年越しを前に、自身の心の中に「やり残したこと」が常にここ数年あり、いつも悔やんでいた。
「今年も出来なかった、果たせなかった・・・」と。。。
今まで生き来て、教育の場で数々の先生と接しては来たけど「恩師」と呼べる先生はただ一人。
高校2年の時の担任で、温和で歳も10ほどしか違わなかったせいか何でも相談できた。
家庭のこと、進学のこと。。。
授業中、突然「〇〇(土花吉)。家から電話がかかっているから職員室へ来い」と呼び出され
傍らで、土花吉の家からの電話の対応を観ていた先生。
電話を切るなり「何かあったら必ず相談しろ」と言ってくれた。
進学を希望していた土花吉の志望校を聞き、今の成績じゃ厳しいからと放課後、補修授業もしてくれた。
(勉強が出来るという歓びを感じたのは、この時が初めてだった)
補習授業の後、よく晩飯も奢ってくれたり。
(実は、よく食べに連れて行ってくれた食堂の娘に好意を抱いていた、その先生)
そんな補習授業のかいもなく、家庭の事情で進学を諦めなくていけなくなった時も一緒に悔しがってくれた。
そんな先生も3年に進級すると同時に転勤となる。
僅か1年間だったけど、色々有り過ぎたせいかその1年が短くも感じた高校2年。
それから5年後に当時、クラスメイトであった妻と一緒になるわけですが、結婚を前に
ご挨拶に二人で伺った時、驚きながらも温かく迎えてくれた。そして式にも出席して頂く。
当然、妻も教え子であるわけで、当時5年ぶりに会うクラスメイトの女子たちと楽しそうにしていたのを記憶する。
(因みにクラスメイトの女子たちとも色々と思い出があったようですが男子故、あまり詳細は知らない)
それから10年後ぐらいに、そのクラスメイトの女子が一人他界する。
通夜、葬式と学校関係者で駆け付けたくれたのも、この先生ただ一人。
残された妻を含むクラスメイトの女子と一緒に悲しみ、泣いていた・・・。
そんな「恩師」も数年前に定年退職したこと、そして大病を患ったこと。
知ってはいたのですが中々、会いに行くことが出来なくて・・・。
今まで時間も有った筈、近所まで別の用事や遊びでも行ってるにも関わらず「タイミング」というか
何というか・・・。そこは、やはり「恩師」故の壁みたいなものがあったりで。。。
そんな、今年こそは「年越し」はしたくないということで、妻と二人。そうっ、今から32年前と同じく
ご挨拶に二人して伺う。
ほんの小一時間ほどだったけど楽しかった。思っていたよりお元気そうで顔の色つやもよく
妻曰く「土花吉よりよっぽど艶々してて若い」(笑)
会話の中に出てくるクラスメイトの名前をフルネームで覚えていることに驚き、妻のことは当然?
旧姓で呼ぶ恩師を眺めながら「来て良かった。。。今年最後の用事ごとで良かった」と思い
何となく「年を越せる」ような気がした。。。
そんな今年も終わりを告げようとしてます。
今年はあまりバイクに乗れなかった年であり、妻も大型バイクを下りた年でもあったけど
その代わりにバイクみたいな小っちゃくて古い車(チンク)が新しく仲間入りした年。
そして、14歳の自分自身にご褒美(個展)も出来た年。
相も変わらずバタバタと慌ただしく過ごした1年。
今年も沢山の方のご訪問を頂戴し、好き勝手な記事に対してコメンドで頂いた次第です。
では、今年この場に来ていただいた皆様に幸おおからんことお祈りし、今年最後のブログ
といたします。。。