何か事が起きると必ずテレビに登場します「専門か?」みたいな「専門家」。
原発の時もそうでした。。。「原発に詳しい〇〇大学の〇〇教授に来て頂きました」とか・・・。
でも、大概が役にたちません・・・。「解説」は出来ても「解決」は出来ません専門家。
「今日は中東問題に詳しい〇〇さんに来て頂きました」。。。また来て頂きました。
テレビ局に「来るだけ」で、現場には「行きません」専門家。
世の中には「専門家」と称するセンセイの多いこと多いこと。。。
最も、「専門家」とは特定の事柄に精通し、専門的な知識のあるヒトのことですから別に
有事の現場へ行かぬとも、別に問題を解決しなくともテレビ局に行って解説していれば
それで良いと言えば良いのですがね・・・。
先日の「佐々木文具店」さんの伊吹町を後に北国街道から、↓ の「東海道」ではなく「中山道」へ。。。
(富士山をバックにではなく伊吹山をバックに東海道新幹線)
中山道は「醒ヶ井宿」からチョイ戻り、江戸日本橋から六十番目「柏原宿」。
当時、1.5キロにも及ぶ宿場町で今でも当時の名残を残す貴重な街並み。
伊吹堂亀屋(安藤広重「木曾街道六十九次」にも描かれてます)
少し散策し、小腹が空いたところで「うどん」でも頂くことに。
柏原宿歴史館に付属する「柏」。普通の麺類屋か食堂のような店内。
その店内の長テーブルの椅子が「ウェグナー作:Yチェア-」であることに少々ビックリ(笑)
そんなYチェアーに座り頂くは、名物「やいとうどん(¥450-)」。
ここ「柏原宿」は「もぐさ」で有名な所。現在でも「もぐさ屋」が一軒現存する。(上の伊吹堂亀屋)
ゆで卵を肌にたとえ、その上に「もぐさ」ならぬ「とろろ」。そして「紅生姜」を熱い「火」に見立てる。
アイデアだけでなくお味も美味。
お腹が満たされたところで「柏原宿歴史館」を見学。大正期の書院造りの建物。
そして、ここ「柏原宿」は諸説ある「福助」の起源の内のひとつの場所。(ウィキペディアが必ずしも正しいとは限りません)
この日は「伊吹堂亀谷」が休店だったため拝めませんでしたが、店内には広重も描いた日本で最大と
言われる福助人形が残っております。
何でも、ここ亀屋に正直一途の番頭「福助」が創業時、実際に勤めていたとか。。。
家訓を守り、日ごろから裃を身に着け手には扇子。道行く人に「もぐさ」を勧め売っていたらしい。
その後、この番頭福助の噂を耳にした伏見の人形屋が、耳たぶが異様に大きな番頭福助の特徴を
人形にうつし、商いで福を呼ぶということで瞬く間に流行したとか。。。
未だにたまに店先で見かけます「福助」。
現に土花亭にも「福助」は何体か飾ってあるし、土花吉の携帯にも「福助」がぶら下がる。
そんな、近場でも未だまだ知らないことが沢山あることを実感した「中山道柏原宿」。
帰路の途中、R365沿いに建つ「せんねん灸」の工場を見て。
「柏原」の「もぐさ」に「やいと」。。。だから?。。。なるほど。。。
お隣の滋賀県は旧伊吹町にある、可愛い文具店「佐々木文具店」さんにお邪魔。
背景には標高1,377m、雪を被る伊吹山。建物は大正期から昭和初期ぐらいでしょうか。。。
店内に入ると先ずは1歳と2ケ月の看板娘兼「社長」がお出迎え。
(写真も撮らせて頂いたのですが、この場で公開出来ないのが残念なくらい可愛い♪社長さん)
元は町の理容店だった建物で、その名残を残しつつ可愛い文房具がこじんまりと陳列されてます。
そんな可愛い「文房具店」ですが、実は珈琲も頂けるのです。
「文房具店で珈琲?」とっお思いでしょうけど、これが何故かリラックス出来る不思議さ。
そう言えば子供の頃って、鉛筆ひとつ買いに行く時でも文房具屋さんって楽しかった覚えが・・・。
そんな、土花吉は珈琲に土花吉の妻はカフェオレを頂く。
ここのカフェオレは地元の「伊吹牛乳」を使っております。
そんな、社長さんと歓談しながら珈琲を頂いたせいか、少し長居をしてしまい
「佐々木文具店」さんを後に、少し先まで足を延ばす。
佐々木文具店のブログ:http://sasakibungu10.shiga-saku.net/
世の中には「危険」なこと「危険なもの」「危険な地域」、色々ございます。
まぁ~、これさえ付いていれば別に「三角」な表示がなくても機能さえすれば足りること。
でも気になるのですねっ。ずっと、ずぅ~っと前からこの剥げてしまった「三角」がどうも気になってて・・・。
以前、スバルさんちで注文しようとしたら「コラムアッセンでしか品番が出なくて¥19,000円ほどです」
な~んて無情な返事。
そこで色々と調べてみると、確かにサンバー用では既に品番が出ない状態。しかし、スバルの
とある?品番で出ることが分り、早速注文。
「¥853円」。。。(お困りの方、上の品番で出ます。スバルの軽共通です。)
んでもって早速、の交換。
しかぁ~し、実は上側コラムカバーを外すのにはコラム自体を下げる必要があります。
カバー一つ外すのにも結構、大変な作業手順で30分近くも掛かってしまい何とか作業終了。
これで、気なっていた課題が一つ解決して満足。。。
でも・・・、この「hazard」関連では未だ解決しなければいけない課題がもう一つ。
チンクのhazard。
実は装備されてないのです・・・。古い車故、そんなモンは根っから付いてない。
車検上、必要な話も耳にしますが実際、走っていても必要性を感じることしばしば。
そんな、やっとの思いで入手した懐かしいパイロットランプ付きの中古ハザードスイッチ。
しかし、リレーが欠品しているのと配線が少々疑問に感じる部分も。。。
「hazard」を解決するのは未だ時間が掛かりそうです・・・。
常々、書いております地元TRGは「鉄道のまち」と?言われてはおりますが・・・。
確かにみなさんもご存じの「デゴイチ」(D51型蒸気機関車)の1号機が昭和11年、日本で初めて
配属されたのは地元TRG機関区であり、名うての北陸線「柳ケ瀬越え」に「山中越え」を抱える
TRGのために開発されたと言っても過言ではなく、鉄道の重要拠点であったことには間違いはない。
(因みに「柳ケ瀬越え」「山中越え(杉津越え)」共に現在は廃線済み)
そんな、ここからはいつもの愚痴の始まりというか個人的なプチ自慢というか。。。(笑)
実は地元の国道8号線脇のとある場所に、日の目をみない鉄道遺構があります。
それはあまりにも目立たない小さな遺構。
先ず地元の鉄道資料の何処にも取り上げられない小さなレンガ造りの鉄道橋。
現在のTRG駅の軌道からは外れた所に位置するのですが、今のTRG駅にとらわれてはいけません。
TRG駅は明治15年(日本初の鉄道:新橋横浜間開通から僅か10年後)、現在の気比神宮西南脇に開設したのが発祥。
そこからの軌道上に位置する明治期の「鉄道橋」なのです。
当然、詳細を説明案内する「銘板」も何もありません。
いつか、日の目をみせて上げたい反面、分る者だけ分れば良いと思ったりも・・・。
今日は「大寒」ですかねぃ。。。
12月は結構な雪で、元旦からも雪。でも、その後は小康状態で珍しく温かい大寒です。
あっ、年末の雪の朝又もやの珍客も。。。
又、あいつかも・・・。→ 今年の柿は
ところで、今冬は何故か目立ってます樹木の冠雪害。
それも「幹折れ」ではなくて「幹裂け」。
除雪等で雪を触っていても、そんなに水分がいつもより多い重い雪には感じないのですが・・・。
何故ですかねぃ。。。無惨で少し可哀想で・・・。(このソメイヨシノたちも幹裂け)
この季節、回りの土は雪に覆われ顔を引っ込めたり。。。
土花亭の回りの土が久しぶりに顔を出したところで、今庄宿を目指し峠を越える。
しかし、木の芽トンネルを抜け出たところで、辺りの景色は一変する。
やっぱ多いですねっ。。。路肩の雪の量も違います。
そんなこんなで、今庄宿を少し過ぎたところの「土の駅」で久しぶりにバイキングを楽しむ。
こじんまりしたバイキングなのですが味が私たちに合うのです。
前回は「おろし蕎麦」三杯止まりでしたが、今日は四杯も頂く。(土花吉の妻は三杯)
まぁ~、蕎麦だけで元を取ってしまっているのですが、惣菜以外にも「ぼたもち」に「おこわ」に
食後の珈琲と減量作戦も何処吹く風・・・。
「土の駅 今庄」:第三日曜バイキング/¥1,650-。
大満足のランチからの帰還途中、何故か超低速徐行で踏切を通過する「トワイライトエクスプレス」に出くわす。
もう残り2ケ月を切りましたねぃ・・・。
以前の「ホノケ山から土の駅」
もう20年経とうとしてます。
あの時、少し離れた北陸で何をしていたのか・・・。建築に携わる大人として何も出来なかった・・・。
所属団体の研修と称して、バスの中から復興状況を視察しても何の役にもたたないどころか邪魔者。
その後、「応急危険度判定士」の登録をしたり、「耐震診断士」として旧耐震基準の建物を地元で
十数棟、社会奉仕のつもりで診断やら補強計画をしたり。
しかし、これと言ったことは何一つ出来ていない・・・。
その年に生まれたこどもたちは成人し、その時こどもだった人たちは大人になっている。
「その街のこども」。。。2010年、阪神・淡路大震災15年特集ドラマとして放送。
放送後に大反響を得て、劇場版も公開。
配給収入の一部を災害救護活動の支援を目的に日本赤十字社へ寄付。しかし、翌2011年発生した
「3.11」を機に、東日本大震災義援金に切り替える。
最近多い、この手のキャラ(マスコット)についてはあまり好まないのですが・・・。
旧加悦鉄道/加悦駅舎。
昭和初期ぐらいの建物でしょうか、木造2階建て洋風建築。
元はこの場所ではなかったのですが平成に入り移転修復され資料館に。
(当時の加悦駅前風景)
こちらは駅構内の風景。。。まるでオモチャかジオラマのようにも観えます。
ところで、この「加悦鉄道資料館」。中の展示物の内容たるや凄いのです。
何処ぞの「鉄道のまち」と称する地元TRG市のそれと比べても雲泥の差。(笑)
そして、上の写真に映る車両は少し離れた「加悦SL広場」に保存されています。
中々の雰囲気のその「SL広場」 。
一点だけ、国鉄車両C57とC58も奥の方に保存してあるのですが、保存状態も悪く少し可哀想にも・・・。
連休中日、全線開通して初乗りとなる「若狭舞鶴自動車道」で京都方面を目指す。
野坂山連峰を真正面に残雪を気にしながらの走行。
連続するトンネルを抜けた途中、上中辺りで濃霧に突っ込んだりで速度を上げれない・・・。
でも小浜を過ぎ、青葉山が観えた辺りから晴れ間も覗き、雪がなくなる。
綾部JCTで京都縦貫自動車道終点「宮津天橋立IC」、そして「与謝天橋立」を左折で「与謝野町」に到着。
早速、観光協会の無料駐車場へ駐車し、天神橋を渡り「ちりめん街道」を散策。
結構残ってます「伝建」。そして、目的の「旧尾藤家住宅」を見学させて頂く。(入館料:¥200-)
江戸後期の建築。随所に明治、大正、昭和と時代を追い、手は加えてあるものの修復保存状態は良い。
季節がらの「恵方」も今年の方角に向けて飾ってある。
因みに太巻きを食べる習慣は近年のもので、これが本来の「恵方」です。
間取り的には内庭を座敷や蔵、洋館がぐるっと囲む間取り。
仕事柄、色んなディテールを勉強させてもらう。
まぁ~昔の人たちは粋で、ちょっとした細工で演出することに長けてます。
目を引いたのが、この襖絵。。。普通はあまり使わない(描かない)カラス、珍しいですねっ。
不吉なイメージがあるカラスも一説には家内に入ると吉をもたらすとか・・・。
ボランティアの案内人が丁寧に説明をしてくれます。
(ちりめんの羽織を着た案内人に説明を受ける土花吉の妻)
「洋館」に興味を持つ土花吉の妻は真剣に聞き入ってましたねぃ。
通りにはこんな洋館も。「旧伊藤診療所」。玄関上のこの漆喰細工は圧巻。
因みにこの界隈も空き家が目立ち、朽ち果ててしまった「伝建」もチラホラ。
その中で、たまたま風通しのため来ていた所有者の御身内の方に、朽ち果てようとする古民家を一戸
ご厚意で見学させて貰ったけど、何とか手を入れることが出来ないものかと思う・・・。
こちらは「旧尾藤家」でお土産に頂いた、ちりめん透かし彫りに使う型紙を再利用した「栞」。
ここ「与謝野町」が与謝蕪村や与謝野晶子と縁があるとは初めてしりましたが、俳句に短歌
中々の良い品です。
そして、遅めの昼食は「道の駅」で頂く「絹うどん:¥450-」
何でも、「シルクパウダー(絹から食用となる部分を抽出したもの)」入りらしく、丹後でここでしか食べれないらしい。
って、ことでお次は「道の駅」繋がり?・・・でっ「鉄道」も少し見学。。。(続くぅ~。)