展示が終わって大分時間が経ってしまったが、残り少なくなった今年の備忘録として書き留めておきたい。とりわけ心惹かれたのは雪舟作(拙宗等揚作)の「雪景山水図」と宮本武蔵作の「枯木翡翠図」だった。
「雪景山水図」は、渡明後に描かれた雪舟の初期作品の一つと目されているが、周文流の約束事を踏襲して書いているのだろうが、リアルな風景として迫ってくる。事物と事物の間にある空間、不思議な奥行きが感ぜられるのはどうしてだろうか。ここで絵に奥行きを与えているのは、西洋で言えば遠近法のような汎用性のある錯視技術ではない。自然をよく見続けている人にのみ開けてくる心の目というようなものなのだ。ダビンチのモナリザを見たときにも同じようなことを感じた。実際雪舟は別の山水画の自賛の中で「中国では自然が師匠であり、画家には格別学ぶべき人物はいなかった」というようなことを述べている。
隣に展示されていた拙宗等揚作「出山釈迦図」も、肥痩抑揚のある簡素な筆さばきで、衣の量感を表現している、見事な作品だった。しかし、続く数点は、新帰朝後の画人として、大名から一般の庶民までに名声が伝わり、注文で描いたものであろう。そのせいか技術的な手腕はさすがと思わせるが心に響くものがあまりなかった。最後の一点「山水図(倣玉かん)」は晩年に描かれた作品で、糊口のための気遣いがなくなり、思うままに描いたものであろう。非凡な運筆の力で風景のリアルな魂を鷲づかみにしてみせる。これを見るととても室町時代の画家とは思えない。セザンヌやモランディなどが手慰みに墨で描いたといってもおかしくないくらいのモダンな精神すら感じる。しかし、このような絵を前にしては時代が古いとか、新しいとかは意味をなさないかのようだ。
宮本武蔵の作品は、剣豪と呼ばれる人物の半生を抜きにしては語れない。例えば「枯木翡翠図」のような作品を見ると、武蔵がどのような目で対戦相手を見ていたか、よくわかる。枝先に止まった鳥が次にどのような動作をとるか、はては風の動きがどのように変化するかまで、この人物は、一瞬のうちに読み込み動作に移し替えることができたのだろう。それができたのは鳥を見るというより剣豪自身が鳥になれたからだ思う。主客の差が消滅した中から、太刀が突然襲う。このような者の姿を遠方に認めたら、逃げるに如くはない。この描かれた鳥が発する生命感は、伝承では証明し難い、剣豪が真剣勝負の明け暮れの中で身につけた野生の真実を物語っているようだ。
「雪景山水図」は、渡明後に描かれた雪舟の初期作品の一つと目されているが、周文流の約束事を踏襲して書いているのだろうが、リアルな風景として迫ってくる。事物と事物の間にある空間、不思議な奥行きが感ぜられるのはどうしてだろうか。ここで絵に奥行きを与えているのは、西洋で言えば遠近法のような汎用性のある錯視技術ではない。自然をよく見続けている人にのみ開けてくる心の目というようなものなのだ。ダビンチのモナリザを見たときにも同じようなことを感じた。実際雪舟は別の山水画の自賛の中で「中国では自然が師匠であり、画家には格別学ぶべき人物はいなかった」というようなことを述べている。
隣に展示されていた拙宗等揚作「出山釈迦図」も、肥痩抑揚のある簡素な筆さばきで、衣の量感を表現している、見事な作品だった。しかし、続く数点は、新帰朝後の画人として、大名から一般の庶民までに名声が伝わり、注文で描いたものであろう。そのせいか技術的な手腕はさすがと思わせるが心に響くものがあまりなかった。最後の一点「山水図(倣玉かん)」は晩年に描かれた作品で、糊口のための気遣いがなくなり、思うままに描いたものであろう。非凡な運筆の力で風景のリアルな魂を鷲づかみにしてみせる。これを見るととても室町時代の画家とは思えない。セザンヌやモランディなどが手慰みに墨で描いたといってもおかしくないくらいのモダンな精神すら感じる。しかし、このような絵を前にしては時代が古いとか、新しいとかは意味をなさないかのようだ。
宮本武蔵の作品は、剣豪と呼ばれる人物の半生を抜きにしては語れない。例えば「枯木翡翠図」のような作品を見ると、武蔵がどのような目で対戦相手を見ていたか、よくわかる。枝先に止まった鳥が次にどのような動作をとるか、はては風の動きがどのように変化するかまで、この人物は、一瞬のうちに読み込み動作に移し替えることができたのだろう。それができたのは鳥を見るというより剣豪自身が鳥になれたからだ思う。主客の差が消滅した中から、太刀が突然襲う。このような者の姿を遠方に認めたら、逃げるに如くはない。この描かれた鳥が発する生命感は、伝承では証明し難い、剣豪が真剣勝負の明け暮れの中で身につけた野生の真実を物語っているようだ。