フランスの女優マリオン・コティヤールが、今年のアカデミー賞主演女優賞を受賞した「愛の讃歌」は、エディット・ピアフの生涯を描いていた。フランスでは最も愛されている歌手の一人で第二次世界大戦のドイツ占領下では、レジスタンス運動への貢献でもよく知られる。確かな耳と時代感覚を持つ人で、シャンソン界を賑わしたシャルル・アズナヴールやイブ・モンタン、ジルベール・ベコーの才能をいち早く見出したのもピアフであった。
生涯多くのヒット曲を持つが、「ばら色の人生」はピアフ自身の作詞によるもので、人生を映し出す含蓄のある詩と流れるような美しいメロディは、マレーネ・ディートリッヒもレパートリーに加えたほどだ。ジャズメンにも人気のある曲で、エロール・ガーナーも「パリの印象」で採り上げている。イントロの最後の低い一音が消えるかかる瞬間に主メロディを弾き出すタイミングは絶妙で、残響による空気の揺れを感じさせるほどに緊張感を生む。音数の多いガーナーだが、「間」も見事なもので、曲の後半、乗りのよさから唸り声を上げるガーナーにつられて、こちらもそれ以上の声を上げたくなる名演である。
57年にヨーロッパを訪れたガーナーは、パリを拠点にイギリス、オランダ等各国を回り絶賛を浴びた。パリで見た彩り輝く眩いばかりの景色、熱狂的なファン、アメリカでは味わえないひと時のばら色の人生だったのだろう。このアルバムを録音したのは帰国間もない58年で、2枚組という大作はシャンソンの流れるような旋律に魅せられたこともあるのだろうが、歓迎されたパリの聴衆の強い印象も窺える。72年に初来日を果たしているが、客足は伸びず空席が目立ち、そのせいか客席から顔を背けて弾いていたが、演奏内容は素晴らしいものであった。この一夜限りのコンサートが満席であったなら、「トウキョーの印象」というアルバムが存在したかもしれない。
ピアフは売春宿で育ち、街角でスカウトされ歌手としてシャンソンの一時代を築いた人だ。境遇はビリー・ホリデイに似ている。愛に恵まれなかった二人の人生は決してばら色ではなかったかもしれないが、心を打つ歌は聴くものをばら色に包んでくれることに間違いない。
生涯多くのヒット曲を持つが、「ばら色の人生」はピアフ自身の作詞によるもので、人生を映し出す含蓄のある詩と流れるような美しいメロディは、マレーネ・ディートリッヒもレパートリーに加えたほどだ。ジャズメンにも人気のある曲で、エロール・ガーナーも「パリの印象」で採り上げている。イントロの最後の低い一音が消えるかかる瞬間に主メロディを弾き出すタイミングは絶妙で、残響による空気の揺れを感じさせるほどに緊張感を生む。音数の多いガーナーだが、「間」も見事なもので、曲の後半、乗りのよさから唸り声を上げるガーナーにつられて、こちらもそれ以上の声を上げたくなる名演である。
57年にヨーロッパを訪れたガーナーは、パリを拠点にイギリス、オランダ等各国を回り絶賛を浴びた。パリで見た彩り輝く眩いばかりの景色、熱狂的なファン、アメリカでは味わえないひと時のばら色の人生だったのだろう。このアルバムを録音したのは帰国間もない58年で、2枚組という大作はシャンソンの流れるような旋律に魅せられたこともあるのだろうが、歓迎されたパリの聴衆の強い印象も窺える。72年に初来日を果たしているが、客足は伸びず空席が目立ち、そのせいか客席から顔を背けて弾いていたが、演奏内容は素晴らしいものであった。この一夜限りのコンサートが満席であったなら、「トウキョーの印象」というアルバムが存在したかもしれない。
ピアフは売春宿で育ち、街角でスカウトされ歌手としてシャンソンの一時代を築いた人だ。境遇はビリー・ホリデイに似ている。愛に恵まれなかった二人の人生は決してばら色ではなかったかもしれないが、心を打つ歌は聴くものをばら色に包んでくれることに間違いない。