過小評価されているミュージシャンは数多くいる。例えばウディ・ショウ。ハード・バップからアバンギャルドまで幅広い音楽性を持ちながら、複雑で難解なフレーズのため大きな脚光を浴びることはなかった。パーカーを彷彿させる閃きで知られるチャールス・マクファーソンは、遅れてきたビ・バッパーと揶揄された。アーマッド・ジャマルのようにビッグネイムとの共演がないばかりに知名度が低く、日本でレコードが出なかったケースもある。
そして、ベニー・カーター。ジョニー・ホッジス、ウィリー・スミスと並びスウィング期の三大アルト奏者と呼ばれながらも日本での評価は芳しいものではない。かなりジャズを聴き込んでいる方でもリーダー作を10枚挙げるのは難しいだろう。ホッジスはエリントン楽団の看板スターで、スミスはハンプトン楽団のスターダストの名ソロでつとに有名だが、カーターの場合、何度か率いた楽団は商業的に失敗で決定的なヒット曲もない。また、高い音楽性から「King」と称されながらも、1940年代半ばに映画音楽の世界に身を移し、ジャズシーンから遠ざかったことも低評価につながったのだろう。
本国での評価は正当なもので、プリンストン大学で客員教授として数年間に亘り講義を受け持ち、セミナーの一環として演奏会を開いている。以前、ブルーベックのキャンパスコンサートでも触れたがアメリカ人が皆ジャズを聴いているわけではないので、学生にジャズを聴く機会を与えるのは大切なことだ。「All That Jazz」は、クラーク・テリーをはじめケニー・バロン、ルーファス・リード、ケニー・ワシントンと共演したセミナーのライブを記録したもので、ジャズのエッセンス全てが詰まっている。「Hackensack」、「Misty」、「Now's The Time」、「All Of Me」、楽しいのがジャズという選曲もさすがだ。
録音数が少ないからといって実力がないわけではない。機会に恵まれなかっただけだ。リーダー作がないからといって人気がないわけではない。縁の下の力持ちも必要なのだ。過小評価もあれば過大評価もある。ジャズ誌で大きく取り上げているからといって評価されているわけではない。広告を出す見返りだ。アルバム数が多いからといって人気があるわけではない。CDとジャケットを入れ替えても気づかない金太郎飴だ。本物を聴き分ける耳を養い、正当な評価を下すのはジャズを愛する者の務めである。
そして、ベニー・カーター。ジョニー・ホッジス、ウィリー・スミスと並びスウィング期の三大アルト奏者と呼ばれながらも日本での評価は芳しいものではない。かなりジャズを聴き込んでいる方でもリーダー作を10枚挙げるのは難しいだろう。ホッジスはエリントン楽団の看板スターで、スミスはハンプトン楽団のスターダストの名ソロでつとに有名だが、カーターの場合、何度か率いた楽団は商業的に失敗で決定的なヒット曲もない。また、高い音楽性から「King」と称されながらも、1940年代半ばに映画音楽の世界に身を移し、ジャズシーンから遠ざかったことも低評価につながったのだろう。
本国での評価は正当なもので、プリンストン大学で客員教授として数年間に亘り講義を受け持ち、セミナーの一環として演奏会を開いている。以前、ブルーベックのキャンパスコンサートでも触れたがアメリカ人が皆ジャズを聴いているわけではないので、学生にジャズを聴く機会を与えるのは大切なことだ。「All That Jazz」は、クラーク・テリーをはじめケニー・バロン、ルーファス・リード、ケニー・ワシントンと共演したセミナーのライブを記録したもので、ジャズのエッセンス全てが詰まっている。「Hackensack」、「Misty」、「Now's The Time」、「All Of Me」、楽しいのがジャズという選曲もさすがだ。
録音数が少ないからといって実力がないわけではない。機会に恵まれなかっただけだ。リーダー作がないからといって人気がないわけではない。縁の下の力持ちも必要なのだ。過小評価もあれば過大評価もある。ジャズ誌で大きく取り上げているからといって評価されているわけではない。広告を出す見返りだ。アルバム数が多いからといって人気があるわけではない。CDとジャケットを入れ替えても気づかない金太郎飴だ。本物を聴き分ける耳を養い、正当な評価を下すのはジャズを愛する者の務めである。