HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

箱モノづくりに熱中しすぎると、そのうち信徒は逃げて行く・・・器じゃない中味でしょ!

2017-04-28 23:12:00 | 宗教

ヨンギ和尚が紹介の  HJ天苑プロジェクト説明2017.28.徳野会長

大体宗教団体が箱もの(建築物)づくりに一生懸命になると、ほとんどの宗教団体が成長が止まってしまうようである。

初期の何もない時代こそ、精神復興が激しく展開されて、熱心な伝道や布教が進むものである。ところが伝道や布教が進んで、巨大な建造物を作るようになると急に霊的な復興が止んで教団は衰退に向かうというのが常である。

勿論、教団が成長を続けてあまりにも多くの人が集まりすぎて、収容場所がなくなって止む無く施設を作るというなら別である。

今家庭連合は施設を新しく作っている時なのか?今やどんどん「分派?」に人が流れて、深刻な状況になっているのに、今更箱モノなのだろうか?はなはだ疑問に思う。

分派、あるいは教団が分裂していくのは大概がその教団の教祖や教主が死んで後継者問題から方針の転換や、財産の相続問題などから起こってくる。大概教団が作り上げた人や物の基盤に関わる利権の争いから生じてくる場合が多い。

長い歴史を経てきている教団や宗教は、その精神性の継続が順調になされての結果である。大概は教団の教祖が亡くなると一時教団は衰退するが、その後継者が最初の教祖の精神性を正しく継承しているところは長続きしてさらなる発展をしていっている。箱モノばかりを作ってきたような教団は最終的には崩壊したり、廃墟になっている例が枚挙にいとまがない。

 

HOPE子は結構いろんな宗教団体を見てきているが、賢明な宗教団体の本部は大概が実に質素である。勿論建物の本体や祭壇などは立派であるが、かといって過度の装飾などはあまりない。そして、大概教祖の家庭や一族は皆が質素である。私の知るある教団などでは教祖のうちに生まれると本当に貧乏生活を余儀なくされるという。本当に華美なものは一切使用しない。何かもの、学用品などでも、買ってほしいと言っても、クラスのみんなが持つようになってからねと教えられたという。

そういう教団に限って恩恵が大きい。人生や仕事上の悩みなどに気軽に相談に乗ってくれる。そして極端なお布施や献金は決して要求しない。本当に恩恵があって商売がうまくいったり、作物が良く取れたら、そのお礼に献金やお布施をする。それが普通である。

何か恩恵を期待して多額な献金をさせるなど問題外である。

 

アメリカやヨーロッパなどでも巨大教会(メガチャーチ)が衰退して、がらんどうになった教会が売りに出されることがたくさんあるらしい。生活が豊かになり、生きる余裕が出来てくると人々は宗教団体や教会になどほとんど足を運ばなくなるものなのである。

立派な教会堂を建てればしばらくは人が集まってくるように見えるが、そのような外的な要素で集まってきた人々はもっと外的な刺激のあるものが出てきたら、さっと引き上げて誰も来なくなる。

 

人が求めるのは器じゃない。中味でしょ!

 

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逆戻り・・・真逆な教理に舵取りを変えた結果は・・・とある教団の行った道

2017-04-28 18:34:05 | 宗教

師観さんが引用された「独生女信仰の問題点」 読ませていただいて感想です。

 

知から無知への逆戻りか!

我々は原理の最初、総序の宗教と科学の目的に関する内容の中で以下のごとき一節があったことを覚えているだろう!

「人間は有史以来今日に至るまで、休むことなく、無知から知へと、無知を克服しようとして真理を探し求めてきた。その際、内的無知を克服して内的知に至る道を見いだすべく内的真理を探求してきたのがすなわち宗教であり、外的無知を克服して外的知への道を見いだすべく外的真理を探求してきたのが科学なのである。このような角度から理解すれば、宗教と科学とは、人生の両面の無知を克服して両面の知に至る道を見いだすべく両面の真理をそれぞれ探求する手段であったということを知ることができるのである。それゆえに、人間がこのような無知から完全に解放されて、本心の欲望が指向する善の方向へのみ進み、永遠の幸福を獲得するためには、宗教と科学とが統一された一つの課題として解決され、内外両面の真理が相通ずるようにならなければならないのである。」(原理講論総序より)

このような観点で説かれたのが統一原理では無かったのか!

しかし「独生女論」は全く無知から知に至る道の結果として統一原理の宗教的且科学的真理からも逸脱ししまっているので、まさに「知から無知に逆戻りした非真理」としか言いようのない内容です。


明らかに統一原理とは異なる「独生女論」

今日お母様が語っておられるとされる「独生女論」(これはお父様が語られた意味での「独生女」ではないことは明らかです。現在の家庭連合が否定しながらもそのサイドから漏れ伝えられるお母様が語られたとされる「独生女」に関する話である。)

その「独生女」に関する論理が宗教的にも科学的にもあり得ない内容だから問題になっている。少しでもきちんと原理を納得して学んだものならば、どうしても理解できない論理だから、そのことへの困惑が家庭連合全体に拡大している。

ある一定の知的水準のある人間ならば「これはおかしい」となる。だから多くの幹部たちはお母様の「独生女論」の存在を隠そうとする。しかし科学的論理的思考能力のない幹部は「お母様が語られることだから絶対だ!信ぜよ!」と強制しようとする。

まさに家庭連合の幹部の中でも完全に見解が分かれている内容なのである。


ただし、ここで明確にしておくべきことがある。桜井正実さんが「神と共に生きる真なる息子娘として」のブログで、お母様と「独生女信仰」を同一視してはならないの記事中「私が間違っていると指摘しようとしているのは一部の祝福家庭のリーダーによって生み出された「独生女信仰」であって、お母様の価値を貶め、辱しめようという動機からのものではありません。」語っているように、お母様が語っておられるという「独生女論」とお母様の問題は別個だということである


お母様ご自身の発想とは考えづらい「独生女論」

お母様が語っておられる「独生女論」は、お母様ご自身からの発想によるものだろうか?それとも非科学的、非原理的、非論理的思考の何者かによってお母様に吹き込まれた論理なのだろうか?ということである。真のお母様の語る「独生女論」は一見神学的である。こういう論理の展開はお母さま御侍史委によるものだとは考えづらい。何者かが仕組んだ論理と考えるのが妥当であろう。人類始祖のエバに「とって食べてもいい」と教え込んだのが天使長ルーシェルだった。同様に今もお母様に「非科学的、非原理的論理を教え込んでいる」一部幹部が歴然と存在しているということが事実ではなかろうか。

 

お父さまの教えとは真逆な「独生女論」

いずれにせよ、「独生女論」が真のお父様が掲げて来た統一原理に基づく価値観とは真反対の内容であることは明らかである。今は「独生女論」を支持するもの、これに異を持ちながらもこの問題からの回避を続けているもの。さまざまであるが、こういう状況がそう長く続くとは思われない。

統一原理からの完全な逸脱では、さすがの信徒たちも自らの進退を考えざるを得ないであろう。

 

「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」

昨日書いた「新潮45」の特集記事の中で「「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」藤倉義郎」の記事があった。

かつては保守系宗教団体と見られていた「生長の家」が今は完全に左翼系宗教団体になってしまっていた。サブタイトルには「現総裁は古参幹部、親兄弟を排除し、教団をエコ左翼宗教に変えた」とある。

生長の家は1930年に谷口雅春師が創設した宗教団体で神道、仏教、キリスト教など諸宗教の融合させ、「万教帰一」を説いてきた。教団最盛期には300万の会員(公称)を誇っていた。政治にも進出し「生長の家政治連盟」は自民党の中に強力な保守系政治家を送り込んでいた。今は三代目の谷口雅宣氏が総裁を務めるが、今は教団本部には「脱原発」が掲げられ、政治的には昨年6月、7月の参議院選挙を前に「与党を支持しない」反安倍の姿勢を打ち出し世間を驚かした。

生長の家と言えばかつては最も保守的な宗教団体として知られ、保守系議員が数多く参加していることで知られる、日本会議の生みの親とも言われる団体だった。ところが、教団はこの日本会議に関しても「生長の家とは異質」と断定し、教団の左翼路線への急転回を印象付けた。

 

生長の家変貌の経緯

かつての右翼教団がなぜこのような180度真逆な変貌を遂げてしまったのであろうか?

問題の発端は1983年の参議院選挙の直後に生長の家政治連盟が突如その活動を停止したことに始まる。83年の参議選で生長の家が推薦した寺内弘子氏が落選、その責任問題から教団内部が紛糾、その時に発言力を増したのが現総裁の雅宣氏であった。

1985年に谷口雅春師が亡くなると、二代目の総裁に就任したのが雅春師の娘婿の谷口清超氏で、その息子が現総裁の雅宣氏だった。1990年に雅宣氏が副総裁に就任すると生長の家の一般向け機関紙の「理想世界」で大東亜戦争を日本の侵略戦争だったとする見解を発表。生長の家にとっては大事件だったようである。「雅宣氏は学生時代(青山学院)左翼セクトのメンバーだった。」との話も伝わっているようである。

2009年に二代目総裁の清超師が亡くなると、雅宣氏が総裁に就任、彼が総裁になると、それまでの天皇信仰や明治憲法復元論を封殺、祭祀の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へと変更した。その後も教団の教義は変貌を続け、創始者の雅春師の著述や言葉は雅宣氏流の表現や解釈に変貌を遂げて行った。もともと生長の家は初代総裁の谷口雅春師に心酔してきた古老の幹部も多数存在していたわけだから雅宣氏がそう簡単に主導権を取って切ったわけではないが、父の清超師が総裁になり、長男が妖逝する中、残る男子の中で最年長の雅宣氏が副総裁になると、父子間で主導権争いもあったようであるが、最終的には教団の主導権を掌握し、教権基盤を盤石のものにしていったという。この間、谷口雅春師の著作の新刊書発行停止や既刊書の重版停止と言うこともなされた。雅宣氏は親子対決を制したのみならず、教団役員も自らの意に沿う役員に挿げ替えて権力基盤を盤石にしていった。

 

いまの生長の家は5万人程度か 「環境の話ばかりで”救い”がない」と言ってやめて行く会員

最盛期には公称300万を誇った教団は現在の公称は52万である。「実質は5万人程度では」とも言われている。

雅宣氏の親兄弟他一族も大半が教団とは一歩置いた立場に立っている。雅宣氏自身の子どもたちも、長女は教団職員だが、長男次男とも教団とは関係のない仕事をしており、教団を継ぐ意思は無いようである。教団を継ぐ副総裁の立場は空席だそうである。

今教団本部は「森の中のオフィス」という施設になっているが、ほとんど環境団体の事務所のごとくであり、宗教色が消えて行っている。「環境の話ばかりで”救い”がない」と言ってやめて行く会員が後をたたない。と言うのが実情のようである。

最後に藤倉善郎氏は「ただ単に右翼が左翼になっただけではない。宗教的充実感そのものが、生長の家から失われてきているのではなかろうか」と結んでいる。

 

家庭連合は何処へ行く

初代教祖の文鮮明師の教えとは180度違う教義を掲げて先に進もうとしている「家庭連合」は、どこへ行くのだろうか!

性格は違うと言えども、「生長の家」がたどった歩みには何か共通する要素を感じさせる。

生長の家現総裁の雅宣氏は、祖父の雅春師からはかなり厳しく躾けられたようである。祖父の雅春師を「恨んでいた」のではとの声も聞く。現総裁の谷口雅宣氏は教団を潰そうとしているのでは!とさえ今は言われている。かつての熱心な信者たちは、それぞれに独自の集団を作ったり、保守系思想で共通する「幸福の科学」に流れた信者も多いと聞く。

「家庭連合」もこのままお母様が主導権を握り、さらに女の子女様が継承していくとなれば、本来真のお父様が立てられた精神や思想、宗教性とは全く違った教団になって行くことは否めない。そうなってもついて行く信徒はどれくらいいるのだろうか? 最後までそこに従っていく人は極めて少数になるのは間違いないだろう。

今のうちに、その進路をしっかり考えて行った方がよさそうである。

 

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原理本体論のすすめ・・・家庭連合では忘れ去られたかの如くであるが

2017-04-27 21:39:43 | 宗教

お父さまが最も重要視された原理本体論教育

真のお父様は生涯、み言を大切にして来られた方でした。そのみ言の中でも最重要なみ言が統一原理です。

 初期の原理原本から原理解説、そして劉教会長がまとめられた原理講論と、その骨子は変わらないものの、その表現方法やみ言の説かれた範囲や深度は変わってきています。それらのみ言の総まとめとも言えるのが「原理本体論」です。真のお父様はこの「原理本体論」をとても重要視して、全食口が学ばなければならないと語られました。さらにはお母様も、子女様も学ばなければならないと強く語っておられました。


中断され行われなくなった原理本体論教育

 そのようにして、水沢里においての本体論講義が始まったのです。ところが~順調に進むかに思われた原理本体論講義が・・・  真のお父様の聖和後・・・・家庭連合内ではその教育が中断し、今では本体論の「ほ」の字も言われなくなってしまいました。何故なのでしょうか?その理由について弁解がましい説明が教会本部から発表されたようではありますが、その説明には何等の説得力もありませんでした。

本当にどうしてなのでしょうか?

 

原理本体論は何処が違うのか?

 原理本体論はそれまでの原理講義と何がどのように違っているのでしょうか?

 HOPE子も確か第2回目の本体論講義に参加したと思いますが、その講義の内容で最も印象的だった内容はと言えば、「血統」をとても重視していた!と言う印象でした。

 私たちには「愛」と「生命」と「血統」が重要である。その中でも何が重要かと言えば、それは「血統」であると教えていただきました。「血統の重要性」と言うことはあの世界巡回の時に語られた「平和メッセージ」の中でもとても強調しておられました。

 

血統の重要性を明確に教えた本体論教育

 「血統問題のの重視」が原理本体論のそれまでの原理講義とはもっとも異なる点だったと思います。その「血統」の重要性を強調した原理本体論を何故今の家庭連合では無視し、軽視し、全くその講義をしなくなったのでしょうか?はなはだ疑問です。

 一部には真のお母様の指示によるとも言われていますが、本当にそうなのでしょうか?ほかの誰かによる指示なのでしょうか?それにしてもあれほどお父様が強調しておられた本体論を何故講義しなくなったのでしょうか?

 日本の先輩家庭の中では小山田先生が、本体論の講義をするようにお父様から言われていたと聞いています。その小山田先生は本体論の講義をしなくなって・・・悩み苦しみ寝込んでしまわれたそうです。それで結果的には・・小山田先生はその後本体論の講義はされていないようです。何故なのでしょうか?

 よほど何かの不都合や問題があるのでしょうか?お父様が必ずするようにと言われた指示を無視してまで本体論講義をしない理由は何なのでしょうか?

  確かに本体論で謳われている、血統重視の考えを極めて行けば、今日真のお母様を中心としての今の体制は極めて非原理的な行動と言うことになるし、何より血統を受け継ぐ真の子女様を蔑ろにするなどと言うことはあり得ないことになります。そのあたりに、結局のところ原因があるのでしょうか?

 

創造原理の根本は二性性相の原理

 創造原理の根本は二性性相の原理である。本性相の二性性相の属性の実体である男性と女性が授受作用するというのが原理講論で説かれている二性性相の有りようであるが、これが原理本体論になると、さらに男性性相の有り方と女性性相の在り方の相違がさらに明確となり、その異なる二性が絶対性の関係で授受一体化してその位置が愛と生命と血統の結ばれる位置であり、その位置で生命が育まれ、愛が育てられ、血統が連結していくことが明確に語られていることである。この原理本体論の創造原理の解説を通して、人間の男女の在り方の理想が明確にされ、男性は男性としての在り方、女性は女性としての在り方が極めて明確となり、男女が結婚を通して夫婦となる位置がどのようなものであるかと言うことが明確に具体的に理解できるようになっているのである。

原理本体論における二性性相の説明

 原理本体論における二性性相の解説は男女の役割、中でも男女の生殖的機能の違いまで明らかになるので、男子女子が結婚して夫婦となる位置の理想的あり方が明確になることをことを通して、神様の創造理想が如何に優れたものであり、いかに感動的なものであり、そこで教えられる男女の関係する立場の理想がこれから結婚する男女にとってもすでに結婚生活をしている夫婦にとってもそれぞれの人生の目的や家庭理想の在り方が明確になることを通して大きな喜びと希望にあふれた夫婦生活を実現することに寄与する内容となっている。

 そして、この内容はこれまで人類がその歴史上において求めて来た究極的な男女の在り方夫婦の在り方家庭生活の在り方に付いての倫理的、道徳的価値を極めて明快に教える内容となっている。この原理本体論をその教育に用いれば、これまで既存の倫理観道徳観にさらなる息吹を与え、活性化して国民導遠く社会倫理の向上に飛躍的に寄与する内容となっている。

そのように見て行くと原理本体論は実にいいことずくめの内容なのである。

 

既存宗教の復興にも寄与する内容

 これは既存宗教にとってもその倫理的価値を向上させる大きなきっかけとなり、既成宗教もその教団や教派の教育プログラムに本体論を組み込むことで、諸宗教の教えもさらに教義の強化を図ることのできる内容となっています。

 本来、世界平和家庭連合がその趣旨を正しく理解して、信徒の教育に徹底して取り組めば、祝福家庭の価値性の向上とこれから祝福を受け家庭を形成していく二世の教育にも極めて効果的なプログラムを形成していくことが出来るはずでした。そして家庭連合は明確に理念的にも実体的にも家庭理想を実現していく先進的先駆者としての位相を確保して、世界平和理想実現の先駆けとしてと立場を明確にしていくことが出来たはずでした。

 だからこそ真のお父様はこの原理本体論を真の家庭自ら学ぶように語られ、まずは母である真のお母様が学ぶように、そしてすべての子女様が学ぶように指示されていたのである。そのことには深い意味があったのである。

 

家庭理想実現の先駆けとして歩まれていた子女様の家庭

そしてそのことの総責任者として、本来長子の立場の顕進様を立てて行こうとされていたのである。

 本来基元節は原理本体論そのままの理想家庭を編成した真の子女様の家庭を先立てて、世界の国家メシアが分封王として従い、全世界の諸国のトップリーダーの家庭を中心として原理本体論で方あられる家庭理想を中心としてすべての諸国民の家庭倫理の教育プログラムを完成することで実現されようとされていたのである。

 ところがこのれらの究極的摂理の実体の中心に立つ顕進様の家庭を排除し、さらにはその中核的教育プログラムであるところの原理本体論の教育をストップしてしまったために基元節を迎えるべき天宙的なプログラムは一時の中断を余儀なくされてしまったというのが事実なのである。

 

本体論を忘れ去って行こうとしている家庭連合

 今、家庭連合本体は原理本体論そのものを忘れてしまおうとしている。そのことは神様のみ旨の成就を永遠に放棄してしまうのと同様の意味がある。原理本体論の教育とその教育の実体的中心に立つ子女様の家庭無しには神様の創造理想の究極的成就はあり得ないからである。

 真のお父様がメシアとして再臨主として人類の真の父母として究極的に明らかにしたのが原理本体論で説く「絶対性」の価値観である。そしてそれは子女様、お孫様の三代圏の家庭の実体を通して実現されて行くものなのである。

原罪清算とは何か?

 罪の清算はどのようになされるのであろうか?なにかし神秘的な何物かによってなされるものではない。神様の創造理想である、創造原理的な愛の家庭理想を実現したところが人類が犯した罪、原罪清算の位置なのである。

 人類始祖の堕落によって正常的な家庭が実現されなかったのが堕落の結果であるからである。男女のあるべき秩序が乱れて男女の主管性の転倒などの犯罪行為が拡大していったのである。それは人類が堕落して本然の男女の在り方、夫婦家庭の在り方の原則がわからなくなたことに起因している。究極的男女の在り方の原理、絶対性の価値が明確になることを通して、人類すべてが堕落圏から脱出することが出来るようになることが出来ることに価値があるのである。そのことを明確に説いたことがお父様がメシアとして再臨主として人類の真の父母としての価値を顕すことなのである。

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最近の宗教界事情・・宗教に「救い」はあるのか?

2017-04-27 15:36:13 | 宗教

少し前になるが昨年2016年10月号の「新潮45」に宗教特集があった。気になる記事があったので読んでみた。

「今宗教に「救い」はあるか」 とのテーマでの特集である。以下のような記事が掲載されていた。

  • 「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」藤倉義郎
  • 慶大卒「日本人イスラーム預言者」を支える中田考 上条昌史
  • 「反安保」で公明党に反旗を翻す創価学会員たち 西所正道
  • 全国仏経会に圧勝した「アマゾンお坊さん便」 井上理津子
  • 信者大激減時代の先にあるもの        島田裕巳
  • 三分の一の「寺院消滅」で「葬式と墓」のこれから 鵜飼秀徳

これらの特集の中で島田裕巳氏の「信者大激減時代の先にあるもの」がまず気になったので読んでみた。

 


とにかく今は世界的に宗教界の艱難の時代のようである。世界的宗教のキリスト教会においても大変動が起きているし、イスラームの世界でも大きな変動が起きている。

キリスト教会の現状 ヨーロッパを中心とした先進国においてはキリスト教の力が衰え、教会に通う人たちは激減している。一方新興工業国(BRICs諸国)ではキリスト教の福音派が伸びている。これは現世利益や病気治癒などの宣伝によるいわばキリスト教系新宗教である。これらは経済成長著しい諸国では経済格差に取り残された人々が多くあり、そういう階層の人々に広まって行っているものである。中国でも「地下教会」や「家庭教会」が伸長しているのはこれらの宗教である。

隣国韓国では一時キリスト教会の伸長が著しく国民人口の30%を超えるまでになったが、今や韓国でもキリスト教福音派の成長は完全にストップして、どちらかといえばカソリックの方に改宗するひとが増えているという。

 

イスラームの拡大 いま世界で一番信者数を増やしているのはイスラームである。特にイスラーム人口が多いのはインドネシアで、世界最大のイスラーム国となっている。インドネシアは経済成長も著しい。またパキスタンのイスラームも増加を続けていて、近い将来この国が世界一のイスラーム国になるだろうと言われている。

このままいけば今世紀末にはイスラーム人口が世界一となりキリスト教の座を奪いかねない状況である。

 

「グーグルは神に代わりつつあるのか?」

さて、今日の宗教の衰退に関して面白い観点で指摘している人物がいる。それが米国オーリン大学のコンピューターサイエンス学科の教授アレン・ダウ二ー氏である。彼は米国内で特定宗教を持たない層がどれくらいいるかを調べた調査データをもとに、1990年から2010年の間に8%から18%に増えたことと、ネット使用者の増加に相関関係があると明らかにした。

これは直接に関連があるかどうかはわからないが、実際に人が困ったり悩んだりしたときに教会を訪ねるのではなくまずはネットで調べてみる。と言うわけだ。『ウォール・ストリート・ジャーナル』電子版は「グーグルは神に代わりつつあるのか?」という特集記事を載せた

さて、イスラム圏の伸長が著しい傾向にあるということが明らかになっているが、これは東南アジアなどのイスラーム諸国の経済成長が著しいことと深く関連があると思われる。しかし、この経済成長があるレベルに達してくるといわゆる原理主義的なイスラームから、飲酒を認めたり、豚肉を食すると言ったことでなければ現実に寛容なソフトなイスラームが拡大していく傾向が強まってきている。

 

日本の宗教界の実情

さて、日本ではどうなのだろうか?日本では戦後の経済成長時代とともに新宗教が勃興し拡大したが、経済成長が頭打ちになりその成長が止まるとともに宗教団体の成長も頭打ちになり、今や完全に衰退の状況となっている。かつては大成長を遂げた新宗教教団が今では軒並みその信者数を減らしているのが実情である。例えば西日本に多くの信者を抱えて来た天理教は平成2年には180万人と報告されていた信者数が(『宗教年鑑』による)平成27年度版では116万人と25年間に三分の二に縮小してしまっている。創価学会に次ぐ巨大教団だった立正佼成会は同じ期間に634万人から283万人に減少している。そのほかの既成宗団も軒並み信者数を減らしている。創価学会は信者数827万世帯と発表していてこのところ変動はないが、かつての急成長の勢いはなく、実数は減って行っているのではとみられている。

既成仏教教団も軒並み信徒数を減らしている。東本願寺真宗大谷派は同じ期間に553万人から320万人に信者数を激減させている。西本願寺は信者数が増えていいると報告があるが、寺院数は減っている。

同じ特集の中で浄土宗の僧籍を持つ鵜飼秀徳氏の「三分の一の「寺院消滅」で「葬式と墓」のこれから」という記事では、深刻な寺院数の減少が全国で見られているとの実態が報告されている、地方の人口減少とともに閉鎖や掛け持ち、無住の寺院が増え続けているというのである。各教団とも最近20年間で、25~45%の寺院が閉鎖に追い込まれている。

都市化の波の中で檀家制度の崩壊も著しい。もう一つ別の記事  井上理津子氏による「全国仏経会に圧勝した「アマゾンお坊さん便」」にも見られる 葬儀のビジネス化も国民の宗教離れを象徴する事実ともなっている。

 

米国でもメガチャーチの衰退は著しい

いずれにせよネット化の時代はかつての巨大宗団の時代を終焉をもたらそうとしている。米国ではかつて一世を風靡したビリーグラハムなどの大復興師もその姿を見ることが出来なくなっている。メガチャーチと呼ばれた巨大教会は完全になりをひそめてしまっている。既成教団の衰退は米国でも深刻な事態を迎えている。


カリスマ的アイドルの時代からキャラクターの時代へ スマホやネットの普及はアイドル文化の世界でもカリスマ的なアイドルやスターの登場を許さなくなっている。一方的な大量情報手段の普及によるいわゆるマスコミの宣伝効果による大スターは登場することが難しい時代になってきている。今人々に受け入れられつつあるのはアイドルよりもキャラクターである。熊本大地震で大活躍したのが「くまモン」である。キャラクターはぬいぐるみでその中には誰が入っても「くまモン」になることが出来る。

安倍総理がリオオリンピックの閉会式に「マリオ」になって登場した。

この論文で島田裕巳氏は最後に、「キャラクターなら、私たちの目の前に現れ、しかも、私たち自身がそれに変身できるのだ。」と言っている。  「それはまさに多神教の神に近い存在である。宗教消滅は、多神教の復興に結びつくのかもしれない。」と結んでいる。

 

宗教の現状と未来・・・どのように展開していくのか時代の変化と共に、本来の宗教の果たす役割が問われている。

宗教教団が壊滅していく時代には、それでも人々の心を癒すなにものかが現れて、時代の要求に応えて行くようになるのだろう。

そういう先の時代を見据えていける宗教家、あるいは精神的復興の運動はその在り方や形式時代の変化とともに次の時代を形成していくに違いないだろう。

 

宗教法人[家庭連合」の未来は・・・?

宗教法人「家庭連合」はどのような道を歩んで行くのだろうか?今の時代の変化に応えられる力量を果たして備えているのかどうか?創始者の文鮮明師の教えが如何に優れていたとしても、その教えを継承していく人々の時代的感覚や、その時代にふさわしい「救い」への関与がなされなければ、教団としての命運は他の諸教団と同様、衰亡の道をたどるしかないのではなかろうか。

「宗教」とは何か?宗教に人々が求めるものは何か?あるいは宗教以外に人々の心を「救う」ものは何か?その求めるものに応えられるのが何か?その問題への答えを提供できたものが次の時代の主役になることだけは間違いなかろうと思う。

 

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