スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

コスタリカ 2018年(6)トルコのテレビドラマ

2018-09-15 16:39:46 | コスタリカ
 お笑い番組の次はドラマである。恋愛ドラマだろうか。キャストが紹介されるが、どうもトルコ人っぽい名前である。義妹に“¿Turquía?”(トルコ、形容詞は turco)と聞いてみると、やはりそうである。俳優は白人ばかりだし、イスラム色は感じられないので、メキシコあたりのドラマかと思ってしまう。当然、トルコ語ではなく、スペイン語吹き替えである。
このドラマを見る限りではトルコはヨーロッパの一員のように見える。EU加盟のためのいい宣伝になりそうだが、ひょっとしたら国策としてやっているのかもしれない。トルコはヨーロッパのように見えても、別の側面もある。小島剛一氏の『トルコのもう一つの顔 (中公新書)』と『漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」』が非常に参考になるので、一読をお勧めする。
 
 さて、このドラマのタイトルはトルコ語で“O Hayat Benim”。スペイン語訳は“Me robó mi vida”となっていた。意味は「(主語不明)私の人生(命)を奪った」ということである。後で調べてみたら、このドラマはラテンアメリカ各国で放映されているようである。スペイン語版ウィキペディア“O Hayat Benim”によると、“O Hayat Benim”は“Esa vida es mía”(英 That life is mine)と訳されているが、作品のタイトルとしては、ウルグアイでは“¿Quién se robó mi vida? ”(だれが私の人生を奪ったか)、ペルーでは“Se robó mi vida”(私の人生は奪われた)、プエルトリコ、ドミニカ共和国、パナマ、米国、メキシコ、パラグアイ、エクアドル、ホンジュラス、チリ、ボリビア、ニカラグア、そして、コスタリカでは、“Me robó mi vida”となっている。
 念のために、Google 翻訳に当たってみた。トルコ語は縁遠いので、辞書は持ち合わせていない。
 O は「彼女」(西 ella)、Hayat は「命、人生」(vida)、Benim は「私の」(mi)となっている。スペイン語への直訳は“Ella (es) mi vida”である。
 テレビ放映されている国の中に米国があるので、まず米国で放映され、そこからラテンアメリカ各国に広まったのではなかろうか。トルコからいきなりコスタリカということは考えにくい。
 ちなみに、テレビドラマは drama ではなく、novela(「小説」)と言っていたような記憶がある。
 そのうち夕食になった。ビフテキ(bistec)、サラダ(ensalada)、豆(フリホーレス frijoles)とジュースである。チーズかけ揚げバナナ(plátano frito con queso)もついていた。これはコスタリカの典型的なデザートである。ビフテキと一緒に、皮付きで出てきたので、ナスと間違えてしまった。
 食後、女房殿が義妹に我が家の次女夫婦の写真を見せていた。旦那はかなりスリムなので、“Alan Brito”だと筆者が言うと、ちゃんとわかってくれた。これについては“Alan Brito”を参照願いたい。

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コスタリカ 2018年(5)コスタリカ滞在 第1日目 ひたすら寝る

2018-09-14 18:46:16 | コスタリカ
8月17日(金)天気不明
 朝6時前に一度目覚めたが、トイレに行ってまたすぐ寝る。午前中芝刈り機の音がしていた。かなり長時間のようだったが、夢の中で聞いていたような感じである。午後2時ごろだろうか、大きな雷で目覚めたが、構わず寝る。5時ごろ、地震があったようである。震度2から3ぐらいだろうか。これぐらいでは驚かない。まだまだ寝る。午後6時ごろやっと目が覚めた。合計18時間ぐらい寝ただろうか。6時半に寝床から出る。外はもうくらい。結局、この日はお天道様を拝んでいないので、昼間の天気がわからずじまいである。義妹の旦那に聞いたら、いい天気だったとのこと。義妹の子供(といっても、姉は24歳、弟は17歳)が2人リビングにいたので、あいさつする。
 服装は短パンにポロシャツ、サンダル履きである。パジャマは上は半そで、下は長ズボンでちょうどいい。エアコンや扇風機は要らない。
 台所に大きな壁掛けテレビがある。昔は地上波だけだったものだが、最近はBSなどいろんなチャンネルがある。しかし、やはり地上波がコスタリカのローカル色にあふれているので、見るなら地上波である。たまたま、地上波の番組をやっていた。まず目を引いたのはペットフードのCMである。以前はこんなCMは見なかったと思う。
 お笑い番組で大統領の物まねをやっていた。1980年ごろの大統領たちは年配の男性だったが、今の大統領は若い男性である。先代の大統領は初の女性大統領だった。

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コスタリカ 2018年(4)序章 コスタリカ到着

2018-09-13 17:25:40 | コスタリカ
 何とか8時間を過ごし、コスタリカ行きの便に乗り込んだ。中央に通路を挟んで、左右3席ずつのいつものタイプである。狭い。毎回、満席のような印象である。
 サンホセまで2時間45分なので、すぐに着いてしまった。到着時刻は午後11時ごろである。コスタリカはサマータイムを実施していないので、メキシコより1時間遅くなっている。
入国手続きに向かう。3年前も係官と雑談したが、今回もそうなってしまった。“¿Habla español?”(スペイン語を話しますか)と聞かれたので、つい、“Sí, señor”だけでなく、40年近く前、コスタリカ大学で日本語を教えていたと言うと、係官もコスタリカ大学で勉強していたのだと言う。ただし、卒業したかどうかはわからない。勉強はだれでも(今では試験があるらしいが)できるが、卒業はちゃんと勉強しなければできない。
 日本の地方空港より少し大きい程度の空港で、さらに深夜でもあったので、後ろに他の人が並んでいなかったように思うが、あまり長話ししても悪いので、適当に切り上げた。
 次は荷物引取りである。日本からのスルーチェックでもあり、ウォッシュレットは fragile(壊れ物:西 frágil「フラヒル」)扱いになっていたこともあり、一番最後に出てきた。無事、引き取り、税関(aduana)に向かうが、出口のすぐ前に免税品コーナーがあった。昔はなかったような気がするが、商魂たくましいことである。
 ここも無事に通過して、いよいよ出口に向かう。
 出口には空港近くの町アラフエラ(Alajuela)に住んでいる義妹夫婦が車で迎えに来てくれていた。今では車は一般大衆にも手が届くようになっている。安っぽい車も多いが、義妹の旦那の車は立派な車である。荷物も問題なく収まった。
 アラフエラの家までは、深夜ということもあり、ものの10分で着いた。ラッシュアワーだったら、30分ぐらいかかりそうなところである。
 義妹夫婦の自宅は表通りからゲートを通って敷地に入る。この敷地には旦那の親族が住む家が数件ある。旦那の家は一番奥にある。ゲートは3年前は手動であったが、今では電動になっていた。リモコンで開閉するのである。
 気温は摂氏24度。ここは標高1000メートル近いので、涼しい。日本よりよほど涼しい。雨が降った後のようである。
 前回の訪問は12月の乾季だったが、今は雨季である。
 メキシコからサンホセまでの飛行機では飲食物は何も出なかったので、少々空腹である。arroz con pollo(アロス・コン・ポージョ、コスタリカ風チキンライス)をいただいてから、眠りについた。午前2時前である。

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コスタリカ 2018年(3)序章 メキシコ・シティ国際空港にて

2018-09-12 17:20:08 | コスタリカ
8月16日(木)
 日本とメキシコとは時差が14時間あるので、まだ8月16日である。本来は15時間のはずなのだが、サマータイムなのだろう。到着時刻は現地時間の正午ごろである。
 メキシコ・シティーの国際空港はベニート・フアレス国際空港(Aeropuerto Internacional Licenciado Benito Juárez)と呼ばれている。メキシコに住んでいたのはもう25年以上も前なのに、ベニート・フアレスの名前はちゃんと覚えている。
 
 【ウィキペディア「ベニート・フアレス」より】
 ベニート・フアレスについてはリンクをご覧いただきたい。メキシコで最初の先住民出身の大統領である。ただし、彼以外の先住民出身の大統領は思い浮かばない。みんな白人のような印象である。
 さて、メキシコ・シティーでは乗り継ぎなのだが、入国手続きをしなければならない。外国人の窓口は長い行列である。別に急ぐわけでもないが、フライトで疲れているので、少々つらい。
 特に問題もなく、入国する。荷物はコスタリカ、サンホセまでのスルーチェックにしているのだが、スルーチェックでもたまにメキシコの空港で降ろされることがあるので確認するよう、日本のアエロメヒコの荷物預かりカウンターで言われていた。ということで、荷物引取り所のインフォメーションで聞いてみたが、サンホセまで行くとのこと。やれやれである。
 乗り継ぎ便のサンホセ行き(午後8時40分発)まで8時間ある。一度空港の外に出ると、また手荷物検査とボディーチェックがある上、3時間前にまた戻ってこなければならない。面倒なので、そのまま空港にとどまった。出発ゲートがたくさんあるが、人があまりいないところに行って、横になる。あまり寝ていないので、眠い。女房殿もいっしょに寝てしまうと、盗難の心配があるので、一人ずつ交代で仮眠を取る。
 しかし、空港のアナウンスがうるさい。訓練をつんだベテランはゆっくり、わかりやすく話してくれるのだが、まるで友達同士の会話のように早口、大声でアナウンスする女性のキンキン声には閉口した。
 横になってばかりもいられないので、トイレに行ったり、歩き回ったりするが、WiFi カウンターのようなところは Huawei(「華為」、コスタリカでは「ワーウェイ」と発音されていたが、メキシコでも同様だろう) の看板だらけである。コスタリカのスマホも Huawei ばかりだったが。
 コンビニらしき店もあった。入り口にカタカナで何やら書かれているが、意味をなさない。話に聞いた中国のコンビニ(?)のようである。
  

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コスタリカ 2018年(2)序章 成田空港出発

2018-09-11 17:06:25 | コスタリカ
8月16日(木)
 ホテルからバスに乗り、成田空港へ。チェックイン手続きは機械で行うようになっている。パスポートの写真のページをスキャンする。カウンターでは荷物を預けるだけ。さっさと出国ゲートを通り、手荷物検査及びボディーチェックを済ませ、出国手続きをする。
 時間があるので、さらに追加のお土産を物色する。日本酒3本セット(ただし1本あたり200ccもなさそう)と梅酒3本セット(同様)を購入する。
 時間が来たので、アエロメヒコのゲートに行って並ぶ。今回はメキシコ・シティー経由である。アメリカ経由だと、ESTA というものを15ドルで購入しなければならないが、メキシコ経由では不要である。また、アメリカでの乗り継ぎは検査が厳しく、カウンターで預けた荷物(錠前付)が勝手に開けられる。そういうこともあって、メキシコ経由を選んだのである。
 成田空港はどのゲートもたぶん同じなのだろうが、案内表示は日本語、英語、中国語、韓国語である。メキシコ行きの乗客は日本人、メキシコ人が主体のようで、中国語や韓国語を話しそうな乗客は見かけなかった。このゲートの案内表示は中国語や韓国語ではなく、スペイン語が適当なのだが、うまい工夫ができないのだろうか。
 ゲートにいる係員の中に日本語を話す女性スタッフがいたが、日本人ではなく、日系メキシコ人のようであった。この女性は機内でも見かけたので、キャビンアテンダント(英 flight attendant)がゲートでの案内業務もしているのだろう。昔は、スチュワーデスの仕事は機内サービスだけだったような気もするが。
 脱線するが、昔はスチュワーデス(stewardess)といっていたもので、スペイン語では aeromoza(ラテンアメリカ)、azafata 等と習ったものだが、今では使わないらしい。aeromoza とは aero(英 air)+ moza(英 girl)で、この語は個人的に気に入っているのだが。
 「キャビン・アテンダント」はどう言うのかと思って、google 翻訳で調べてみたら、flight attendant はスペイン語では“auxiliar de vuelo”(アウシリアル・デ・ブエロ)と訳された。念のために小学館『西和中辞典』で調べてみたが、これでいいようだ。直訳は「飛行補助員」ということになるが、ちゃんと「(飛行機の)客室係」という訳語が載っていた。しかし、味気ない言葉である。
 時間が来て、飛行機に乗り込む。3年前に乗った全日空機は左右に3席ずつ、中央に4席、つまり1列に10席だったのだが、アエロメヒコ機は中央が3席で少し小ぶりになる。
 着席すると、客室乗務員が回ってくる。日本人は1人もいない。日本語を話すのは先ほどの日系メキシコ人らしき女性のみである。ほとんどは女性だが、男性も2、3人いた。
 座席はあまりリクライニングできない。ディスプレイモニターはあるが、マージャン等のゲームはできない。映画もあるが、日本映画はなし。アメリカ映画が中心であるが、言語は選べる。日本語も入っている。メキシコまで13時間かかるので、映画も2本見た。『エイリアン: コヴェナント』(Alien: Covenant)と『ブレードランナー 2049』(Blade Runner 2049)である。最近のSF映画は暗いのが多い。
 機内食は2度出た。昼食はチキンにゆずだれをかけたもの、朝食はサバが出た。どちらも和食風であった。特に美味ではないが、まずくもなかった。近くの日本人の乗客は英語もスペイン語もだめなようで、男性キャビンアテンダントに女房殿が通訳を頼まれた。そんなに難しいことを言うわけではないのだが、当の日本人の乗客は coffee が聞き取れなかったようだ。キャビンアテンダントは coffee は日本語で何と言うのか、教えてくれと頼まれたので、教えたあげた。キャビンアテンダントも何回か繰り返して、覚えたようである。日本発着便に乗るのなら、「紅茶」(西 té) と「コーヒー」(西 café) ぐらいはちゃんと覚えてほしいものである。
 そうこうしているうちにメキシコ・シティーに着いた。 

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コスタリカ 2018年(1)序章 成田へ

2018-09-10 17:15:41 | コスタリカ
 女房殿の里帰りに同行して、コスタリカへ行くことになった。2年8か月ぶりである。 
 2018年8月15日(水)翌日の飛行機に乗るため、東京へ向かう。39年前、1979年の8月15日(この日はコスタリカでは母の日の祝日である)、青年海外協力隊の一員として、ロサンゼルス経由でコスタリカへ向けて成田空港を出発したのである。
 今までは大体、東京駅からJRの成田エクスプレスか快速のグリーン車で空港まで直行していたものだが、今回は、上野駅で降りて、昼食を済ませ、アメ横でお土産を買って、それから京成電鉄に乗って京成成田駅で降りて、すぐそばのアパホテルに滞在することにした。
 女房殿の家族へのお土産は買っておいたのだが、筆者関係者へのお土産は上野アメ横で買うことにしたのである。日本の味がよかろうということで、おつまみのようなものを安く買い込んだ。
 JR東京駅や上野駅の駅名表示は日本語・英語はもちろん中国語(簡体字)とハングルもある。京成電鉄も全く同様であった。サービスのつもりではあろうが、日本語表記と中国語表記が全く同じ場合はもちろん、少々の表記の違いをいちいち書かれると、うるさく感じる。韓国人もローマ字ぐらいは読めるのではないかと思うので、従来どおりの日本語(漢字表記とひらがな表記)とローマ字で十分ではないかと思う。
 ロシア人をはじめ、キリール文字を使用する国からの観光客が多くなったら、キリール文字でも表記するのか、アラビア人が多くなったらアラビア文字を追加、タイ人が増加したらタイ文字、ミャンマー人が増えたらミャンマー文字などと、どんどん追加されていったら、どうなることやら。
 観光客の国・地域別で言えば、台湾・香港もかなり多いはずである。それならば、簡体字ではなく正字(「繁体字」という用語は蔑称のようなので、使わない)でも表記すべきなのではないか。簡体字のみの使用は観光客の数という観点からだけではなく、政治的な意図も感じてしまう。

 さて、ホテルのチェックインは6時半ごろということにしておいたので、時間に余裕がある。せっかく上野に出たのだから、まずは上野の公園に向かう。しかし、暑い。国立西洋美術館にでも行こうと思って行ってみたのだが、お盆休みのせいで、人が多く、チケット売り場で暑い中ならばなければならないので、止めた。成田でゆっくり休むことして、上野駅から京成電鉄に乗った。京成電鉄は初めてである。京成成田駅で降りるので、特急料金が必要のない特急電車に乗った。
 3時過ぎにホテルに着いてしまった。ホテルで事前に送ってあった大きくて重いスーツケース2個を受け取る。ウォッシュレットも送ってあったが、こちらは翌日の出発のときに受け取る。ウォッシュレットは91歳の義母へのプレゼントである。
 夕食は近くの居酒屋へ出かけた。当然ながら和食中心のメニューである。海外へ出かける前のいつものパターンである。
 夕食後、コンビニで翌日の朝食用におにぎりや野菜ジュースなどを買い、さらに追加のお土産として酒のつまみのようなものも買う。
 そして、部屋に戻り、さしたる興奮も覚えず、さっさと寝てしまったのである。 

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テニスのモンフィス(Monfils)選手

2018-09-09 16:12:50 | 名前
 スペイン語の“hijo”(イホ)はフランス語では“fils”(フィス)になる。これに「私の」を意味する mon をつけると、“mon fils”だが、先日、テニスの試合を見ていたら、Monfils(モンフィス)という選手がプレーしていた。ウィキペディア「ガエル・モンフィス」によると、フルネームは「ガエル・セバスティアン・モンフィス」(Gaël Sébastien Monfils)という。
 
 【ウィキペディア「ガエル・モンフィス」より】
 「私の息子」とは珍しい姓である。“Forebears”を見てみると、絶対数1位は米国、人口比ではベルギーが最多である。やはり、フランス語圏を中心に存在している。
 スペイン語では“Mihijo”(← mi hijo)だが、“Forebears”に当たってみたら、なんと世界にただ1人しかいない。それもスペインではなく、インドである。そうすると、インドの Mihijo さんはスペイン語ではなさそうなので、「ミヒージョ」とでも読むのだろうか。
 それでは、英語形 Myson さんはいるのだろうか。“Forebears”によると、確かに存在している。絶対数1位はイギリスではなく、マラウィである。2位にイングランドがつけている。人口比ではマン島が1位である。マン島はイギリスではないが、イギリスとは密接な関係にある。詳しくはウィキペディア「マン島」をご覧いただきたい。
 マラウィは確かに旧イギリス植民地だが、マラウィの Myson さんは「私の息子」さんなのかどうか、ちょっとわからない。“Forebears”には Myson の意味は「リストに載っていない」となっているが、my son が語源なのではなかろうか。
  今度は「私の」を取って、単に「息子」で調べてみる。まず、スペイン語から。Hijo さんはいらっしゃった。“Forebears”によると、絶対数1位はドミニカ共和国。それでも85人だけ。スペイン本国は51人。人口比1位はプエルトリコである。やはり、スペイン語圏が中心である。ただし、“Historia Apellidos”によると、Hijo ではなく、Hijos という複数形だった。
 フランス語の Fils さんはどうだろうか。やはり、いる。“Forebears”によると、絶対数でも人口比でもハイチが1位である。フランス語圏が中心だが、ドミニカ共和国にも300人いる。ドミニカ共和国はスペイン語圏なのに、フランス語形の Fils さんの方がスペイン語形の Hijo さんより多い。ハイチとドミニカ共和国は地続きなので、Fils さんはドミニカに移ってきたということだろうか。
 それでは Son さんはどうであろうか。“Forebears”によると、絶対数でも人口比でも1位は韓国である。これは英語の「息子」ではなく「孫」さんのことだろう。韓国では Son は「息子」ではなく、「孫」なのである。
 イングランドには282人いるが、Son が「息子」なのか、それとも韓国人の「孫」なのか、内訳は不明である。
  
 いろいろ、見てきたが、ヨーロッパの「私の息子」は旧約聖書『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話に由来する、宗教的な姓なのであろうか(ウィキペディア「イサクの燔祭」参照)。

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Hijos de Buda(sons of Buddha)

2018-09-08 16:50:32 | スペイン語
  Buda 姓から連想したのは、1992年ごろメキシコでヒットしていた、Garibaldi というグループによる“Los Hijos de Buda”(ロス・イホス・デ・ブダ)である。歌詞は“musica com.”に掲載されているので、そちらをご覧いただきたい。

【CDジャケット】
 歌詞の内容は「仏陀の息子たち」(Los Hijos de Buda)が踊っている、というような他愛のないもので、ちょっとエキゾチックな味付けがしてある、楽しい曲である。
 メキシコ人には「仏陀」(Buda)というのは東洋の神秘のイメージなのであろう。

 ところで、Buda の[b]音と[d]音は有声音だが、これを無声音にすると、それぞれ[p]音と[t]音になる。日本語もメジャーなヨーロッパの言語も子音が有声音か無声音かで意味が異なる。
 「パパ(papa)」と「ばば(baba)」が一例であるが、有声音か無声音かではなく、息を強く出す「有気音」か、強く出さない「無気音」かで意味が異なる言語がある。中国語がその代表である。
 中国語では papa と表記すると、息を強く出す有気音で発音され、日本人には、はっきり「パパ」と聞こえるはずである。一方、baba は無気音で発音される。この場合、「ババ」に聞こえることもあれば、「パパ」に聞こえることもある。無気音でさえあれば、「パバ」、「バパ」と発音しても意味に変わりはない。

 話は変わるが、1980年ごろ、コスタリカ大学で日本語を教える傍ら、中国語講座も一時期、聴講していたことがある。
 中国語で「大きくない」というのは「不大」だが、ピンインでは“bu da”(声調記号省略)と表記される。教員は台湾の外省人(中国大陸出身者及びその子孫)だったが、“bu da”の子音を無声音で発音していた。そうすると、学生たちがくすくす笑い出すのである。当初、教員は戸惑っていたが、この教員はスペイン語もできるので、はたと気づき、苦笑を浮かべた。
 “bu da”の子音が無声音になると、英語の bitch(あばずれ女、商売女)に相当する言葉になってしまうのである。英語に“son of a bitch”という表現があるように、スペイン語にも“hijo de ○u○a”という表現がある。意味も全く同じである。
 “○u○a”単独でも、本来の意味からは外れて、驚いたときやしくじったときなどに間投詞として使われる。このような場合、英語では shit、フランス語では merde が使われる。
 というわけで、“hijos de Buda”(仏陀の息子たち)も一つ間違えると、“hijos de ○u○a”(sons of a bitch)になってしまうのである。

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