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デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ヤクが効いたチュニジアの夜

2010-10-24 08:00:00 | Weblog
 ジェイ・マクシャン、アンディ・カーク、そしてエリントンと、スイング期の有名楽団に在籍しながらも知名度も評価も低いミュージシャンがいる。日本でその名がにわかに知られたのは、「ナイト・トレイン」の大ヒットだったが、これが悪かった。ルー・ドナルドソンのブーガルー同様、ポップヒットはジャズとして認めないばかりか、プレイヤーをも同じ目線で見てしまう。ソウルフルな演奏を好まない日本人のジャズ気質によるものだ。

 ジミー・フォレストがエリントン楽団を退団後、故郷セントルイスのクラブで演奏していた52年の春にふらりとトランペットを抱えたマイルスが現れた。52年というとマイルスが麻薬地獄に落ちていたころで、その悪癖を絶つため帰郷していたのだが・・・そう簡単に断ち切れるものではなく、麻薬代欲しさにフォレストのバンドに客演する。そしてフォレストもまた禁断症状と闘いながら演奏をしていた。その二人のセッションとなると聴く前から気が失せ、聴くとやはり落胆するが、それは演奏内容ではなく音の悪さである。当時、それ以上の技術しかなければ仕方がないが、ライブといえど鑑賞に値する録音の術はあっただけに残念だ。

 さて、肝心の演奏だが、音質の悪さを気にしなければとても二人がジャンキーとは思えないほど溌溂している。レイ・ブラウンの「レイズ・アイデア」で先発のソロをとるフォレストは、テキサス・テナーの泥臭さもあるが、バップ・フレーズも交えながら豪快なブローを展開しマイルスにつなぐ。続いてガレスピーの「チュニジアの夜」はマイルスが先発で、アドリブで滅多に他の曲を引用しないマイルスが、ヤクを買えるギャラが約束できたのか、或いはヤクが効いているのか、「朝日の如くさわやかに」を絡ませご機嫌だ。そのクラブにはどん底であってもジャズマンとしての誇りを忘れない二人がいたのだろう。

 「Our Delight」と題されたこのアルバムが発売されたのはマイルスが帝王と呼ばれる80年代に入ってのことだ。発売が見送られたのは麻薬渦のマイルスに将来を期待しないプレスティッジと、音質の劣悪さによる。その後技術の進歩で音が改善され発売できるまでに向上したが、もし、このレコードが最良の音質で録音とともに発売されていたならジミー・フォレストの知名度も評価も上がっていたに違いない。

コメント (24)
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