ちさはまだ青ばながらになすび汁 何気なく立ち寄った島田市博物館のアプローチに芭蕉の句碑がありました。
元禄7年(1694)初夏五月中旬、大雨による3日間の大井川の川止めで島田宿の俳人塚本如舟邸に滞在した折、もてなされた食事に感謝して詠んだとか。既に終わったはずのちさ(チシャ菜)がまだ花もつかない青葉のまま、盛夏が旬のまだ早い初茄子の汁と共に供され、旬の妙味を知る俳人の心に深く響いたのかもしれません。
以前、県外からいらしたというお客様に「こちらは筍や椎茸の産地なんですか」と問われまして、そうですね、岡部の筍なんか有名かなとお答えしたら、訪ねたお宅で沢山ご馳走になりましたと仰られました。
ただ、実はどちらも不得手な食べ物だったとか。
そりゃ大変でしたね、ある意味災難だと申し上げたところ、「いえいえ、もてなして下さろうとするそのお心遣い大変ありがたかった」と。
ああ、まだこういう方がこの国にも残っていらっしゃるんだと驚き、ひょっとしたら、もう少しだけ大丈夫かもしれないと思ったことが、フィードバックされました。
元禄7年(1694)初夏五月中旬、大雨による3日間の大井川の川止めで島田宿の俳人塚本如舟邸に滞在した折、もてなされた食事に感謝して詠んだとか。既に終わったはずのちさ(チシャ菜)がまだ花もつかない青葉のまま、盛夏が旬のまだ早い初茄子の汁と共に供され、旬の妙味を知る俳人の心に深く響いたのかもしれません。
以前、県外からいらしたというお客様に「こちらは筍や椎茸の産地なんですか」と問われまして、そうですね、岡部の筍なんか有名かなとお答えしたら、訪ねたお宅で沢山ご馳走になりましたと仰られました。
ただ、実はどちらも不得手な食べ物だったとか。
そりゃ大変でしたね、ある意味災難だと申し上げたところ、「いえいえ、もてなして下さろうとするそのお心遣い大変ありがたかった」と。
ああ、まだこういう方がこの国にも残っていらっしゃるんだと驚き、ひょっとしたら、もう少しだけ大丈夫かもしれないと思ったことが、フィードバックされました。