HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

「お父様、もう一度、私たちの家庭が一つになるようにしてください。」・・・顕進様の祈祷・・・「櫻井節子夫人のメッセージ」を精読する⑩

2016-12-31 21:52:13 | 櫻井夫人のメッセージ

お父様、もう一度、私たちの家庭が一つになるようにしてください。」・・・顕進様の祈祷・・・「櫻井節子夫人のメッセージ」を精読する⑩

 櫻井節子夫人のメッセージの最後は顕進様の祈祷で締めくくられています。

何よりも神様の願い、生涯をかけて神様のみ旨成就を願って来られた真のお父様の願いは全人類、全世界がともに一つの神のもとに生きる家族となる世界でした。その世界を実現する先頭に立つべき統一家が真のお父様の聖和を前後して分裂状態に瀕してしまったことは神様の悲しみ、真のお父様の悲しみです。

顕進様はそのことを最も憂え、最も心を痛めて、統一家が再び統一を取り戻す希望の日を願い祈願しておられます。2016年神の日の顕進様の祈祷はそのような祈祷でした。

 

 

顕進様の祈祷 -201611日、真の神の日、零時の祈祷

・・・(前略) ・・・お父様、私たちあなたの息子・娘になること以外の、価値のない諸々のことてをてさせてくださいあなたの真の息子・娘として立ち上がるために、私たちに高潔さと神聖さを与え得るものだけを掴んで行けるようにして下さい。・・・(中略)・・・ 私はあなたがこの地上で摂理を実現するために、自らの責任を全うしようとする、真の担い手たちの舞台を準備して来られたことをはっきり知っています。・・・(中略)・・・

 お父様、あなたのはまだんでいません。あなたの主権はまだ消えていません。そして、この一握りのでもある、あなたのみ旨…あなたのみ旨()・・・あなたのみげられるでしょう。そしてあなたのみは何千何億生命を感動させるでしょう。また、永遠なる恩恵と救いのための約束の根となるあなたの祝福は、サタンの無知と恥辱の束縛の運命にある息子・娘たちをあなたのもとに取り戻し、彼らを神聖、且つ高貴な息子・娘にするでしょう。そうしてこの子女たちは地上天国を建設する偉大に鼓舞され、一家庭一家庭ずつ立っていくでしょう。

 お父様、今日、この場を共にできない私たちの家族全員を心にとめてください。彼らにあなたの愛と恵みを感じさせてください。彼らの心情開き、謙虚さを見出し、その門を通して、あなたと出会えるようにしてください。そして、父様、もう一度、私たち家庭つになるようにしてください


0161130日 櫻井節子

 

以上、櫻井節子夫人のメッセージを精読してきました。全文を読み返して深く思わされるのは、神様の心情です。私たちは神様の心情を忘れ、真のお父様の本当の願いを忘れて、ただただ自分個人の救いや平安を求めてきていたのではなかろうかと、深い反省の心を持ちました。そして何よりも真のお父様が大切にされて来た真の家庭の子女様を蔑ろにし、見捨てて来た私たちではなかったのかと悔い改めさせられました。

 私たちは自分勝手な心情で真の父母様を見つめて来たし、真の家庭を実に人間的な目で見てきていました。

いま私たちはすべての原点に返らなければなりません。真の神様の心情に帰らなければなりません。その原点に返ったときに、破滅的で苦痛の底にある統一運動が希望を取り戻し、再び夢と希望を実現する運動体として全人類の前に再び復帰していくその時だと思います。

 この櫻井節子夫人のメッセージが発表されてまもなく、神山威会長の聖和の報が届きました。神山先生の最後の訴えも櫻井夫人のメッセージに共通するものです。「許せ!愛せ!団結せよ!」統一運動が深い愛と許しの心情で再び団結を取り戻すことを天上のお父様と天上の神様が切に願っておられることを実感いたします。

確かに事を誤った人々もあるかもしれませんが、それはさておいて、皆が許しあうこと、皆が愛し合うことこそが一番大切なこの時ではないでしょうか!

希望(HOPE)は必ず実現されるものです。


お父様の御言「私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体ですと自信をもって立たなければなりません。」― “七年の大患難時代” 「櫻井節子夫人のメッセージを精読する」⑨

2016-12-30 19:32:20 | 櫻井夫人のメッセージ

お父様の御言 ― 1961212 “七年の大患難時代” 「櫻井節子夫人のメッセージ」⑨

櫻井節子夫人が最後に引用された1961212日のみ言です。

青色部分がお父様のみ言部分、下線及び強調文字はブログ主が入れました。)

 

お父様の御言 ― 1961212七年の大患難時代” 

『 神様はわりのになれば、人類大患難があるだろうと予告されました。この患難時期は6000年の歴史路程において、しい曲折聖徒にぶつかるです。人間がみなれていき、じられない環境にぶつかるです。自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。・・・(中略)・・・その時は、希望れるであり、たちがじている信仰中心れるであり、じてった指導者れるです。 

・・・・(中略)・・・・

では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。(中略)そのような患難でも「神様する」とう、そのようなしいでも神様きる」と息子すために、そのようなるというのです。

・・・・(中略)・・・・

神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。共に闘いましょう。共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。

・・・・(中略)・・・・・

神様さんをいかなる苦痛んだとしても、そのぶことができるをもたなければなりませんいかなるちても、その心情のひもをつかんでがろう努力しなければなりません。・・・(中略)・・・その父を私の父と知り、その父の事情を私の事情として、その父の心情を私の心情として、その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる父の前に雄々しく立って、「・・・(中略)・・・があなたのいの実体であり、事情実体であり、心情実体です」と自信をもってたなければなりません。このような者であってこそ息子でありまたそのることができるになるということを皆さんは知らなければなりません。』

 

今はまさに大患難の時でしょう。真のお父様の聖和を前後して引き起こされた統一家の混乱は食口たちに言いようのない苦痛と苦悶を与えています。いや、一番苦痛を感じておられるのは真の家庭のお一人お一人ではないかと思います。そして背後で神様と天上にある真のお父様も苦痛を感じておられるに違いありませあん。

真のお父様のこの1961年のみ言はこのような状況の中で私たちがどのような信仰姿勢を持ち、どのように歩んでいくべきかを教えてくれています。

困難ではあるけれども、大きな希望の時でもあると信じていくべき今のこの時です。すべてを感謝して、神様の心情と願いを求めて歩むべきこの時です。

この混乱期に真摯な姿勢で真実と真の道を求めて歩もうとされる櫻井節子夫人のメッセージを謙虚に受け止めて私たちも、混乱期を正しく乗り越えていくことができればと思います。

 

「櫻井節子夫人のメッセージを精読する」次回最終回は顕進様の祈祷文を読みます。

 


泥沼化した状況から・・・天願われる方向に導く一助となれば・・・「櫻井節子夫人のメッセージ」を精読する⑧ さいごに ―真の息子・娘になるために―

2016-12-30 15:35:00 | 櫻井夫人のメッセージ

「櫻井節子夫人のメッセージ」⑧  さいごに ―真の息子・娘になるために―


(7)さいごに 

-真の息子・娘になるために

こうした声を挙げるに至るまで、悩まない日はありませんでした。できることなら、こうした重荷を背負いたくない、そんな思いも強くありました。しかし、祈れば祈るほど、霊的に突き動かされ、これを言わなければ、生涯、悔いるだろう、そう思えました。古い者のできることはここまでです。具体的に、今後、何をどうすべきは、志のある指導者たち、二世たちが教えてくれるに違いありません。

櫻井節子夫人のこのような姿勢は見習うべきかと思います。「祈れば祈るほど」とあります。まずは「祈り」です。祈って、祈って、祈っての結論が今回の櫻井節子夫人のメッセージであることがその文面を読めばよくわかりその心情が伝わってきます。祈りもなく簡単にことを決めて構想する人もいます。それはそれで意味のあることだと思います。しかし、真のお父様ご自身が、その生涯で最も困難な時は祈って祈って、天に聞き、イエスや霊界の多くの聖人たちに聞き、最後は自分自身の良心に問い求めて自らの進むべき道を明らかにして来られたのです。我々祝福家庭も困難に際して取るべきなのは、祈りと深い考察、最後は自分自身の良心に問い求めて正しい判断、と行動を起こしていくことが求められているのではないでしょうか。

 

私などよりも顕進様をよく知り、子女様方を愛し、この7年間、より大きな痛みを覚えつつ、解決の道を模索しようと努力された方々がおられることを知っています。こうした呼びかけが、そのような方々の心に届き、泥沼化した状況から、統一家全体を天願われる方向に導く一助となることを心から願ってやみません。最後に、お父様の御言と、顕進様の祈りを紹介して終わります。

私たちは良心を覚醒させながら、今回切実な祈りの中から発表された櫻井節子夫人の訴えを謙虚に受け止めて、それぞれがなすべき行動に移していくべき今の時ではないでしょうか。

最後に真のお父様のみ言と顕進様の祈祷文を紹介しています。ともにみ言に、祈祷文に接してみましょう。

 

 次回は「7年の大患難」のお父様のみ言と顕進様の祈禱文を紹介してこのシリーズを終わります。

 


(6)私たちが果すべき使命  -共に悔い改め、祈りましょう! ―櫻井節子夫人のメッセージを精読する。その⑦

2016-12-27 22:19:31 | 櫻井夫人のメッセージ

―櫻井節子夫人のメッセージを精読する。その⑦

引き続き櫻井節子夫人のメッセージを読み進めていきます。読んでみてのHOPEの率直な感想を付け加えさせていただいています。


(6)私たちが果すべき使命  -共に悔い改め、祈りましょう! 

今日の事態に対して私たち祝福家庭はいかになすべきなのでしょうか!

 今日のこの状況はどこから解決し得るのでしょうか?もし、この一連の問題が、本当に父母様と子女様の間で起こったものであったとすれば、また、子女様同士の葛藤であったとすれば、そこで解決して頂く以外にないでしょう。しかし、そもそも、天が保護すべき真の家庭に、どうしてサタンが侵入できたのでしょうか?

私たちは往々にして真の家庭に責任を転嫁してきたのではないでしょうか。実は真の家庭における様々な問題の発端が実は私たち祝福家庭にあったという事例を数多く目にしてきました。真の家庭の問題は真の家庭自らに任せておけばいいという見方もあります。確かにそれもそうでしょう。しかし、多くの問題の発端が私たち祝福家庭が真の家庭、特に真の子女様に侍ってくることができなかったことに起因しているという事実を私たちは多く目にしてきています。その問題に関して私たちは無関心であってはならないと思うのです。

 

ユダの荒野で、サタンがイエス様を試みることができたのは、洗礼ヨハネの基台が崩れたからです。また、イエス様が最後に十字架の道に行かざるを得なかったのは、12弟子の基台が崩れたからでした。お父様が興南の刑務所に行かれたのはキリスト教の基台が崩れたからであり、多くの子女様が数々の試練を受け、困難に陥り、真の家庭が多くの犠牲を払ってきた主原因は、私たち祝福家庭の基台が立たなかったからなのです。

祝福家庭の基台が重要です。祝福家庭がしっかりと基台を作って真の家庭を支えていたならば、真の家庭に問題が起こるはずもありませんでした。ましてや、今日のような分裂の事態は、そのことを想像だにすることのできない問題だったのです。

 

とはいえ、それは大半の食口からみれば、身に覚えのないことでしょう。しかし、ユダヤ民族は、当時のたった一握りの指導者たちと中心人物の過ちゆえに、イエス様を十字架の道に追いやったことの全責任を共に背負うようになりました。キリスト教は神様と共に生きた2000年の涙ぐましい歴史をもち、全世界に数々の篤実なクリスチャンを有しているにもかかわらず、数名の中心人物の一時の不信によって、真の父母の基台となり得る選民としての資格を失ったのです。

単純に一部指導者の過ちとしてしまうことはできないのです。指導者の過ちを看過してきた自分たちであるからです。もしや指導者が誤っていたら我々は命に代えてでもそれを諫め、誤りを正す努力が必要でした。

 

こうした観点から見る時、神様の摂理はどれほど厳正で、且つ無慈悲なものでしょうか?また、天一国時代、いつの時よりも子女様との一体化が求められていた時に、これを果たせなかった事実はどれほど深刻でしょうか。無論、子女様に何の落ち度もなかったと言うつもりはありません。しかし、どんな事情があったとしても、私たちのアベルとして、兄として、真心の限りを尽くして侍るべき私たちであったはずです。仮に、お父様に誤解が生じたなら、“それは違います”と、お父様にとりなすべきが私たちの立場だったのではないでしょうか。しかし、私たちはこれと逆のことをしてしまったのです。

結果的に私たちは真の家庭にきちんと侍ることができませんでした。「お父様」「御父母様」と慕っていたのは確かですが、このメッセージの最初の方に櫻井夫人が述べていたように、私たち祝福家庭はカインの子女としてアベルの子女である真の家庭の子女様たちに侍って一つになっていかなければなりませんでいた。ところがそれができてこなかったのです。真の子女様たちをどれほど寂しい立場に追いやり、どれほど蔑ろにしてきたかわかりません。真の子女様たちが否定され排除される姿を見て、真の父母様がいかにその胸を痛めてこられたかそのことに心致すことができなかった私たち祝福家庭ではなかったでしょうか!

 

顕進様の非をあげつらい、理解し難い部分を讒訴し、父母様との間の信頼を損なわせるようなことも多々あったに相違ありません。サタンがそれを讒訴しないでしょうか? 彼は最大の実力を行使して、真の家庭を破滅に導こうとしてきたのです。「お母様とだけ一体化していれば、全て解決される」という人も多くいます。しかし、原理はそうなっていません。問題は、私たちの“父母様に対する姿勢”にあったのではなく、“子女様に対する姿勢”にあったからです。

問題は、“父母様に対する姿勢”にあったのではなく、“子女様に対する姿勢”にあったと、ここで櫻井夫人は述べています。まさにそのことが最も大きな過ちであり、今日の統一家の分裂と葛藤をもたらしている一番大きな原因なのではと思います。

 

摂理的観点からみる時、私たちはサタンの讒訴を免れ得ないでしょう。しかし滅亡を免れ得ないソドム・ゴモラの町のため、アブラハムが必死にとりなしの祈りを捧げた時、神様は「十人の義人がいれば滅ぼさないだろう」と約束されました。私たち統一家に、十人の義人がいないでしょうか?私は統一家全体が共に生きる道を見出したいのです。

今日真の家庭が破綻し、統一家が分裂状態に陥った現状に鑑みてみると、その責任を担う祝福家庭にはもはや救いはあり得ないかの如くです。「別れ争う家また国は立たず」とイエスの教えにあります。分裂状態に陥った真の家庭と統一教会にはもはや一切の救いは無いかのごとき状況に瀕しています。

しかし、アブラハムが10人の義人がいればと祈祷したように、本当に悔い改めと精誠を尽くす祝福家庭があるならば神も我らを見捨てることなく救いに至る道を残してくださっているのではないでしょうか。

 

子女様の行動が父母様の心に傷をつけたとして、子女様が父母様に悔い改めるべき点があったとしても、その前に悔い改めるべきは私たちなのです! 特に、孝進様が困難に陥ったその時から、自らがお兄さんに代わって長子の立場を守ろうとし、真の家庭に責任をもち、祝福家庭を正しく導くために、必死な思いで歩んできた顕進様の胸に、私たちはどれほど多くの心情の矢を突き立ててきたことでしょうか。

長子に向けられた刃は、まさにその父母に向けられた刃と同じです。真のお父様の使命と責任を相続して歩まれようとしてきた顕進様に我々祝福家庭は如何ほどの刃を向け、矢を放ってきたことでしょうか。実はそれは真のお父様と天の神様に対する刃であり、鏃であったことをこれまで私たちは気づかないできました。

 

顕進様に浴びせられてきた迫害の一端を知る者として、顕進様のその間の御言や祈りを伝え聞いた時、悔い改めの涙を禁じることができませんでした。顕進様は今もこう言っておられます。「祝福家庭は私の家族だ。私には彼らに対する責任がある」と。私たちが今すべきこと、それはまず、統一家族としての深い悔い改めであり、祈りではないでしょうか。そうした悔い改めの渦が巻き起こり、その量が満ちる時、摂理の道も、統一家再生の道も開かれるのではないでしょうか。

いま私たちは深い祈りと悔い改めの時に遭遇していると思われます。顕進様はいかに反逆して、いかにこれまでご自分を蔑ろにしてしてきた祝福家庭であろうと、真のお父様が祝福した祝福家庭である以上、それは自分の弟であり妹であると、深い祈りと許しの心で対してきてくれているのです。

 

私たちが見たいのは、顕進様をはじめ、真の家庭の全ての子女様が、父母様のもとに一つとなった姿であり、このような分裂した統一家族が再び一つになる姿です。顕進様、國進様、亨進様が、天一国創建のビジョンと目的のもとに手を取り合う姿です。それが私たちにとってのビジョン2020の核心ではないでしょうか。

統一の日を天上の神様も、真のお父様も切望しておられます。そしてそれはすべての祝福家庭の本心の願いであり、良心の叫びでもあると思うのです。真の家庭の全ての子女様が、父母様のもとに一つとなった姿、分裂した統一家族が再び一つになる姿、顕進様、國進様、亨進様が、天一国創建のビジョンと目的のもとに手を取り合う姿、その姿を見たい天上の父母様であり、神様であろうと思われるのです。そしてそれが私たち祝福家庭の本心からの願いではないでしょうか。

 

真の家庭さえあれば、この教会は何度でも立て直せるでしょう。それが神様の摂理の中心だからです!

いま私たちに必要なものは教会組織ではなく、お金でもありません。今私たちに必要なものは統一の核心、幸福の原点、すべての理想と希望の核心である「真の家庭」の再生であり、真の家庭の一致化したお姿ではないでしょうか。それこそがすべての摂理の核の核、中心の中心だからです。

 

 


「統一運動の未来と可能性」 -希望の灯はまだ消えていません!-  「櫻井節子夫人のメッセージ」を精読する。⑥

2016-12-25 14:22:01 | 櫻井夫人のメッセージ

「櫻井節子夫人のメッセージを精読する。⑥

 

統一運動の未来と可能性 -希望の灯はまだ消えていません!

 

(5)統一運動の未来と可能性  -希望の灯はまだ消えていません!ー 

一度、分裂した宗教はもう二度と戻らない、それがこの世の通説だと言われています。しかし、本当にそうだとすれば、私たちはこの世の宗教と何ら変わらなくなってしまうでしょう。自体内の分裂も収拾できない私たちが、どうして宗教統一・思想統一を果たせるでしょうか。

そうです。真のお父様はそして我々祝福家庭は「宗教統一・思想統一」を標榜してきました。そのためにも我々がまずその統一の見本を見せなければなりません。

  

今、「全ての対立を越えて一つになりましょう!などと言えば、両サイドから批判の矢が飛んでくるに違いありません。教会ではこう言います。「子女様が過ちを認めて戻って来る以外に方法はない。そのためには、資産が底を尽き、従う者たちがいなくなるしかない」。一方で、UCI側やサンクチュアリ教会では、こう言います。「家庭連合は沈み行くセウォル号であって、教会にいては生き残れない。従う者がいなくならない限り、お母様も危機に気付けない」と。

何故斯くもお互いに非難しあい、中傷しあい、傷つけあっているのでしょうか。お互いに何の利益があるというのでしょうか?イエスキリストも別れ争う家また国は立たず」と語っています。お互いに非難しあう統一教会(家庭連合)はお互いに力を失い、そのうち消滅していくしかないでしょう。いかにも消滅を願っている者たちがあるようです。

 

双方が“中立はない”と言います。教会内では、少しでも子女様を擁護したり、一つになるべきだ、などと発言した時点で“分派”とされてしまうでしょう。現実をシビアに見る人々は言います、「戦争が起こってしまった以上、訴訟であれ、何であれ、行き着くところまで行くしかない」と。しかし、その闘いに勝者などいません。不信から生まれた対立や分裂は“力”で解決し得るものではないからです。この問題が続く限り、統一運動に未来はないでしょう。私たちは、過去の宗教が辿った歴史を、再び繰り返さなければならないのでしょうか。

別れ争う統一運動に未来はありません。いずれ散り散りバラバラになって消えてなくなてしまうでしょう。誰がそのことを願っているのでしょうか!

  

私たちは今、この運動の中に、埋め難い溝ができているのを知っています。しかし、もし神様が生きて働いておられるのだとしたら、希望はあるはずです。一つになれる道もあるはずです。私はその第一の可能性を、顕進様の中に見ています。もし顕進様が周囲から言われている通り、真の父母を不信し、御旨の道から離れ、自分本位に生きているのだとすれば、希望は全くないでしょう。また、自らの立場を恨み、父母様の権威に挑戦し、弟たちやカインの指導者たちに牙を剥くような状態でしかないとすれば、神様はそこに存在し得ません

どこに希望があるのでしょうか?希望があるとするならば、ずっと忍耐しながら、非難することも、攻撃することもせず、ただひたすら神のみ旨の成就を願い、許しと愛の心情で祈り「統一」を切望するところに希望があるのではと思います。今統一運動全般を見つめて何処に希望があるのでしょうか?そうです、あるのは顕進様のところにあるのです。それは顕進様が統一運動の葛藤と対立の矢面に立たされた最も中心的な人物でありながら、決して損も相手を怨むことなく、非難することなく、ただひたすら自らにかぶせられる非難や中傷にも耐え、その間黙々と世界平和と統一の実現のために実践を重ねられてきたからです。

  

私が顕進様に可能性を見る理由は、顕進様がこの7年間、必死に守ろうとされてきたものは、自らの位置や立場などではなく、神様の御旨であり、摂理の方向性であったと信じるからです。お母様が信じてくださり、顕進様を中心に立ててくださるなら、お母様を支え、弟の子女様方をかき抱かれながら、この運動を正しく導こうとされるに違いありません。

確実に顕進様は真のお父様の残されたみ言葉や、精神に立脚して神様の悲願である人類一家族世界の実現のために確実に一歩ずつ一歩ずつ歩んで来られたのです。

 

また日本には、今々の現状を憂い、この運動を本気で建て直そうとしている心ある指導者たちがおり、二世たちがいます。また、どんなに厳しい状況でも、神様を愛し、父母様を愛し、自らの生活も、立場も、事情もかなぐり捨てて、御旨のために生きようと、涙ぐましい歩みを成してきた篤実な食口たちがいるのです。真実を知り、正しい原理観に立てたなら、この勝者のない闘いを終わらせ、神様の願われる御旨を共に成そうとする人々も立ち上がるでしょう。

表面には出なくてもと篤実な信仰を重ねてきている食口が一世圏にも、二世圏にも数多く存在しています。それらの祝福家庭や食口たちが大きな希望の実体です。

 

互いの非を糾弾し合い、家族の間に垣根を作り、「あっちだ、こっちだ」と分裂している昨今の教会を見ながら、「私たちは何のために生涯をかけてきたのか…」と思い悩んでいる全ての兄弟姉妹の皆さんに申し上げます。希望の灯はまだ消えていないのです!

希望の灯はまだ消えていないのです!」 そうです!「希望の灯」それは希望の日でもあります。全ての兄弟姉妹達が願う「希望の日」の到来です。HOPEブログもその希望の日の到来を信じ、確信し、その日の実現を目指してブログ始めました。希望の日は確実に到来します。