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覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

送るともし火

2012年08月16日 15時36分35秒 | Weblog
 終戦記念日を超え、この日が五山の送り火となる。

 都内から京都のこの大文字などの中継を拝見することになる夕刻が近付く頃合。

 千玄室先生。わたくしも、先生のNHK人間講座を拝見し、こころ動かされた一人であるので、真に勝手ながら、御登場を無断でお願い申し上げた。

 先生の、あの講座の中、海辺でバミューダショーツで御登場の回は、随分ハイカラで、茶道(裏千家では ちゃどう と読む)の大宗匠としては、真に闊達自在の思いを抱いたものである。

 あの濃い顔俳優屈指の市村正親さんのパパ、三代目水戸黄門、西村晃さんと特攻隊の同期。先生の胸には、所謂、「死に損ない」の想いがおありだったこと。そしてその後の長濤の御活動があったこと。そして国際社会の相互理解と親善に御尽力され、ひと碗のおもてなしを日本のこころとしてお伝えになられる御姿勢に、にじむお心を拝し、自然と背筋が整うような思いのわたくしである。

 わたくしも厳密には、戦没者の遺族。

 人の生き死にの様。触れるたびに、虚空を見上げ、レノンの上方はただの空に過ぎない、という『イマジン』の歌詞が浮かび、そうじゃないだろう、と思う近頃である。

 今週は、毎年のことで、ある馬名を持つ馬が発射することが解かっているが、生涯の信念として、人は肉体の死で終わりではないのである。

 お手前の作法も碌に弁えぬ無作法者の身ながら、先生のひと碗に込められた思いに少しでも倣おうという思いのわたくしである。

 三島由紀夫も死に損ないの一念を、市谷の朝、大長編『豊饒の海』の絶筆に込めた。

 わたくしは戦後民主主義教育の権化のような教育を享受し、そして、戦後とは、いや明治維新以降の日本近代史とは、日本人とは何か。問いかけは止まない。

 英霊、かく日本のありさまを見て、何を思うか。

 おじいちゃん、また私のありさまを見て、この馬鹿野郎! と思っておられるのだろうか。

 どんな時代、どんな人中にあろうとも、人は自分自身で背負う運命への態度を決めることが出来る。

 昨年統計で、日本人の寿命が世界最高級でありながら、地位が落下したことを知った。
 大震災もあったが、殊に20代女性の自殺が目立ったという。痛切である。

 20代女性を魅了し、生涯の幸福をもたらす力はないと思う自分だが、

    自殺することは ないよ  

 そう励まし、ひょっとしたら一臂の救いの言葉、力は上げられるかも知れない。

 この時節だから、また観たい映画はある。

   シンドラーのリスト 

   ニ百三高地  

   日本の一番長い日   

 わたくしも戦後民主主義家庭に育ったので、母から戦時中を舞台にした映画で、玉砕する日本兵らが最後に「天皇陛下、万歳!」を歓呼し、遵用として死地に赴く様を観て、「違う」。皆心持ちは、「お母さん」と叫んだり、最愛の妻の名を叫び絶命したのだ、と主張を聞かされたが、母の思いとともに、陛下の名を、万歳とともに歓呼した兵士らの心の内を思う念が止まない。

 映画ファンだが、評論家ではないので、勝手な見方、自分の楽しみ方を過去形で申し上げるが、『二百三高地』は、出演されているさる著名な俳優さんの追悼イベントで上演され、わたくしも列席、鑑賞させて頂いた。

 その最後近いシーンで、仲代さん扮する、乃木希典大将が、復命書(陛下からの御命令通り、実行し戦争で勝利したことを報告する公文書)を読み上げるシーンがあり、そこで、もうこれは演技ではないと思ったが、二百三高地陥落を前に、無益に突撃を繰り返し、将兵らが絶命するシーンが回想で流れ、乃木閣下は「我が将兵、死地に赴くこと期するが如く(戦死する場所に向かうこと、元から覚悟していたように)、陛下の御稜威と栄光とを絶叫せり・・」と復命を朗し、思わず泣き崩れ、言葉に詰まるシーンがある。映画ですよ。飽くまで。その折、この点は少々詳しい方にも尋ね、また史料を調べたが、真偽は定かではないが、玉座から降り明治帝が乃木将軍の元に寄り、慰めるように、肩をたたれた。明治帝は三船敏郎、皇后は松尾嘉代さんである。傍らの伊藤博文は森繁さん。

 陛下の栄光を歓呼せる無名の兵士ら。その胸中に故郷の妻、母、父、子等が去来していたことは当然御承知ではなかったか。そのシーンで、力尽き、わたくしも号泣に襲われたものである。

 戦没者への思いを語ると、戦争美化だなどと騒ぐ向きもあるが、わたくし個人としても

 唯一無二の国の為に、そして妻や母や姉が外国兵に蹂躙されまいと、命懸けで戦っただけである。


 国思うこころ、何処に在りや。 

 いや、ここにも在る。

 戦後、大分経って生まれたが、わたくしも、死に損ないである。