昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

川の流れ

2022-07-18 08:31:48 | 日記
南駿河台1丁目にある今朝の復元された厨家(公的な食事を提供する処、住居の説有)から、煙が上ることはありません。

天皇支配に従うという律令体制の下、平城京を中心とした奈良時代に設置されたと思われる郡役所跡である志太郡衙(御子ケ谷遺跡)跡。管理を任されたのは中央直属の国司ではなく地場の有力者であった郡司でした。

貴族や僧侶の力が脅威となった桓武天皇は長岡京への遷都を決行。おそらくそれに不満を持つ者により遷都を図った首謀者である藤原種継が暗殺されます。暗殺の首謀者の1人として桓武天皇が目を付けたのが異母弟であり皇太弟である早良親王。出家し親王禅師と呼ばれ、東大寺や大安寺に住み当時の仏教界に影響を及ぼすことのできる人物でした。本人の冤罪の訴えも届かず延暦4年(785年)配流、憤死とも餓死とも伝わります。

国司の使いにより、一報が志太郡衙にもたらされたのはいつの事だったか。
ふと、供応の席であったという幻視をしました。中央と深い繋がりがあるわけでもない地方豪族にとっては、それ程重大な話ではなかったかもしれません。

遷都後、近親者の不幸や疫病、天変地異が長岡京を襲い早良秦王の祟りとされ、10年ほどで平安京遷都されることになりました。これに伴い中央集権は進み9世紀には国司の権限が大幅に強化され、郡衙は衰退していったと言われています。「終わり」にも先っちょ(始まり)があるといったのは勝海舟だったか。

棗やカクレミノといった万葉を彩る植物達の昔語りにしばし耳を傾けます。新しく植えられたものでしょうけど。