デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

メッド・フローリーとスーパーサックス 

2014-05-18 09:06:15 | Weblog
 「Supersax」という楽器名のようなグループを知ったのは、1973年初めのスイングジャーナル誌「世界のジャズ・ニュース」欄だったろうか。チャーリー・パーカーの曲ばかりを5人のサックスで演奏するという。それもパーカーが残した不朽のアドリブをアンサンブルで再現するというから驚きだ。アドリブはそのプレイヤーのその時限りものだから、それはジャズではない・・・

 というのが記事から受けた率直な感想だった。それから間もなく発売されたレコードを聴いて、先入観は大きく覆ることになる。パーカーの超人ともいえるテクニックはサックスを吹いたことがない人でさえ納得させるものだが、いくらプロのサックス奏者とはいえ、それを5本のサックスでアンサンブルとなれば驚きを通り越して唖然とする。特に難曲といわれている「ムース・ザ・ムーチェ」は、パーカーの高低差のあるフレーズや強弱が微妙なイントネーションを見事にハーモナイズさせていて、このバンドのレベルの高さを思い知らされた。

  
 更に驚くべきはこの「Supersax」の中心メンバーはメッド・フローリーだ。フローリーといえばアート・ペッパーの「+ Eleven」や、テリー・ギブズのバンドで名前は見ていたものの記憶に残るようなソロもなく印象は薄い。ただ名手であることは知っていた。フローリーが1950年にクロード・ソーンヒル楽団に参加したころ、パーカーは偉大なスターであり、活躍の場は東西と違うので直接の接点は見当たらないが、パーカーに憧れたことは容易に察しが付く。その憧れを地道な採譜作業を長期に亘って行い、形にしたのが「Supersax」だろう。

 そのフローリーが今年3月12日に87歳で亡くなった。録音が悪いからとパーカーを敬遠していたオーディオ・ファンをもとりこにした「スーパーサックス・プレイズ・バード」で、パーカーの真髄に触れた人は多い。事実、この時期パーカーのアルバムは急激に売り上げが伸びたという。今頃、パーカーとフローリーは共演しているかもしれない。一糸乱れぬアンサンブルで。
コメント (4)
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