12月6日
質疑を続けます。
問5: 順理の基元節は無理になり、逆理の父子協助がスタートしたわけですね。来るべき基元節は顕進様家庭を中心に成されると顕進様側人たちは理解していました。
お父様は顕進様を追放されてのち、順理の基元節ができないと判断されたのですが、お母様の心を取り戻すことさえできれば、顕進様を元の長子の立場に立てた基元節が出来ると考えておられたのでしょうか?
答: そうです。2011年にはお父様の顕進様排斥は終了しました。顕進様は逆理環境の中で神様とお父様の心情を体述勝利したのです。その後はお父様はお母様の心を取り戻すために全力投球されました。しかし結果的にはお母様は悔い改めに至らず、お父様の期待はまたも裏切られてしまう結果となりました。結局2012年7月、これ以上お母様の悔い改めの実現は期待できないと、お父様は最終判断されたのです。その結果、お父様とお母様を中心とした2013年1月13日基元節は放棄されざるを得なくなりました。そうして勝利された長子顕進様を中心に立てた基元節摂理として延長せざるを得ないとお父様は判断されたのです。
2012年8月3日、生涯最後の訓読会にてお父様は「顕進なくして基元節はありえない」と遺言を語られ聖母病院に入院されました。病闘の後2012年9月3日、顕進様に全ての希望を託してお父様は聖和されていかれたのです。
質疑を続けます。
問5: 順理の基元節は無理になり、逆理の父子協助がスタートしたわけですね。来るべき基元節は顕進様家庭を中心に成されると顕進様側人たちは理解していました。
お父様は顕進様を追放されてのち、順理の基元節ができないと判断されたのですが、お母様の心を取り戻すことさえできれば、顕進様を元の長子の立場に立てた基元節が出来ると考えておられたのでしょうか?
答: そうです。2011年にはお父様の顕進様排斥は終了しました。顕進様は逆理環境の中で神様とお父様の心情を体述勝利したのです。その後はお父様はお母様の心を取り戻すために全力投球されました。しかし結果的にはお母様は悔い改めに至らず、お父様の期待はまたも裏切られてしまう結果となりました。結局2012年7月、これ以上お母様の悔い改めの実現は期待できないと、お父様は最終判断されたのです。その結果、お父様とお母様を中心とした2013年1月13日基元節は放棄されざるを得なくなりました。そうして勝利された長子顕進様を中心に立てた基元節摂理として延長せざるを得ないとお父様は判断されたのです。
2012年8月3日、生涯最後の訓読会にてお父様は「顕進なくして基元節はありえない」と遺言を語られ聖母病院に入院されました。病闘の後2012年9月3日、顕進様に全ての希望を託してお父様は聖和されていかれたのです。