韓流映画界のミューズといえば、断然、ペ・ドゥナだと思う。彼女は、是枝裕和監督の最新作「空気人形」(9月26日公開)で、最高の魅力を発揮しています。彼女が演じるのは、孤独な男性(板尾創路)に愛玩される空気人形。空気人形とは、言ってしまえば、旧称ではダッチワイフ、いまでいえばラブドールのこと。その人形が、あるとき人間の心と魂を持つようになり、昼間ひとりで街を歩き始め、アルバイトの職を得て、恋人(ARATA)までできてしまう、という物語。原作は業田良家の短編漫画で、その抜群のアイディアと寓話性を生かして、是枝監督が人間の愛と孤独をテーマに、みごとな作品に仕上げている。
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この作品を生かしているのは、もちろんペ・ドゥナのキャラクターと演技力です。是枝監督にいわせると、以前からペ・ドゥナといっしょに仕事をしたかったが、今回は、かたことの言葉(日本語)を話す人形という設定なので、ドンピシャと彼女にはまったというわけ。透明感の中に悲哀を秘めたペ・ドゥナの容姿。無表情な人形から、心を持つにつれて次第に人間らしさが育まれて成長していく、彼女の演技の移り変わりがみごと。映画は、そんな空気人形が抱える孤独と哀しみと、かすかな希望が、逆に都会に生きる周囲の人々の心を映し出すという設定になっている。「戯夢人生」や「花様年華」などの台湾の撮影監督、リー・ピンビンのカメラが、空気人形の見る心象風景を巧みに映像化しています。
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ペ・ドゥナの代表作といえば、「ほえる犬は噛まない」(00年)に始まり、「子猫をお願い」(01年)、日本映画初主演の「リンダ リンダ リンダ」(05年)、「復讐者に憐れみを」(02年)、「春の日のクマは好きですか?」(03年)、「グエムル/漢江の怪物」(06年)といった異色作ばかり。決して大作・話題作ぞろいではないけれど、ポン・ジュノやパク・チャヌクら才能ある監督の作品がお好みのようです。また、彼女自身、美女でもカワイイ女優でもない。表面だけ見ると、一見不愛想だけど、常に自然体。あくまで俳優は監督の素材と心得ながら、いつの間にか等身大の個性をにじみ出させているという稀な女優です。彼女に言わせると、是枝監督は「技術より真心を大事にする相性のいい人」だそうです。
韓流ブームの先駆者のひとりとして、ペ・ヨンジュン、チャン・ドンゴン、イ・ビョンホンとともに韓流四天王と称されたウォンビンが、5年ぶりの映画出演となる愛のミステリー「母なる証明」(秋公開)でスクリーンに復帰。この作品の監督は、「殺人の追憶」「グエムル/漢江の怪物」などで知られる才人、ポン・ジュノ。殺人事件の犯人とされた息子の無罪を勝ち取るために、自ら真犯人の正体を追う母親の物語。ウォンビンは、少し頭の弱い息子役で新境地に挑み、“韓国の母”と呼ばれる大女優キム・ヘジャと共演しています。
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ウォンビンは、韓国の徴兵制度によって、05年に江原道春川102補充部隊に入隊し、演技者としての活動から離脱。入隊後、以前から痛めていたひざの病状が悪化し、左側ひざ十字靱帯(じんたい)部分断裂との診断を受け、06年に手術を受けた。そして、兵役継続は困難と判断されて、同年に除隊。しばらくの間、リハビリに専念。「母なる証明」は、兵役後初の復帰作として注目を集め、韓国では公開10日で200万人を超える観客を動員。また、本年度カンヌ国際映画祭の“ある視点”部門に正式出品され、絶賛を浴びたそうです。
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ウォンビンは、TVドラマ「秋の童話」(00年)などで人気がブレイクしたけれど、映画でもいい味を見せてくれました。カン・ジェギュ監督「ブラザーフッド」(04年)では、兄(チャン・ドンゴン)とともに朝鮮戦争の最前線に送られ苦悩する若者を好演。アン・クォンテ監督「マイ・ブラザー」(05年)では、優等生の兄に反発する反抗的な弟役を演じた。そして、久しぶりの「母なる証明」では一転して、子供の心を持ったまま純粋無垢に育った青年役に挑戦。「今回やりたい気持ちになったのは、いままで演じてきたキャラクターとはまったく違ったから」だとか。いま31歳、今後のウォンビンの活躍に期待しよう。
日本映画史上、最高の女優といわれる田中絹代(1909~1977)が、12月に生誕100年を迎えます。代表作は、日本初のトーキー映画「マダムと女房」(31年)、大ヒット作「愛染かつら」(38年)、「西鶴一代女」(52年)、「雨月物語」「煙突の見える場所」(53年)、「楢山節考」(58年)など。熊井啓監督の「サンダカン八番娼館・望郷」(74年)では、ベルリン映画祭女優演技賞を受賞。53年の「初恋」で初監督に挑戦し、計6作品の演出を手がけました。生涯を映画にかけ、最期まで女優業をまっとうした人です。
最近、この田中絹代の2冊の伝記、古川薫著「花も嵐も/女優・田中絹代の生涯」(文春文庫)と、新藤兼人著「小説・田中絹代」(文春文庫)を読みました。前者は、激動の昭和史を背景にした客観的な伝記。後者は、脚本家として絹代作品にかかわり、溝口健二を主題にした「ある映画監督の生涯」(75年)で絹代にインタビューした新藤監督だけに、彼女の人間としての裏表を、歯に衣着せることなく、あからさまにしているところが面白い。そして、2冊の伝記に共通するのは、女優としての田中絹代の壮絶な生涯の描写です。
下関で生まれた絹代は、実家が破綻して7歳で大阪に移住、10歳で琵琶少女歌劇の舞台に立ち、小学校にもロクに通えなかった。やがて、14歳で松竹に入社、サイレント映画で女優人生が始まる。その後、17歳で清水宏監督と同棲、2年後に別離。この貧困と、映画が生涯の恋人となる、という2点が、彼女の女優としての意地を支えます。そして、人生のクライマックスは、「浪花女」(40年)以来、「山椒大夫」「噂の女」(54年)まで続く溝口健二監督とのコンビ作で演技派として開眼、同監督に思慕を寄せるくだり。更に、1950年、親善使節としてのアメリカ帰りの彼女が、派手なスタイルと投げキッスでヒンシュクを買った事件や、生涯、家族の犠牲にならなければなかったことが人生の試練となります。
田中絹代の最高作といえば、なんといっても溝口監督の「西鶴一代女」でしょう。原作は井原西鶴。京都御所に仕える女、お春が、公家の若党と愛し合ったために追放され、転々と男性遍歴を重ねた末に、夜の巷で街娼にまで転落していく。運命に翻弄される女の悲劇を、42歳の絹代は渾身の演技で熱演。冒頭、羅漢堂に入ったお春が、五百羅漢の像を見つめるうちに、そのひとつひとつが過去に関係した男の顔に見えてくるシーンが鬼気迫り、絹代の人生を象徴するかのようでした。田中絹代、享年67。50年余りも女優人生に執着し、老いても闘い続けた姿は、日本の映画史そのままを映し出しています。
わが家の庭に咲いた水仙
ショーン・ペンが、今年開催された米アカデミー賞で主演男優賞を得た「ミルク」を、やっと見ました。アメリカのゲイの権利活動家で政治家のハーヴィー・バーナード・ミルク(1930~1978)の後半生を描いた伝記ドラマです。ニューヨークで出会った年下の青年とともにサンフランシスコに移住し、自らゲイであることを宣言、仲間とともに偏見と闘い、何度も落選したのち市政執行委員に当選、議員就任後1年もたたない78年11月27日に同僚議員に射殺されて短い生涯を終えたハーヴィーの波乱の生涯を、ペンは熱演している。
監督は、「マイ・プライベート・アイダホ」「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」などのガス・ヴァン・サント。ハーヴィー・ミルクを単なるゲイ活動家にとどめず、あらゆるマイノリティや貧しい人々の擁護者としてとらえた点に共感が持てます。インディペンデント映画で異色作を手がけてきた同監督が、やはりハリウッドの異端児ショーン・ペンと組んだところに、この作品の成功があると思います。
ショーン・ペンは、時と場所によって髪型や服装を変えて登場。ゲイの仕草も細やかに表現して、1999年に「タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄」のひとりに選出されたミルク像を巧みに表現。米・カリフォルニア州では、昨年末、同性同士の結婚が認められたあとで、住民投票で同性婚が否定されたという出来事があったばかり。「ミルク」は、そんな風潮に対するガス・ヴァン・サントとショーン・ペンの異議申し立てになったのではないでしょうか。
東京・巣鴨の義兄宅に咲いた花海棠(はなかいどう)
ジャッキー・チェンの新作「新宿インシデント」(5月1日公開)を見てビックリ。なんとジャッキーが、いままでのクンフー・ヒーローのイメージをかなぐり捨てて、普通のオジサンを演じているのです。ジャッキーが扮するのは、恋人を捜し求めて中国から日本へ密航してきた男。彼は、新宿の歌舞伎町に流れ着き、日本のヤクザのボスの命を救ったことから闇の世界でのしあがっていく。中国系と日本のヤクザの抗争の渦中で、運命に翻弄される男。まるで中国版「ゴッドファーザー」のようなリアルなドラマになっています。
ジャッキーは、ここ数年来、役柄の上でさまざまな試行錯誤を試みてきました。その中で面白かった作品は、陰謀に巻き込まれ暴走タンクローリーの上で大立ち回りを見せた「アクシデンタル・スパイ」(01年)と、若い武装集団に翻弄されるヨレヨレの警部を演じた「香港国際警察/NEW POLICE STORY」(04年)でした。後者では、すでに50歳になったジャッキーが、自ら製作総指揮も兼ねて、ダニエル・ウーやテレンス・インといった若くエネルギッシュなスターたちに花を持たせていました。
多分ジャッキーも、アクロバット・アクションが見せ場のクンフー・スターとしての限界を知ると同時に、年齢相応のキャラクターを演じることと、若い世代のスターを育てることに未来を見いだしたのでしょう。「新宿インシデント」(イー・トンシン監督)でも、ダニエル・ウーを相棒として起用しています。もう、ジャッキーも50代なかば。どん底から這い上がるため悪事も辞さない密航者という今回のプロフィールは、ジャッキーが現実に生きる男を素材にしようとしたリアリズム映画へのこだわりのように思えてなりません。