デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

アダレイ兄弟の絆とザヴィヌルの野望

2017-07-30 09:20:50 | Weblog
 「ナットはずっとビバップ・プレイヤーとして活動してきた。そのスタイルに慣れていたんだ。キャノンにはもう少し柔軟性があった。・・・ナットとキャノンが公然と争いをしたことはない。お互いに合わせようと、並外れた努力をしていたからね。兄弟だからといって自然にできることではない。だから、新しいサウンドを取り入れようとしていたジョーと、保守的なナットの間に争いがあったと言うほうが正しいだろう。」

 オリン・キープニュースの回顧が、文中に登場するジョー・ザヴィヌルの評伝「ウェザー・リポートを創った男」(ブライアン・グラサー著、音楽之友社刊)に紹介されている。フュージョン界で有名なジョーだが、61年から9年間キャノンボールのバンドに在籍しており、大ヒット曲「マーシー・マーシー・マーシー」はジョーが作った曲だ。60年代といえばボサノヴァにモード、フリージャズ、エレクトリック楽器の導入等で混沌とした時代だった。ジョーが新しいことを目指すのもうなずけるし、ナットが守ろうとしていたものもわかる。結果、ジョーがバンドを去ることで決着が付くわけだが、ファンキー臭漂うコンボが一つくらいあってもいい。

 1989年にスイスでライブ録音された「We Remember Cannon」は、兄に捧げたもので、かつてのコンボの意志を継続したスタイルだ。カフェボヘミアでの因縁の曲「I'll Remember April」に始まり、兄弟バンドを支えたサム・ジョーンズの「Unit 7」、十八番の「Work Song 」と続いて、ヴィンセント・ハーリングをフューチャーした「Soul Eyes」でクライマックスを迎える。マル・ウォルドロンらしい思索的なメロディーを持った曲だ。キャノンボールがデビューしたときパーカーの後継者と騒がれたように、ハーリングもまたキャノンボールの再来と言われたアルト奏者である。 レコード会社の宣伝に過ぎない常套句ではあるが、在りし日の大砲を彷彿させるフレーズはよどみがなく、音色は美しい。

 ジョーがマイルスから誘いを受けていたころ書いた曲に「In A Silent Way」がある。キャノンボールの前で演奏したとき、「美しい曲じゃないか。サイレントな感じだ」と言ってナットがこのタイトルを付けたという。どちらがこの曲を録音するかで揉めたが、「私はとても忠誠心の強い人間だ。だが、この曲はマイルスがやるべき曲だ」とジョーは言った。もし、キャノンボールが録音していたら69年のジャズシーンは変わっていたかも知れない。
コメント (4)
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