カメラとともに自然を友に

多摩丘陵の自然を写し撮った写真を中心にしつつ、日々の暮らしのなかで目に触れたものを記録してゆきます。

カフェ・テリア

2009-02-06 | あちこち
 3階から1階のカフェ・テリア部分を撮影。館内は広いからそれほどの混雑ではない。外壁がガラスになっているだけでなく、水平方向にもガラス板が棚状に何十層も取り付けられているので、汚れたときは掃除が大変だろうなと、余計な心配をしてしまった。

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屋上庭園

2009-02-05 | あちこち
 3階の図書閲覧室の横は屋上庭園になっていて、竹林になっているが外には出られない様子。
 六本木のこの界隈には他にサントリー美術館と森美術館があり、置いてあったパンフレットによるとどこか1館に入ると次の館は割引料金になるとのこと。他に富士フイルムのギャラリーもあり、写真展も鑑賞できるが、この日の展示はあまり私の関心を惹くものではなかったので、さっと見て外に出た。

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エントランス

2009-02-05 | 美術
 三角錐の形をした国立新美術館のエントランスを3階から撮った。ガラス張りの造りになっている。
 昨日の書き込みで加山の絵の特徴を表す言葉を挙げたが、「装飾的」という言葉を加えるのを忘れていた。今回の展覧会では大学を出て数年後の作品も展示されており、キュビスムやシュールレアリスムの影響を受けた作品で日本画としては実験的なものではないかと思うのだが、単に実験的というだけではなく作品としての完成度も高いと思った。つまり、若い頃から並々ならぬ力量を示していたということになる。
 さて、今回の展示でどうしても1点を挙げろと言われたら「千羽鶴」としたい。スケールが大きく鶴と波のうねりが生み出す、流れるような動感があり、金と銀を基調とした色を抑えた画面が大作を引き締めている。加山の個性がよく表れた作品だと思う。

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国立新美術館

2009-02-04 | あちこち
 もう行かれた方が多いと思うので珍しくないかもしれないが、これが国立新美術館で曲線的な外観が特徴的、そしてガラスを多用している。黒川紀章氏の設計によるもの。広いとは聞いていたが、確かにとても広くて様々な美術団体の展覧会も開催されていた。3階にはレストランの他、美術関係の図書を揃えた閲覧室もあり、私もレストランで遅めの昼食を摂った後、閲覧室に入ってみた。美術関係の図書だけでなく多いとは言えないが写真集や写真展のカタログもあり、しばらく時間を過ごした。

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加山又造展

2009-02-04 | 美術
 今日は国立新美術館に「加山又造展」を見に行く。平日にも関わらず、午前中でも結構混んでいた。国立新美術館に行くのは初めてで、建物も楽しみにしていた。以前に森美術館に行った際に展望台から眼下に面白い形の建物が見えて、何だろうと思っていたのだが、後になって、それが建築中の国立新美術館だと知った。
 今回の展示は若い時期から晩年までを展観できる企画で見応えがあった。日本画では小林古径が好きだが、加山又造の生年とは44年の開きがあり、親と子以上の年の差があるわけだが、それにしても40年あまりの間の日本画の変化の大きなことには驚かされる。それぞれの画家の個性の違いもあるのだろうが、加山又造のなんと現代的なこと。加山の絵の特徴を様々な単語で表現すれば、革新的、華麗、造形的、鋭角的、琳派と言った言葉が浮かんでくる。情緒的、繊細、気品、優雅と言った要素がないわけではないが、それよりも最初に挙げた言葉がより似つかわしい。
 それにしても美術館に行くといつも経験することだが、横5メートルもあるような大きな絵でも絵に張り付くようにして見て、遠くから眺めることをしない人が、相変わらず多い。もちろん、絵によっては筆遣いを見たい、細密に描いてあれば細部を見たいということもあるから、私だって近くで見ることはあるが、やはり絵の大きさによって見る距離というのは違ってくると思うのだ。

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陽射し注ぐ谷戸

2009-02-03 | 町田の谷戸
 落葉樹の林が並ぶ谷戸景色。快晴なので明暗差が非常に大きくなっていて、デジカメの苦手な光線状態である。少しずつ改善されてはいるようだが、ハイライトが飛びやすく、現在のところはフイルムの方に分があると言われている。
 2月というとアカガエルやヤマアカガエルが産卵する月である。ある日卵塊を目にする日もそう遠くではない。

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夕刻のビル

2009-02-01 | 音楽
 まだ明るいうちに仕事が終わったので、帰りに撮った1枚。夕焼けに染まったビルを手前にケヤキを入れて撮った。ビルに影が落ちているが、これは右下隅の方に写っている鉄塔の影で、この写真にはビルとケヤキの実像、ビルに映っている鉄塔、それに鉄塔の影と三様の画像が写っていることになる。

 昨晩は、モーツアルトの二つの協奏交響曲を聴いた。始めはヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲だけを聴こうと思っていたのだが、少し聴き足りない思いがあったのと、昔と違ってレコードをひっくり返さなくてもそのまま2曲続けて聴けてしまうので、聴いてしまった。もう一つの方は管楽器のための協奏交響曲で、レコードの時代から大抵この2曲がカップリングされていた。この2曲のCDは2枚持っているが、昨日聴いたのはベームが指揮したもの。どちらの曲もソリストが一人では済まないため、名盤と言われるものが少ないようだが、なかではこのベーム盤は評判がよいようだ。ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲は、モーツアルトの曲のなかでもかなり好きな曲だが、昨日は続けて聴いた管楽器のための協奏交響曲の方に特に感じるものがあった。久しく聴いていなかったので、余計に心に響いたのかもしれないが、ヴァイオリンとヴィオラ・・・に負けず劣らず、こんなに陰影が深い音楽だったかなと思ったのだった。
 この二つの録音には10年の隔たりがあって、1966年と1976年に録音されているが、聴いてみてやはり新しい録音の方が音に伸びやかさがあり、音場も広く音が自然に広がっている感じがする。しかし、同じ10年でもステレオ録音になる前の1950年代と1960年代ではもっと大きな差があり、この10年間の録音技術の進歩は大きかったのだと改めて思う。19世紀に生まれ(1894年生)81歳で亡くなったベームだが、ベームの場合は、生涯の最後の20年程の演奏が現在でも十分に鑑賞に堪える音質で残されている音楽家ということになり、19世紀生まれの音楽家としては、録音技術の進歩に辛うじて間に合った音楽家という見方もできる。

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キノコ

2009-02-01 | 町田の谷戸
 枯れたコナラからキノコが生えていた。なんというキノコかわからないが、木が枯れるとキノコが生えて木を分解して土に還してゆく。まだ天を向いてすっくと立っているが、やがて途中で折れて倒れることだろう。この木はそれほど太くはなくそれほどの樹齢ではなかったと思うのだが、すべての木がその樹種としての寿命一杯まで生きられるというわけではないようだ。
 昨日、今日と仕事なので撮影はできず、少し前に撮った写真が続きます。この写真も1月25日の撮影。
 昨日は強い雨、今日は強風と2日続けて荒れた天気となった。

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