昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

転売ヤーと商人

2024-08-31 07:00:58 | 日記
どこが違うの?と尋ねられました。物品を仕入れ販売する・・・同じじゃんと。

例えば、a+biとa-biという複素数、プランク定数により変換される運動と座標、時間とエネルギー等の共役関係の視点から見れば、(よく解んないですけど)確かにそうかもしれません。1つの成分だけ変える偏微分みたいなもん?・・・ちょっと違うか。

頭に浮かんだのは、クルトヴァイル作曲オペレッタ「三文オペラ」、終幕近く牢屋で処刑を待つ身の大犯罪者メッキー(マック)の自問。
「泥棒と株を買う事は、何か違うのか?」「銀行を襲うのと、造るのとの違いは何か?」「人殺しと、雇用の違いは?」

キイワードは日本の経済=経世済民であること。世を調えて民を救うというエコノミーとは本質的にやや異なる、定量的というよりは、定性的な概念を本質としていることかと。商品に対する知識などもそうですが、より本質的には社会的責任に立脚しているかどうか。

申請登録、資格、許認可等に基づき、販売に対し責任が生じる社会システムの一環であり、言うならば社会に益をもたらすと認可され、継続性が重視される、単純に個人利益の追求ではないのが商人であるという事・・・

現状、だいぶ建前的にしか機能していないことは認めますので、混同されるのも尤もですが。日本の商業道徳的ルールもありますから、何やってもいいわけじゃありません。近江商人の十訓とか読むとわかりやすいか。違反しても逃げず責任取る腹積もりなら、それで構わないと思いますが。

ですから商人から見ると、転売ヤーは犯罪者にさえ見えるケースもあるかも。

「人生はこんなにも厳しい!どうか悪事にも寛容で有られますよう」・・・三文オペラのラスト。
個人的には、程ほどなら転売も、ま、いいかって思っちゃいます。

ナイツ

2024-08-30 08:38:01 | 日記
ドアを開ければ、想像していたより遥かに静かな小雨の朝。目の前をクロアゲハが通り過ぎます。
おお、お前さんも無事だったか・・・昨日の天気の荒れ様を考えると、普段気にも留めない昆虫の生死にも感慨が湧いたりします。

コンビニへ向かう途中の道に、折れた枝濡れ落葉、蝉の骸。そして、脇の雑木林に秋の虫の声。おや、奥に聴こえるのはツクツクボウシですか。
先日より些か小さくなったオーケストラ構成ですが、昨日の今日で淡々と己を生きる彼らに、ふと被るデューラーの銅版画『騎士と死と悪魔』。

その前進には悪魔も道を譲り、瘦せた馬上で砂時計を掲げ、騎士の命数尽きるのを伝える死神にさえ一向だにしない騎士。

ただ成すべきことを成す・・・「名を換えよ、騎士と!夏山 誰(たれ)が世ぞ!」(中村草田男)

夏山=今見えている、己が生きるこの世界は誰のものか。

カントらの言葉を借りるまでも無く、それを感じている、その人だけのものです。

聞く力

2024-08-28 07:36:38 | 日記
突然の豪雨で予想以上に濡れた事や、やっと手に入れたコメの価格が想像以上に高かった怒りなどもあったかもしれませんが、「どうしても自分に自信が持てない(劣等感の強い)苦しんでる子の、どこに優越感があるっていうの!」と嚙みつかれまして。

ご本人ではないですから、想像に過ぎませんけどと前置きしてから、優越劣等感って相対的なもんですから、自分が昇るのではなく相手を落とすって手段もある。「人の不幸は蜜の味」って、そのものでしょ・・・ゴメンナサイ、優しくないもんですから・・・閑話休題。

雨のカーテンを眺めながら閑古鳥が鳴く店内で、お客様とマンツーマンで他愛もない話。ネタも尽きかけた頃、「そういやぁ当初首相の言ってた『聞く力』って、ありゃ何なんだったのかねえ。ただ聞くだけなりゃオレでもできる」とお客様。

そうですねえ、色々な解釈や手法があるんでしょうけど・・・ふと思いついたのが、「ゲーテとの対話」に載っているという「何事かを成す為には、何者かで有らねばならぬ」という言葉。未読故確認してませんが。

言葉や行為を成す為には、師、親、友人、子、売り手、買い手等如何様な立場から如何様な理を以て、どのような経験や文化、思想故に行う(行わないも含む)のかが必要ということか。

ならば、「聞く」つまり「受け入れる」とは、「何事をも受け入れる為には、何者で有ってもならぬ」のではないかと。

聞く力とは、肩書きや思想信条を抑え、素直に受け入れること。勿論、それが判断に直結するわけではありません。
そんな気がしました。






あるふぁでおめが

2024-08-27 07:42:59 | 日記
秋の虫たちと傘を打つ小雨が、アンサンブルを奏でる朝の雑木林。中々の名演と、しばし足を止め聴き入ります。
と、感情が高ぶり、制御できなくなったのか、傘が烈しく独善的なパフォーマンスに走り出しました。

あーあ、台無し。踵を返し坂を上り始めます。

その瞬間、突然、傘の静寂・・・そして、スズムシのソロ・・・

あっ、演出でしたか!いや~ 一本取られました。まだまだ未熟です。

これを偶然とみるか、自然の意思や虫や雨のアート、表現テクニックと見るか。
それは個人の自由でしょう。
デカルトやヒューム、カントが示したように、ヒトは主観無くして外界を認知する術はないに一票。

・・・ということは、主観を無くせば、内外の区別も無くなるとも言えるかも知れない訳で。

おそらく自分は、自分を奈落へ落とすこともできますし、救うこともできます。
・・・ていうか、自分でしか救えないと思いますけど。

確率

2024-08-26 07:48:22 | 日記
主催者が用意した1つだけ当たりの入ったボックス3つ。1つ選んで当たりを引いたらプレゼントふぉーゆー。1つ選ぶと、主催者が選ばなかったボックスの1つを開けハズレなのを示し、「今なら交換するチャンスを与えよう」。さて、交換すべきか?という問題を出されました。

一寸考えて、状況によりますねと解答。

「いやいや交換するべきだ」と、ご説明してくださろうとしたので、ああ、なんとなく分かります。当たりの確率が、交換すれば2/3、しなければ1/3というヘイズの事後確率の定理でしたっけ?有名なモンティホール問題ですよねと。

じゃあなんで状況に寄るのか尋ねられ・・・例えば、地球人口70億人が1人ずつ同時にこの問題に答えるとして、当たりが「生きる権利」だとしたら・・・すべての人が、高確率生存方法を選んだら、1/3の確率で全滅ですよと。

徳川に就いた真田昌幸、信幸と豊臣に就いた信繫。一族の仲たがいではなく「家」が生き残るための生存戦略と言われます。下剋上の世とは言え、一族郎党「♪お~と~こだった~ら~ 1つに賭ける~」銭形平次的立場こそあるべき姿と考える方々からの侮蔑の視線に、生き残った方もそれなりに生きづらさはあるでしょうが。

ですから人類の存続という観点から見れば、最低限の繫殖し得る男女比を考慮した人口を、生存低確率の選択へと導かなければならない。
直感的にどちらも同じ確率であると考えそうな、なまじ知識が無い方が混乱は少ないかも。

もし、人類遍くお利口さん比率が高いと個人的に判断すれば、ボクは低確率を選択する可能性が高いかもしれません。
確率の高さも、諸状況の中の判断材料、若しくは道具の1つにしかすぎませんから。

最後の種として人類絶滅を見届けたり、異種生物との交配による生殖可能な新種への転換という、宝くじより低確率かと思われる手段に賭ける的絶望的ロマンに生きる事も、それはそれでいいのかもしれませんが。