先日の日曜、caffe 月の虹の閉店後、地元のとある場所で開催された、大河ドラマ「光る君へ」のパブリック・ビューイング
に参加。時間は放送に合わせた20時からなのですが、実はその前の19時からの「歴史講座」が目当てといえば
目当て。まぁ~、地元市長の挨拶はさて置き・・・。
今回、大河ドラマにも登場した、地元にあったと言われる越前乃国の迎賓館「松原客館」についての話を、今回の
講師である「気比史学会会長」より何か新しい話を聞けるかと期待。
実は会長さんとは土花吉が20歳ぐらいから存じ上げていて、ここ数年はお会いしていなかったので講座が
始まる登壇前にご挨拶に伺い、暫し歓談。
しかし、講座で肝心の「松原客館」についての新しい情報はなく、諸説ある場所の特定については改めて
土花吉が「この場所で間違いない」と思ってる場所を覆すことはなかった。
歴史講座が終わったところで暫し、休憩を挟み放送時間に合わせ少しピンボケのスクリーンで式部役の吉高を眺め
パブリック・ビューイングを終える。(暫くは「松原客館」が舞台のようで)
ところで、最初に挨拶に立った土花吉より7つ程若い市長。旧ソビエトとの昭和中期の貿易や地元TRGとの
関りを喋ったのですが、全くもって歴史認識が間違っているのと無知が過ぎる。
当時の「露」や文化大革命後の「支那」との関りは地元港町としては決して友好的なものでは無かった筈。
ロシア人(因みに市長はソ連人と言ってた)は人の玄関先にある自転車を盗みまくり、支那人は毛沢東の赤いバッジを
港町の子供たちのこずかいを巻き上げ、その代わりに渡していた。
地元では「ソ連人」などという呼称ではなく蔑称である「ロスケ(露助)」と呼んでいたのです。因みの話ですが。
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