混乱とは?混乱を収拾して目指す我らの「希望」とは!
「統一家の混乱の最終的収拾のために」の連載中ですが、ちょっと一休みさせていただいています。
この間いろんな方から情報をいただいて整理中です。追って順次記事を書いていきたいと思っています。
さて、「混乱」と言うことですが、混乱は混乱自体が問題ではなく、混乱の原因を明らかにして混乱を収拾する中に、より真実が明らかになり、より一層我々が求めている目的や目標を完遂していく原動力がそこかは始まって行けば、結果として、混乱も混乱なりに価値があるものとなるのです。
例えば、日本の戦国時代や明治維新が大河ドラマに良く取り上げれれますが、行って見ればこれは混乱の時代です。そのような中で人々が必死で、天下泰平やあるべき国家のビジョンを明らかにして次なる開明の時代を切り開いて行ったのです。
ですから、混乱はただ力の優劣や、権威のあるなしで片付けられるものではありません。
人類の文化や世界の発展の歴史の流れに如何に合致して行くかが重要な事柄なのです。
どうやら家庭連合やそのもとの食口たちは真のお父様のもとでの勝利体験に酔いしれていて、お父様が次の時代に求めていたる願望や希望に対して疎くなってしまっていたようです。
お父様が求めていた基元節は、それがゴールであると同時にスタートラインに立つべき時でした。
天宙的祝福は全世界の全ての諸々の国や民が共に家族の紐帯を持って生きることのできる未来世界を現実的に実現して行くスタートラインに立つ一日でもありました。
それは世界基督教統一神霊協会や名称が変わって世界平和統一連合という、組織の拡大や成功に留まるものではなかったはずです。
世界のあらゆる民族や国家、様々な文化や宗教を超えて違和感なく家族の紐帯をもって生きることのできる世界です。
そういう世界を実現して行くためには強力なリーダーシップが必要です。そのリーダーシップをお父様は誰に託そうとされたのでしょうか?
今、家庭連合では「分派」という言葉が大手を振ってまかり通っています。
本来、お父様の思考の中には「分派」と言うようなお考えはあったのでしょうか?偏狭な派閥意識はお父様には全くなかったはずです。お父様は常にあらゆる宗教宗派民族に寛容であり、常に我々の組織は幅広く門戸を開放してきたはずです。
それが、ともに共通の親を抱き、ともに共通の神様を抱く者たちが別れ争うなどと言うことは想像だに出来ないことです。
最近分派対策なる文書や出版物が数多く出されて食口たちも目にするようになってきました。
それがどいう言う意味を持つものなのか、よくわかりません!
論議するに値しない論議が永遠に繰り返されているようにも思えます。
勿論、我々は真実を追求し、善を追求する過程の中で必然的な論議は必要であると思うし、それは大いに推奨すべきものだと思います。
ただ、それが内容のない、言葉の羅列でお互いを誹謗中傷するようなものならば意味がないと思うのです。
より建設的な、未来に希望を見出すことのできる、そういう発展的な論議を私は期待したいと思います。
未来に、より希望と発展を見出す論議を尽くしていきたいと思います。そして、それを具体的に実現して行くのです!
共に希望(HOPE)を見出して、その実現に邁進して行くものになりましょう!これからもHOPEをよろしくお願いいたします。