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30数年前にリアの曲面ガラスウィンドウに張られたステッカーデカールは今でも劣化することもなく輝いている。
肝心の車(ヨタ)の方は相当、劣化が進んでいても・・・。
相当、昔の記事「RACING MATE」から。。。
もう何年も袖を通してない「緑色のフード付きコート」をタンスの奥から引っ張り出す。
幸運にも虫に食われた様子もなく、寒さを凌ぐには十分な「レーシングメイト」を着込み
相変わらず壊れたままの燃焼式ヒーターのせいで寒いコックピットへ潜り込み海を目指す。
水平対向空冷エンジンのオーバークールを防ぐためノーズのクーリングダクトのダンパーは全閉。
いつものパタパタと煩い音を聞きながら馬背峠を越え、訪れる者も少ない冬の海へ。
レーシングドライバー引退後はシキバエンタープライズを設立し1965年、日本のファッション革命でもある
「VANジャケット」の姉妹会社でもあった「レーシングメイト」ブランドで自動車のドレスアップ市場を開拓。
1965年7月、船橋サーキットで行われたCCCレースにおいて、「レーシングメイト」がメインスポンサーの
「浮谷東次郎」が駆るレーシング・エランが見事、優勝を飾る。(注:レーシングメイト自体は1970年代に消滅)
自動車雑誌「カーマガジン」の編集にも携わり、草創期の日本モータースポーツの牽引役ともなった「式場壮吉」。
享年77歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
車に興味を持った頃には東次郎館もなく、市川駅に大きく式場病院の看板が掛かっており、見る度毎に往時に想いを馳せていました。
お二人とも市川の名士の家系だったのですよね。
昭和がまた一つ終わった感じです。
あの頃、これらの名士のお家というか要はお金持ちの
ボンボンが走りまわっていた時代。
今では反感をかうような人たちでしたが、この人たちのお蔭で
モータースポーツというものが普及していったことには間違いなくて。
自動車業界にとっても一番いい時代だったと思います。
今では荒れてますがね・・・。