徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第百四十二話 五番目の子供 )

2009-07-20 17:21:17 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 突然襲ってきた下腹の痛みに耐えかねて、ノエルが飯島病院のあの特別室へ運ばれたのは夜半過ぎのことだった…。
まだ産み月でもないのにノエルの子宮はすでに限界…。
緊急の連絡で駆けつけた北殿の不思議な力で、輝の胎児は仮親の産道を通ることもなくこの世に生まれ出で、飯島院長の手で保育器へと移された…。

 8ヶ月までノエルの胎内に置いておければ…万が一未熟児で生まれたとしても何とか無事に育つだろう…。
それが…ノエルと胎児を診断した飯島院長と治療師たちの見解だった…。
けれども…他人の子宮という環境は胎児にとって予想以上に過酷だったのかも知れない…。
標準に満たない小さな身体は見るからに弱々しかった…。

 新生児ICUの保育器の中で管に繋がれた嬰児を…西沢は複雑な想いで見つめていた…。
吾蘭や来人の生まれた時とは違い…まるで映像でも見ているような存在感の無さ…。
嬉しい…というよりは…哀しい…ような…。
それでも嬰児の顔立ちには何処となく思い当たるものがあって…無意識に笑みを漏らした…。

輝…。

西沢が無意識に呟いた名前…。
近くに居た看護婦たちはそれを…五番目の子供の名前だと思った…。



 ノエルの中の女性としての臓器は、機能不全を通り越して存在することさえ意味をなさず、それが何であるかもよく分からないものと化していた…。
朽ちた細胞をそのままにしておけば、後々、ノエルの身体に何らかの悪影響が出てくるかも知れない…。
医師や治療師たちの診立てが一致して、時を置かず、残骸と化した臓器は全て摘出された…。

 太極の化身ノエルはようやく…16歳のノエル…を越えた…。
止まっていた時が再び動き始めた…。


「ちょっと複雑…なんだ…。 事故に遭う前の何も知らなかった僕に戻っただけなのにね…。
これが本当の僕だから…嬉しいはずなんだけど…ってか…めっちゃ嬉しいには嬉しいんだけど…。

 たださぁ…もう…紫苑さんの奥さんでいてあげられないし…子供たちにはママが居なくなっちゃったし…。
それに…紫苑さんに何かあっても…もう生命エナジーの基盤を産んであげることはできないんだよね…。

そこんとこが…さ…。  」

入院の連絡を受けて飛んで来た亮に…ノエルはそう言って溜息をついた…。

「けど…気持ち的には…あんまり変わってないと思うよ…。
紫苑さんの傍で暮らしたい…って想いは消えてないもんな…。 
僕の居場所は…紫苑さんと恭介先生の間…そう決まってるんだ…。 」

変なところで自信有り気だし…と亮は穏やかに微笑んだ…。
口元に少しだけ寂しげな陰を残して…。

「…で…赤ちゃんはどんな具合…? まだ保育器に入ってるって聞いたけど…。
どっちだったの…? もう…名前とか決まった…? 」

そう訊かれてノエルは急に眉を曇らせ声を落とした…。

「女の子…。 それがさぁ…紫苑さんたら…ひかり…としか言わないんだ…。
多分…輝さんの…ひかり…同じ名前…。

僕としては別にかまわないんだけど…ほんとにそれで…いいのかな…って…。 」

 公園の絵の先生…と近所の子供たちに慕われるくらい子供好きな西沢なのに、輝の遺児に対してはこちらが思うほどの感情を表さない…。
ノエルにはそれが不思議で仕方がなかった…。

実子である吾蘭や来人にだけでなく、直接には自分の血を受け継がない絢人や慧勠にでさえ惜しみない深い愛情を注ぐ西沢が、何故か妙に冷めた視線を向ける…。
実の娘だというのに…。

「あの子に会いに行くと…笑顔見せたり話しかけたりしてるから…別に嫌ってるわけじゃないんだけど…。
ほら…なんて言うか…子犬とか子猫なんかを見て単純に可愛いと思う…そんな感じ…なんだよね…。 」

あれほど子煩悩な紫苑さんが…だよ…。

理解し難い西沢の態度にノエルは戸惑いを隠せない…。
どちらかと言えば楽観的なノエルの…これまでになく不安げな様子に…亮も尋常ならぬものを感じ取った…。

「ふ~ん…そうなんだ…らしくないんだ…? 
けど…これまでとは違って嫁さんの妊娠・出産過程ってものがないから…まだそれほど実感が湧いてこないだけなんじゃないかな…?
輝さんのことで…かなりのショックを受けた後だしね…。 」

紫苑はまだ輝の死を受け入れられないでいる…。
滝川の言っていた言葉が亮の脳裏をちらっと掠めた。

もうちょっと様子を見てから考えようよ…。

 そんなふうに亮は答えた…。
仮親になったノエルの気持ちも分からないではなかったが…西沢を問い詰めたとしても…答えは返って来ないような気がした…。

そうだね…。
そうするしか…ないかもね…。

釈然としないまま…ノエルは頷いた…。




 最後の一滴がぽとりと落ちて…滝川自慢のコーヒーに小さな波紋が広がった…。
上出来…と…滝川は胸の内で呟いた…。
珍客を持て成すための一杯…そして滝川自身のための一杯…。
ふたつのカップが特別な部屋のテーブルに並んだ…。

「悪いわねぇ…予約なしで来ちゃった…ってのに…。」

 勧めに従ってカップを手にした珍客は、そう言って突然の来訪を詫びた…。
滝川を指名しての撮影依頼は前以て予約が必要…と…一旦は撮影を断わられたことを気にしているのだ…。
受付嬢が申しわけなさげに釈明しているところに…幸いにも滝川がひょっこり顔を出した…。

「いいんだよ…そんなこと…。
御得意さんが搗ち合わないようにしてあるだけだからさ…。
他の仕事してる時もあるしね…。
あまり長い時間…御客を待たせるのも申しわけないんで…。 」

そう言って滝川は機嫌よく笑って見せた…。

ポートレート…ね…。
コースはいろいろ…所要時間も料金もコースによるんだけど…。

 コース一覧を渡して一応本人の希望を訊いてはみるが…珍客はその立場上VIP料金コースを選ばざるを得ない…。
滝川としては有り難い話だが…見た目からは想像もつかない彼の控えめな性格を思えば…一覧を見せるのが気の毒なような…。

これが…お姉ちゃまならねぇ…何もかも最高クラスで構わないのよねぇ…文句なく綺麗な人だったもの…。
私の写真じゃ…いくら御金かけたって同じよぉ…。

 一般とは桁違いの料金表に溜息をつく…。
別に懐具合が悪いわけではないが分不相応に思えて気が引けるのだ…。
長い間、華やかな姉麗香の陰で働いてきたから、表舞台に立つ身となった今でも、誰にというわけではないけれど、ついつい気兼ねしてしまう…。

いつまでたっても…変わんねぇなぁ…。
今や押しも押されぬ存在なんだから…もう誰に気を使う必要もないじゃないか…。

滝川は苦笑する…。

別にねぇ…私が撮りたいってわけじゃないのよぉ…。
庭田の顔が一枚の写真も作ってないんじゃ困るって…うるさいもんだからさぁ…。
私は顔写真が1~2枚あれば…それでいいと思ってたから…まともな写真なんて何年も撮ってなかったの…。
そうしたら…免許証じゃないんだからちゃんとしたのを用意しろ…ってさ…。
ホント…面倒だったらありゃぁしないわ…。

「どうせなら…できるだけ早い方がいい…と思って…。 」

湯気を立てているコーヒーカップにそっと唇をあてた…。

ん~…美味しい…。

珍客は満足げに呟く…。

「早い方がいいのは…写真だけじゃないだろ…スミレちゃん…。
わざわざ僕のスタジオに御出ましあそばすなんざ…何か…紫苑に聞かせたくない話があってのことだな…? 」

予約なし…は計画的…ってわけだ…。

予約を取れば西沢に悟られる虞がある…。
それを見越しての不意の来訪…。

さすがは…天爵さま…と…滝川を唸らせた…。

うふふ…麗香似の見目好い唇が笑う…。

「そのとおり…察しがいいわねぇ…。

余計な御世話かとも思ったけれど…このまま放っておくのもどうかと…。
他家の私がどうこう言うよりは…先生の方が適任だし…。 

気付いてるんでしょ…先生…?
ひょっとすると…紫苑ちゃん自身も…。 」

問いかけるような眼差しで滝川を見た…。

「そう…かも知れん…。
だけどな…スミレちゃん…仮にそうだとしても僕は…もう少し…待っててやりたいんだ…。
紫苑が輝の死を受け入れて…自分の気持ちに決着をつけるまで…。 
そんなに…長いことじゃないと思うし…。 」

ただでさえ難解な西沢の心の迷路に、傍から余計な刺激を与えることが賢明な策だとは、滝川には到底考えられなかった…。
自然に…流れのままに…少しずつ癒されていくのを待つべきだ…。

それを聞いて…珍客は殊更…穏やかに微笑んだ…。

「でもねぇ…あれはこの世にあってはならないものなの…。
分かるでしょ…?
器は所詮…器…それ以上のものでもそれ以下のものでもないわ…。
あのまま何年置こうと…それだけのものでしかないのよ…。 」

確かにその通りだ…と治療師としての滝川は思った…。
それでも西沢が憔悴しきっている今の段階で…酷な話を持ち出すことには躊躇いがあった…。

「大丈夫…心配ないさ…。
紫苑は必ず自分の手で始末をつける…。
これまでだって…ずっとそうしてきたんだから…。 」

 そうは言っても…不安がないわけではなかった…。
いつもと変わらない平静さを装っている西沢だが…その何気無さがかえって不気味…胸の内で何を考えているのかを想像するのが怖いような…。
西沢という男を誰より熟知している滝川にさえも見えない部分はある…。

「スミレちゃんの忠告…心しておくよ…。
好ましくない方向へ向かっていくようなら…その時はちゃんと軌道修正させる…。」

思ったより素直に忠告を受け入れた滝川に…スミレも安堵して大きく頷いた…。

それじゃ…さっそく撮って頂こうかしらぁ…。
コースはこの際なんだっていいけど…できるだけ美形に撮ってちょうだいねぇ…。

「それは大丈夫さぁ…スミレちゃん…写真は口きかねぇからな…。 」


 

 本来の自分を取り戻して意気揚々と戻って来たノエルだったが、いざ新しい気持ちで生活を始めてみれば今までと何処といって変わるところもなく、毎日が静かに過ぎていくだけだった…。

 あの頃、心の落ち着く先のないノエルのために、結婚という形をとってノエルに居場所を与えてくれた西沢…。
何時の日にかノエルが16歳の自分を取り戻せたなら…そこから再出発できたなら…笑って自分の許から旅立たせる…そう心に決めて…。

 今…改めて何ひとつ変わることのない平穏な日常を享受している自分を思うと…西沢がどれほど懸命にノエルのためを考え…ノエルにとって過ごしやすい家庭を築いてきてくれたかが痛いほど分かる…。
奇跡としか思えない出産を繰り返しながら…けれど…女性としては生きられないノエルのありのままを受け入れて…それでも幸せだと言ってくれる…。

「ねぇ…紫苑さん…僕はまだ…ここに居てもいいの…?
僕は…もう…紫苑さんの奥さんってわけには…いかないよね…。
やっぱり…実家に戻らなきゃいけないのかな…? 」

長いこと胸にしまってあった不安…恐る恐る訊ねてみる…。

えぇっ…?

突然の問いかけに怪訝そうな西沢の顔…。

「いきなり…どうしたの…?
ここはノエルの家なんだから居ていいに決まってるじゃないか…。
男でも女でもノエルはノエル…奥さんじゃなくても…僕の家族だよ…。

ノエルがここを出たい…って言うなら…それはそれで仕方ないけど…。
できれば…アランたちがもう少し大きくなるまで一緒に居て貰えると嬉しいんだけどなぁ…。 」

遠慮がちな西沢の言葉…。
ノエルの背中を押してやらなければ…と思いながらも…いざとなると躊躇ってしまう…。
そうしてずるずると…何年も先延ばしにしてきたノエルとの別れ…。

「僕はここに居たいよ…。
けど…完全な男になっちゃった僕は…もう紫苑さんにとって…何の意味もない存在なんじゃないかって…。 」

そう口に出してみて、ノエルはあっと思った。
慧勠を産んで機能停止してから…ずっとノエルを悩ませてきた不安の原因はそれだと…やっと気付いた…。

「ノエル…そんなこと考えてたの…?
意味は…在り過ぎるくらいだ…。
なんと表現していいのか…言葉にするのはとても難しいのだけれど…。 」

時が来たのだ…と西沢は感じた…。
失うことを怖れてずっと曖昧にしてきたこと…この先のふたりのことを…しっかりと話し合うべき時が…。

どんな結果が出ようと…もう…回避する術なし…だ…。

西沢はひとつ…大きく溜息をついた…。









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