昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

行動経済学

2024-09-30 07:41:00 | 日記
20代中頃だったか、友人とのゲームに勝ち、次の休日に昼メシ奢ってもらうことに。朝食抜いて、万全の腹ペコ状態で臨んだ待ち合わせ時間に遅れること数分、走ってやってくる友人(当時ケータイはなくポケベルも持ってません)。

「ワリィ用事入った!もうちょっと待ってて」

差し出された紙袋から何やら香ばしい匂い・・・揚げたてのカレーパン2個入ってたかと。
罠だな・・・即看破。

絶対食べるもんかと我慢。でも空腹に揚げたてのあの匂いの誘引力は凄まじく、まあ一寸だけならいいかと一口。
あ~らら、止まらなくなりまして結局完食。30分後に現れた友人に「何食べる?」と尋ねられても、別に何でもいい状態になってまして。

たしか、王将に連れていかれ天津飯食べたのを思い出した、今朝の「めざましテレビ」。

1年後の1万円より今日の千円・・・か。

彼奴は30年以上前に、既に行動経済学を理解していたのかもしれません。

真実の数

2024-09-29 08:19:17 | 日記
1518.9.29生誕のルネサンス期ヴェネチア派ティントレットの真骨頂は、バロック期を思わせる物語性と大胆な構図で最晩年の「最後の晩餐」もまたしかり。「如何に優れたものであろうとも、まず相手に受け入れてもらえなければ意味を為さない」・・・個人的に春秋時代の斉の管仲を想起します。綿密に描き出された実在と幻想の一体化。これがある美術の真実。

今でも言っているかどうか解りませんが、某有名アニメキャラの「真実はいつも1つ!」という決め台詞。そこに自虐的な僅かなニヒリズムでも漂えば受け入れやすかったでしょう。それを自信満々に宣言されては、「まあ、それもいいんじゃないっすか」と苦笑い。
科学にしろ何にしろ、絶対的な根拠、基準を1つに決めてしまえば、別に間違っている訳ではありませんし。それに賛同する方々の間だけですが。

吾妻鏡の実朝横死事件の前日譚では不吉な事が色々起こったと語られます。そして出立前、実朝は自ら髪1筋を引き抜き管内公氏に記念と言い手渡し、庭の梅を見、禁忌の和歌「出テイナハ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ」を詠唱。南門を出る際は源氏の守り神たる霊鳩が騒ぎ、車より降りる際には刀を引掛けて折り、その後に惨劇。

吾妻鏡には、編纂者らの勝手な創作が多く混入していると見るのは、既に史学者内の定説でもありましょう。上記の記述もおそらく史実ではありますまい。しかし、文学には文学の真実、真相というものがあるようで。それは事実の忠実な記録の「真相」を貫き「(人を含めた歴史の)生きている所以」に至ろうとするものであろうかと。人が逃れることができない感情、主観と言えば陳腐になりますが。

何故ブランド戦略が成り立つか。

吾妻鏡の文學は無論上等な文學ではない。だが、史家の所謂一等資料吾妻鏡の劣悪な部分が、かへつて歴史の大事を語つてゐないとも限るまい(小林秀雄「実朝」)

真実は1つ→全ては収束するという考え方は、構造全体を多角的に観察するわけではなく、便宜的に取り敢えずの「1つの結果」に集約するための手法でしかないように思えるのです。便利な道具ではありますが、それが全てではないとの認識が必要なのではと。

日本の教育に危機感を覚える所以でもあります。


ローマンコンクリート

2024-09-28 07:39:38 | 日記
びっくり!財政出動派には、青天の霹靂か、自民党新総裁。

先日思い付きで、徴兵制の代わりに「サンダーバード」国際救助隊ならぬ国内救助隊のアイデアを出したところ、お客様より白い目で見られたばかりで、防災省構想やらアジア版NATO構想などには興味があります。で、庶民の最大関心事、経済対策は?

矢張り、現状追随米ユダヤ式金融主義をベースとし、AIや情報等のトレンドに則った成長期待分野に人的資本的投資を促し、苛烈な競争下に身を置くレッドオーシャン戦略を志向するのでしょうか。それもいいですが、競争のない独自分野の開発、ブルーオーシャン戦略という手もあるかと。

カギになるかもしれないと思うのが「地方創生」。現在の株主最優先的思考や期限を切ってのプランでは、まず成功しないでしょうけど。

現在の優れた耐久性を持つコンクリートの寿命が100年だとして単純で雑だけど2000年以上持つ「変化する」ローマンコンクリートは、養生期間数日のコンクリートに比べ、年単位係ることもあったそうで。

法の本質が秩序の維持形成であり、真実の追求ではない以上、執行のミスを認めることは秩序の弱体化に繋がりますが、袴田氏の無罪判決が伝えられました。

たどり着くことのない究極を仮に完璧とすれば、完璧に永遠に近づこうと努力するネイピアのような玄人的生き方。
個人の生き方としてはそれも素晴らしいですが、集団を形成する各個体は素人ですから、その努力が理解されることは困難かもしれません。
自らの正義は、自ら証明し続けなければならない。そこは同意する再出馬を宣言した兵庫県知事。
その数字や目的に縛られた完璧志向さゆえに、人心が理解できない悲しい秀才か。

かのステファヌマラルメも、解に早々にたどり着いたものの、先に完全があると信じ通り過ぎてしまい、苦し紛れに「美」を解答と思い込もうとしたように感じます。頭の良い方たちだから陥り得る落とし罠かもしれません。過ぎたるは猶及ばざるが如し。

僅かですが、変化の兆しを感じます。

河津七滝

2024-09-27 08:08:17 | 日記
秋っぽくなったと思ったら一転酷暑の昨日。暑気払いに、伊豆河津の七滝(ななたる)巡りしてきました。
各滝間を車で移動する、日光のようなイメージをしてたんですが、整備された遊歩道を川に沿って徒歩で七滝を巡れる1時間ほどのコースでした。

・・・とは言っても、釜滝(題図)から、猿田彦がイワナを釣り上げた伝承が残る猿田渕?へ上る階段は思ったよりハードで、いつものようにサンダルではなくスニーカーでよかったと思いました。

結構な水量は涼風を呼び、似非科学とは言われてもマイナスイオンの恩恵を全身で頂戴します。

川のほとりに、小さな注連縄?が乗っかった2つの巨石がありました。
何でも、小石を3つ握ったまま願いをかけて拝み、放って岩の上の乗っかれば、願いは叶うとか(小石付き1回100円)

この手のアトラクション?には、ほぼ飛びつくワタクシ、呆れる奥さんを尻目に説明をやや曲解して、1投に付き1つずつ異なった願いを占います。

戦争終結を願った1投目、ヘタレなボクは全人類の願いの重圧に負け、小石は遥か手前で川の中へ・・・世界中の皆さん、ゴメンナサイ!
ならばと2投目、願うはもちろん宝くじ高額当選!・・・力み過ぎたか岩over・・・まあね、運の無いのは生まれつきですし。

そして迎えた最後の3投目。放物線を描いた小石は見事、注連縄内へ!・・・はじかれて落下。
「上手じゃなくて下手で、もっと優しく置くように投げなきゃダメだよ」と奥さん・・・先に言え。

結局叶わないと思われる3つ目の願いは・・・ナイショ。
どうせ叶わないと出ましたし、知らない方が皆平和ですから。

野分が渡る秋の日に・・・

2024-09-25 08:05:40 | 日記
・・・夏の花を追いかける(花ぬすびと 明日香)・・・か。本来の台風的な意味ではなく、やや強めの風が野の草分けて吹いた日、平成に活躍された
評論家のツイートを目にしました。相変わらず深い洞察力はご健在。ふと、同時期活躍されていた方々の現状に対する提言に共通項を感じました。

また、抜き出した事象限定の専門的+単眼的アプローチ。他に全体像を多角的に見据えた論がおありで、枠の関係での抜粋なのかもしれません。

さて、漱石の「野分」に登場する道也先生。
富豪や権力者に対する反骨精神が、やがて周囲からの攻撃対象になる構造は、利を優先するあまり危険性を無視している事実に気づき公表した挙句、民衆の攻撃対象になったイプセン「民衆の敵」のストックマン医師に影響を受けたのではないかとも言われています。

そのイプセンの代表作の「人形の家」においても、Dr.ランクは「腐敗した利害関係を構築し、結託した者達が社会にのさばり、健全な人間が排除される」現実を訴えるものの、父親の放蕩による世間の目と、自らの余命宣告によって取り乱したとみなされ相手にされません。
・・・そもそも言われなくとも皆知ってますし。

ランクが内心、見てくれだけで、知識も中身も無いと見下していた主人公ノラ。
What do I care(面倒をみる)about dreary old society(憂鬱な古い社会)?

その腐敗した人間たちを社会が救わなきゃ、いったい誰が救うのさ!
これも現在社会が置き忘れてきた夏の花。
個人的には、自分は自分でしか救えないと考えますから、社会ができるのは「蜘蛛の糸を垂らす」事だけなんでしょうけど。

二度咲き夢咲き狂い咲き・・・なんでもいいですけど、もう見つからないかもしれないなあ。