先端部分を冬空をバックに描いた絵がある。それは自然の事物を通して存在の背後にある永遠を追い求めた画家のイコンのようであった。これが画家のできる限界、人間が見ることの限界だよとそれは静かに語りかけているかのように思えた。個性を競い合って、その実似通った騒々しい作品が溢れる中で、久しぶりに静かな幸福な数時間を過ごさせてもらった。
「この世のものとは思われない趣さえある」のは私の画ではなくそれは目前の事実である。-長谷川潾二郎 未定稿〈絵画について〉より
「藝術は真剣な営みであり、人が高貴にして神聖な対象に携わる場合、それは最も真剣な営みとなる」ーW・K・ゴーティッシュー