明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



落語中興の租といわれる名人三遊亭圓朝、陰影を出さない手法の第一作、ということと同時に、肖像ということについて考えさせられた。肖像画の傑作といわれる鏑木清方作は、私の知る写真、優しい人格者のイメージと違う。清方は子供の頃から圓朝に可愛がられた間柄。私が見逃しているところがあるのでは、と読める限りの伝記、評伝を読んだ。結論は、似ているどうのより、実際接したイメージを優先し、その表情は、芸に対する厳しさを描写したものだ、と納得した。私にはこう見える、とあえて同じ構図にしてみた。小津安二郎は〝どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う”といっている。いずれ制作する予定の法然上人は、頭頂部の形が、後年扁平に描かれるよう定型化していったことが判った。元に戻したい。 会場には、舞台の合間に今拓哉さん、座禅経験者として、何度も話を伺った。初期から見ていただいている見巧者納富康邦さん。私の歴代の代わり様を知っている人は貴重である。私が自慢出来ることといったら40年の間、変わり続けてきたことである。 

 



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