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デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

今宵はオスカー・ピーターソンに何をリクエストしよう

2024-03-03 08:35:21 | Weblog
 オスカー・ピーターソンのドキュメンタリー映画を観た。本人のインタビューを中心にビリー・ジョエルやクインシー・ジョーンズ、ハービー・ハンコックら華麗なテクニックに魅せられたミュージシャンの証言で構成されている。1971年に一度だけ聴いた生演奏と数十枚のレコードはどれも明朗快活で、私生活も煌めく鍵盤同様、順風満帆と思っていたが、そうではなかった。ジャズ誌に載らない陰は興味深い。

 やはり差別との闘いだ。JATPで廻っていた時、白人メンバーと一緒にレストランで食事ができなかったり、出演しているホテルなのに泊れない。タクシーに乗ろうとすると白人専用だと銃を突きつけられる。酷かったのは演奏する会場なのにトイレを使えない。ノーマン・グランツは、「このホールは俺が貸切っている、だからトイレも俺のものだから黒人も使える」と警官を追い払った。天晴。先々のトラブルを案じ、ついにはグリーンブックを頼りに黒人が安心して休める宿を探す。ピーターソンを育て、護ったジャズ界の大物プロデューサーを益々好きになった。

 そして三度の離婚は初耳だ。マイルスのようにジャケットに奥方が登場しないので知らなかった。長期のツアーで家を離れる。人気があるので自然と女性も寄ってくる。浮気もしたと正直に語っていた。1993年に脳梗塞で倒れ、そこからの闘病が「鍵盤の帝王」の強さをみせる。左手は不自由だったが諦めることなくピアノに向かう。それでも「三本の腕」があるのかという音を出す。感心したのは倒れる前、一緒に演奏していたレイ・ブラウンがピーターソンの僅かなミスに気付くことだ。素人耳では音数が多くて一音外しても判らぬが、そこは長年コンビを組んできた最強のザ・トリオのなせる技である。

 93年に惜しまれつつ閉店した神田神保町のジャズ喫茶「響」の店主大木俊之助氏は、ピーターソンの研究家として知られる。嬉しいことに当ブログの最初のフォロワーさんだ。氏のサイト「響庵通信」によるとピーターソンは、20歳(1945)から71歳(1996)までに297枚のアルバムを残しているという。小生が聴いたのはその半数にも満たないが、どれを聴いても楽しい。メロディーは作者の意図を尊重しより美しく、アドリブは変幻自在だ。さて今宵は何をリクエストしよう。
コメント (11)
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