中山先生

2011年07月29日 | 徒然
なかやま先生ではなく
ちゅうざんせんせい、つまり孫文のことである。


今年は辛亥革命100年。
中華民國100年である。


近代中国の国父、孫文は最初ハワイにて西洋思想に目覚め
後に香港にて医学を修めマカオで開業する。


その後、台湾経由で日本に亡命するなど
日本とは縁の深い人物である。


亡命時には日比谷公園付近などに居を構えていて
近隣に「中山家」という家があったことから
日本名として「中山 樵」を名乗っていた。

これを号としてSun ChungShanとなった。
ちなみに欧米では広東語発音のSun Yat-senで呼ばれており
孫文の名に由来した國立中山大学(台湾・高雄市)も
英語表記ではNational Sun Yet-sen Univ.になる。
ただし、通りの名称「中山路」はChungShan ld.である。



日比谷松本楼は創業者でもある小坂梅吉と梅屋庄吉(現在の常務の曽祖父でもある)は
ともに孫文の日本における支援者でもあり
孫文も松本楼にたびたび来店していたらしい。

ふと今気が付いたのだが
松本楼のこの二人、ともに「梅」の字が使われている。
孫文の建国した中華民国(というか、現在の台湾)の国花も梅である。
梅は確かに中国で古くから四君子として扱われてきたけれど
支援者の名前については偶然の一致なのだろうか…。

コメント
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