第151回 天皇賞・春
わたくしは、GⅠレースともなれば、主筋となるいくつかの事柄、1つはGⅠをシリーズとして、連続ドラマとしてみる視点から見つけたもの。そしてもう1つは、天皇賞・春に限らず、そのGⅠ固有のもの。この2つを把握しているから、出馬表が出たら、直ぐ焦点が見え、それがどうなのか、先ず検討を始める。
恐らく、その主筋、軸を何も持たれない方々では、あちらこちらの枠、それぞれの同居、有力馬の程よい分散状態、散らばりに圧倒され、右往左往、またはおろおろされるのではなかろうか。即ち、どれもよく見える、またはどれも信を置きかねる。
昔、かつてのわたくしもそうだった。
が、今日の出馬表を見渡し、2時15分あたりから見尽くし、先ず午後3時ごろの時点で主軸の検討項目が見えた。これは前記事で記した通り。
そして、現時点でだが、第一に買いたい2頭が既に出揃っている。
内1頭は、かなりよく見える。
初見では、奇天烈に見えた 5月号『優駿』該当151ページ。天皇賞サインページの筈だが、これもあれこれが散りばめられ、第一感は、困惑!だったが、出馬表という正解への直接手がかりを提示されてみると、寧ろ、非常に素直に思える。
何故、プレゼンター・三上博史が登場するのか。
何故、151ページ クイズ形式 でこのように造型されたのか。
何故、最も買いたい枠の同居のメンバーが、このように集められたのか。
先だってのある重要な手掛かりに核心があると、かなり確信できるに至った。
問題はこれで良いのか!である。
この結末、読み通りならば、この大レースへ向け、点々と布石を打ってあった跡が窺われ、何故、あのようなイベントをこの春に組んだのか。見える。また目に映る。
今後の検討、土日出馬表で、確信に近付くのか。別様の可能性が浮かぶのか。
ただ、2頭の内、ある1頭は本物ではないか?
正しく見えている時は、視野が広く観えるものである。困った時ほど、そのレースのみを近視眼的に凝視してしまう。他に何を見るべきか、全く見当も付かないからである。自ずと人気に惹かれ、また競馬マスコミ各社の報ずる、本質的ではない評価についこころ傾く。
本質を見なければ、無意味なのである。勝って、次もまたこの方法で勝てると信じられる手法、手段で勝たないとな。
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ぐっとシンプルな出馬表に見えてきた。
やはり、この1頭が勝利するなら、感動のレースだろうな。