チャールズ・ベローと妻ヴァンナは、52年前、北カルフォルニアの水も電気も何もないセコイアの森に、自給自足のシンプル生活に憧れて移ってきた。240エーカーの土地を買うために預金をほとんど使い果たしたので、家は彼ら自身の手で建てなければならなかった。最初の家は、パネル構造のAフレームキャビンで、2~3の家族の協力も得ておよそ5日で建てた。トータルコストは2,800ドル(今のレートで30万円というところ)だった。
彼らの土地は30分ほど未舗装の道を降ったところの裸地だったので、家に通じる橋や道やインフラも自分たちで整備しなければならなかった。冷蔵庫も電話もない生活が電話のケーブルを引き太陽光パネルを整備するまで数10年続いた。
Aフレームキャビンでの生活が15年続いた後、森の中に、また家を建て、周りの木々が視界を遮るようになるまでそこに10年住んだ。1991年にチャールズは、かって有名な建築家リチャード・ニュートラの弟子だったが、彼がデザインしたのは放物線状のガラスの家(Parabolic Glass House)だった。曲がったまっすぐの木の屋根と曲がった2つのガラスの壁を基本構造とし、樹木ですっぽり包まれている感じがする家のイメージだった。
二人はその家を、ドアノブからストーブまで廃品を用いながら自分たちで製材した材木で8,500ドルで建てた。電源・熱源として太陽光や太陽熱、ガスを用い、家に繋がった掘り込んだ温室からは彼らの食物の多くを得た。それらを缶詰にして保存することで、食料品店に行くことなしに何ヶ月も暮らした。二人の子供たち(少年)は家で教育し、クリスマスツリーを売ることで彼らを養った。
土地の古木のほとんど全ては、20世紀初頭に切り倒され薪にされたが、チャールズは半世紀かかってその土地を元のように再生させた。引き続き森の手入れと保存に努めるため、二人は1997年に「セコイヤの森協会」を設立した。彼は注意深く1000本の木を選び、古木に変わる次世代の木として2000年の間保存されるべきものとした。
現在チャールズは妻を失って88歳となり(映像を見ると信じられないくらい元気だ)、継承者を見つける決意をした。この地(現在4〜6百万ドルの価値がある)を大切に守り続けてくれることとを条件に、ここに住みたいと思う3組の夫婦を探したいというのが彼の願い。その資金繰りを助けるため、自然体験のためのゲストハウスを何棟か建ててようと思っている。3組の夫婦によるコミュニティは自給自足では成り立たない。外部との関わりがもっと必要になってくると、チャールズが描いたシンプルライフの理想とコミュニティ経営の現実との難しいバランスの問題が出てくるように思う。
アメリカには表立ってマスコミでは取り上げないが、独立自尊とDIYの精神でたくましく生きる人たちがいる。これらの人々はアメリカの自由主義思想の基底部にいる人たちなのだろう。チャールズもその一人。タイニーハウス運動も、都市に依存せずに自立した生き方をしようという流れの中から生まれた。この傾向は、コロナ騒動で都市崩壊が進む中で、ますます加速されるだろう。しかし、タイニーハウス は、ともすると借金せずに収納に優れた個性的な小さな家を建てるそれだけの流行現象に終わってしまう。日本ではなおさら商業主義的な傾向に流されて、「生き方の革命」という根の部分は薄れてしまっている。車をつけた家で風光明媚な自然豊かな場所に短期間停車しつつ暮らす気ままな「ジプシー生活」は若いときにはいいだろう。しかし、やがてそれも虚しく思うときがくる。やはり生きることの充実感は、定着した土地で苦闘しつつ、暮らしを一歩一歩作っていく中からしか生まれない。
一方、2年前からカナダの森に一人でオフグリッドのログキャビンを建てて住む男のチャネル(My Self Reliance)もときどき見てるが、彼はキャビンをはじめ、サウナや調理場などを電動器具を一切使わず、自作の道具だけで建てた後、今新たに森を開き、そこにパーマカルチャー(永続する農業)の考え方に基づく畑地を開こうと、苦闘している。この寡黙な不屈の男にも弱音を吐かせるぐらい、家を建てるのとは違って、はっきりした工程のない、単調な重労働を強いるだけの困難な仕事だということが映像から伝わってくる。持続的な生活の拠点を作るのは、自分で家を建てる以上に大変だ、ということを教えられる。
チャールズはカリフォルニアの森の中に家を建てただけでなく、50年間自給自足の暮らしをし、二人の子どもを育て上げた。その歴史には自立して生きるために必要な構想から実現まで、参考になる具体的な豊かな経験と知恵、そして自然と生きる哲学がたくさん詰まっている。ストーリーとしても面白いが、初めから最後まで途切れることなく喋り続ける中から、自然とともに生きた本物の実践家の含蓄のある言葉を拾いたい。