「櫻井節子夫人のメッセージ」を精読する③
櫻井節子夫人の呼びかけに一祝福家庭としての感想です。
(2) カインの子女とアベルの子女
-対立と分裂を生み出した原因
私たちは長らく、真の父母様を絶対的なアベルとして侍ってきました。しかし、お父様は70年、80年代の頃から私たちに何度も言われてきました。「真の家庭の子女たちがまだ歳が幼いので、今は先生が君たちのアベルのような立場に降りて指導しているけれど、君たちの本当のアベルは、先生の子女たちだよ」と。祝福家庭の本来のアベルは子女様方であられ、アベルの子女とカインの子女とが一体となって初めて、父母様が定着することができ、摂理を推進することができるのです。
「君たちの本当のアベルは、先生の子女たちだよ」というお父様のみ言が一番重要ポイントですね。カインアベルの論争がいろいろ続けられてきましたが、復帰原理の核心部分がここにあることはお父様が明言されてきたことです。そして一番無視されて軽視されてきた言葉かもしれません。一体祝福家庭のいかほどの人たちがこのことをきちんと理解し、そのごとく考え、そのごとく生活してきたのでしょうか?このことを誰もが確信し誰もが実践していたら統一家に問題は起こりえなかったといえるのではないでしょうか。
2000年代を迎え、父母様はいよいよ父母の立場に立たれ、子女たちが御旨の主人となって摂理に責任を担っていく時代を迎えました。天一国の実体化に向かう最終段階の摂理にあって、その内的摂理の中心は“子女間の一体化”であったに相違ありません。しかし、私たちは長年の習慣性からか、ただ父母様のみを見つめ、父母様に喜んで頂きたい、何より父母様から愛されたい一心で歩んできたように思います。その姿は、子女様から見つめる時、僕とは言わないまでも、極めて自分本位で独りよがりな幼い子女の姿に映ったに違いありません。
「ただ父母様のみを見つめ」とあります。
「内的摂理の中心は“子女間の一体化”」とありますが、その内的摂理は忘れ去られるか無視されてカインの子女の立場にある祝福家庭は「ただ父母様のみを見つめ」て来たのではないでしょうか!
父母様を一心に賛美しながらもアベルの子女様を無視したり軽視したり時には否定したりしている人たちがたくさんいます。
子女様方は皆、生まれながらに本性的で、真の愛の感性においては、人一倍、敏感でいらっしゃいます。私たちの内に誤った姿勢や正しくない動機を見出す時、それを黙って見過ごすことはできなかったことでしょう。兄の立場から私たちを強く、時には激しく指導することもあったに違いありません。そんな時、私たちはとかく天使長のような情に流され易いものです。「私はあなた方が誕生する前から父母様の傍らにいたのだ!」と。
実際に「父母様、父母様」と言いながら「誤った姿勢や正しくない動機」を持った人々が多くあったことは事実です。本来真の子女様は祝福家庭にとってみればお兄さんの立場です。そのお兄さんを無視して「私はあなた方が誕生する前から父母様の傍らにいたのだ!」とまさに天使長がアダムにいだいた嫉妬の心です。
両者の間に軋轢や葛藤が生じてきた時、お父様は決まって、アベルの子女様を打ち叱責されました。お父様が子女様の勝利を願われないはずがありません。しかし、カインの讒訴がある限り、お父様はアベルの子女様を認め、愛することも、かき抱くこともできないのです。
「お父様は決まって、アベルの子女様を打ち叱責されました」そうです。そうされてきたのです。
「お父様はアベルの子女様を認め、愛することも、かき抱くこともできないのです。」
お父様の苦悩を、子女様の悲しみを誰がどれくらい理解してきたのでしょうか。
責任者たちの多くがこう言います。「子女様は結局、父母様と一体となれず、絶対服従できなかったのだ」と。しかし、そうだとすれば、子女様の前に果たすべき、カインとしての私たちの責任はどうなるのでしょうか。極めて人間的な目で、自らの判断基準でアベルの子女様を見つめ、これを批判し、讒訴する時、そこにサタンの付け入る隙ができるのではないでしょうか。
「極めて人間的な目で、自らの判断基準でアベルの子女様を見つめ、これを批判し、讒訴」し続けてきた私たち祝福家庭ではなかったでしょうか!
カイン・アベル間の対立はアベルの子女様同士の対立へと飛び火して行きました。サタンは子女様がズタズタになるまで攻撃し、次には、子女様の問題をもって、父母様を讒訴するでしょう。「何が真の家庭だ!こんな状態で、どうして真の父母が勝利したと言えるのか!」と。
結局そういう結果になってしまいました。スタートはアベルの子女様を愛せなかったカインの子女の使命が果たせなかったことにはじまります。
櫻井節子夫人の呼びかけに一祝福家庭としての感想です。
(2) カインの子女とアベルの子女
-対立と分裂を生み出した原因
私たちは長らく、真の父母様を絶対的なアベルとして侍ってきました。しかし、お父様は70年、80年代の頃から私たちに何度も言われてきました。「真の家庭の子女たちがまだ歳が幼いので、今は先生が君たちのアベルのような立場に降りて指導しているけれど、君たちの本当のアベルは、先生の子女たちだよ」と。祝福家庭の本来のアベルは子女様方であられ、アベルの子女とカインの子女とが一体となって初めて、父母様が定着することができ、摂理を推進することができるのです。
「君たちの本当のアベルは、先生の子女たちだよ」というお父様のみ言が一番重要ポイントですね。カインアベルの論争がいろいろ続けられてきましたが、復帰原理の核心部分がここにあることはお父様が明言されてきたことです。そして一番無視されて軽視されてきた言葉かもしれません。一体祝福家庭のいかほどの人たちがこのことをきちんと理解し、そのごとく考え、そのごとく生活してきたのでしょうか?このことを誰もが確信し誰もが実践していたら統一家に問題は起こりえなかったといえるのではないでしょうか。
2000年代を迎え、父母様はいよいよ父母の立場に立たれ、子女たちが御旨の主人となって摂理に責任を担っていく時代を迎えました。天一国の実体化に向かう最終段階の摂理にあって、その内的摂理の中心は“子女間の一体化”であったに相違ありません。しかし、私たちは長年の習慣性からか、ただ父母様のみを見つめ、父母様に喜んで頂きたい、何より父母様から愛されたい一心で歩んできたように思います。その姿は、子女様から見つめる時、僕とは言わないまでも、極めて自分本位で独りよがりな幼い子女の姿に映ったに違いありません。
「ただ父母様のみを見つめ」とあります。
「内的摂理の中心は“子女間の一体化”」とありますが、その内的摂理は忘れ去られるか無視されてカインの子女の立場にある祝福家庭は「ただ父母様のみを見つめ」て来たのではないでしょうか!
父母様を一心に賛美しながらもアベルの子女様を無視したり軽視したり時には否定したりしている人たちがたくさんいます。
子女様方は皆、生まれながらに本性的で、真の愛の感性においては、人一倍、敏感でいらっしゃいます。私たちの内に誤った姿勢や正しくない動機を見出す時、それを黙って見過ごすことはできなかったことでしょう。兄の立場から私たちを強く、時には激しく指導することもあったに違いありません。そんな時、私たちはとかく天使長のような情に流され易いものです。「私はあなた方が誕生する前から父母様の傍らにいたのだ!」と。
実際に「父母様、父母様」と言いながら「誤った姿勢や正しくない動機」を持った人々が多くあったことは事実です。本来真の子女様は祝福家庭にとってみればお兄さんの立場です。そのお兄さんを無視して「私はあなた方が誕生する前から父母様の傍らにいたのだ!」とまさに天使長がアダムにいだいた嫉妬の心です。
両者の間に軋轢や葛藤が生じてきた時、お父様は決まって、アベルの子女様を打ち叱責されました。お父様が子女様の勝利を願われないはずがありません。しかし、カインの讒訴がある限り、お父様はアベルの子女様を認め、愛することも、かき抱くこともできないのです。
「お父様は決まって、アベルの子女様を打ち叱責されました」そうです。そうされてきたのです。
「お父様はアベルの子女様を認め、愛することも、かき抱くこともできないのです。」
お父様の苦悩を、子女様の悲しみを誰がどれくらい理解してきたのでしょうか。
責任者たちの多くがこう言います。「子女様は結局、父母様と一体となれず、絶対服従できなかったのだ」と。しかし、そうだとすれば、子女様の前に果たすべき、カインとしての私たちの責任はどうなるのでしょうか。極めて人間的な目で、自らの判断基準でアベルの子女様を見つめ、これを批判し、讒訴する時、そこにサタンの付け入る隙ができるのではないでしょうか。
「極めて人間的な目で、自らの判断基準でアベルの子女様を見つめ、これを批判し、讒訴」し続けてきた私たち祝福家庭ではなかったでしょうか!
カイン・アベル間の対立はアベルの子女様同士の対立へと飛び火して行きました。サタンは子女様がズタズタになるまで攻撃し、次には、子女様の問題をもって、父母様を讒訴するでしょう。「何が真の家庭だ!こんな状態で、どうして真の父母が勝利したと言えるのか!」と。
結局そういう結果になってしまいました。スタートはアベルの子女様を愛せなかったカインの子女の使命が果たせなかったことにはじまります。