昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

魂消滅システム

2022-07-26 08:45:05 | 日記
明け方から降り出した雨は勢いを増して、健康診断でレッドカードを出され、早朝の坂道散歩を渋々日課にしなければならなくなったボクに「休んじゃえ」と囁きます。高きから低きに流れるは自然の理と身を委ねます。何の苦労もなくのほほんと楽しく暮らせたらいいのになあ。

先日youtyubeで、「なんちゃら25」という1960年代に行われたというネズミの実験の解説をチラ見しました。オス4、メス4匹を、充分な空間のある環境と住まいに、絶えることのない餌、水を設置し、外敵や病原菌を排除した状況に放したらどうなるか。

適応期を経て急増したネズミは、空間など幾らでもあるのに大小幾つかのハーレム常態であるオスを中心とした集団を形成、固定集団に属せず、集団間を行き来、特定個体に対するストーカー化、個室に籠りニート化するタイプが生じたそうです。

やがて大集団による他集団への圧迫や内部序列化抗争、メスのオス化(子を成さない、凶暴化)などが起こり最終的に全滅。25とは25回目の実験でありすべて同様の結末を迎えたとか。何の苦労もなく理で考えれば快適な生活でも、個である以上何らかの欲を持たざるを得ないのでしょうか。

ならば、例えば肉体すら失った魂というものがあるとするなら、個を維持するためには、より純粋に欲、意味付け、分別の塊たる必要があるわけで、それが集められた天国とは、いかなる地獄か。

ネズミと異なり、子を成さず自然減を図れない魂に永遠性があるのであれば、永遠に続くであろうその環境からの脱出こそ望みであり「救い」となるのかもしれません。

ああ、天国とは、自らの消滅を望むようになるためのシステムだったのか,
仏教と変わらないなと。