HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

「北朝鮮の銅像ビジネス」を見ながら・・・「偶像崇拝」の行きつく先を考える

2017-05-08 07:56:27 | 原理

テレビ東京の「未来世紀ジパング」先週放映の 池上彰が緊急解説!なぜつぶれない? 北朝鮮のカラクリ を見ました。

経済制裁の中、なぜ北朝鮮がつぶれないのか・・・北朝鮮ビジネスの一つが「巨大銅像」 と言うのが印象的でした。

北を訪問した人は必ず案内される「金日成と金正日の銅像」(かつては金日成一人の銅像だったが、金正日の死後 親子の銅像になった)あの巨大銅像を作っているのが「万寿台創作社」の技術工芸集団。彼らの巨大銅像の製造技術はかなりのもので、世界の独裁国家の独裁者を顕彰する銅像制作に関わって、そこから外貨を得ているというもの。価格は数億から数十億単位で、ある国では銅像は完成したものの、その代金が払えなくてその一部を土地で代納という国も紹介されていた。

大概、独裁国では人間が神様になるので、それを尊崇する銅像は不可欠のものらしい。


権威をあらわす巨大建造物

かつて、仏教国では巨大な仏像が権威の象徴だった。キリスト教では巨大な教会堂やキリスト像、イスラームは偶像を禁止しているので巨大なモスクがその権威の象徴かもしれない。

目に見えない権威を目に見える形にして表すには巨大建造物が最もわかり易い。その究極の姿が銅像なのだろう。

かつて旧約聖書に禁じられた偶像崇拝を思い起こしてしまった。

北朝鮮では無形な神の存在を徹底的に否定した。その神に代わるものとして「人間」を崇拝の対象にしたのである。「首領様」を徹底的に崇拝し神格化したシンボルが銅像である。これは世界の独裁国家に相通ずる姿である。

(但し独裁者はその権威が廃れ、覆されると、その銅像は悉く破壊された。ソ連の崩壊後レーニン像がなぎ倒されたのは今でも印象に残る。旧ソ連圏の独裁者の銅像は悉く破壊された。)


人間はともすれば目に見えない神様よりも目に見える神様を求めたがる、だから「刻んだ像」を崇拝するようになったのであろう。日本には「イワシの頭も信心から」と言う言葉がある。鰯の頭をヒイラギの木にさしてかざる風習を揶揄したもので、つまらないものでも信心すれば・・という意味だとされる。


銅像づくりは鰯の頭とは違ってそれなりの価値があるから、同一に語ると失礼かと思うが、何かのものをして信仰するという形は同じである。


イスラエルは徹底して「偶像崇拝」を忌み嫌った。



「銅像」に関連して ブログ村のこちらのブログ記事が気になりました。

(MLさん、勝手に引用させていただきました。お許しください。)

御言 missing link 110.「まだバアルに属していない7000余命の群れが残っている」

記事の最後の結論が以下の通りです。

 真の神様に従わないことが偶像崇拝です。私たちは、多少の理解の違いはあっても、原理を通して真の神様を知っています(というつもりになっているだけかもしれませんが)。
 ですから、今の時代は、神様に対してというよりも、真理に対して、それに従わないことが偶像崇拝だと言えるのではないでしょうか。実益を優先し、方便とたてまえで、真理をねじ曲げることも同類です。
 そのような人々が目指し得る神様の国が、果たしてあるのでしょうか。滅ぼされたバアルの預言者たちも、れっきとした選民のリーダーたちでした。それがいつしか実益志向から偶像崇拝に流され、それをもってイスラエルの民を指導していたわけです。
 今の私達は、そのようなリーダー達に従っている状況、つまりバアル・アシラの預言者達に従っていることと同じ状況になってしまっていないでしょうか。それともバアルに屈しない7000名の一人なのでしょうか。その7000名を統合すべく期待されていたのがエリヤでした。
 どこかに、文先生の御言を正しく示すことで、統合へと導くことのできる人はいないのでしょうか。


私(HOPEブログ主)は、文先生のみ言と言うよりは、文先生がみ言で教えた「真の神様」の姿こそ重要であると思います。

統一原理が最初に取り上げて教えているのが、「二性性相の神」です。被造世界に対しては「性相的男性格主体」の神様です。神様は「形状的」でも「女性格」(あるいは中性格)でもありません。

本来性相的な神様を「形状」すなわち、偶像や人間実体に代えてしまうことが「偶像崇拝」あるいは「偶像崇拝的信仰」です。

男性格の神様を女性格に代えることは出来ません。

神様はまず「ヒト」を創造され「アダム」(男性の意)と名付けられたのです。人が一人でいてはよくないと言われて「エバ」(女性)を創造されたのです。アダムとエバはペアであり、二人で一つ、二人が一つになることで神様の創造の理想を実体化するのですが、その愛と生命と血統を引き継ぐ主体はアダム(男性)です。この原則は永遠に変わらいものでです。


日本のご皇室が男子一系をもって今上陛下125代と言う、世界に類例のない皇室の伝統を守り続けて来たのも、こういう原則にかなっていたからではないでしょうか!


二性性相の存在様相は普遍の原理

宇宙は秩序整然としています。創造原理に説かれた、二性性相の存在様相は過去現在未来にわたって普遍の原理でしょう。

この原理を転倒させてきたのが堕落の歴史です。性相の神ではなく形状の神を崇拝した「偶像崇拝」や形ある物を主体とした「唯物論」、陽性と陰性の二性性相の主体と対象の関係を逆転させようとして来たフェミニズムやジェンダーフリー思想。これらは宇宙の原則を逆転させようとする思想であるがゆえに、その極限状態に達する時に最後は瓦解の時を迎えるのです。


深刻な教義変更

現在の家庭連合が、深刻な教義変更に近づきつつある事実は極めて憂慮すべきことです。それが徐々に徐々に進行しているがゆえに多くの信徒たちは、何かおかしいと思いながらも、教団の方向に同行して行ってしまっているのです。

バアルの神々を崇拝するようになったイスラエルの祭司たちによってイスラエルの民自体が偶像崇拝に陥り、祖国を失う結果となって行ったことを肝に銘じなければならないでしょう。

イエスの時もしかり。御言 missing linkのMLさんが先に紹介したブログ記事の中でイエス様の時の事に関して真のお父様のみ言を紹介しています。

・・・7000名だけ残りました。彼等を中心として南朝と北朝の統一聖業、すなわち、神様の国建国を成就しようと通告したのです。この歴史が死なずに生きています。それが実体として現われるべきなのがイエス様時代でした。洗礼ヨハネを中心として、7000名がイエス様と一つとなっていたなら、イエス様は十字架で死にませんでした。」 (ファミリー94/12 P18~19 絶対信仰と絶対愛 1994 年10月9日 中央修練院)

 

今まさに現代真の預言者の出現は!

「原理本体論」を捨て、統一原理が教える本来的神観から逸脱した教えに傾く家庭連合は、あたかもバアルの預言者に従うイスラエルの民のごとくです。

激しく警鐘乱打する、預言者「エリヤ」のごとき真の預言者が現れ出でなけばならないのでしょう!

今は、復帰摂理の全てを成就する時、その預言者、そして「バアルに属さない7000余名」はすでにあると思います!

文鮮明先生の教えを正しく読み解く「良心」さえ健全であれば、全ての人々がバアルに与することを止め真の神様に帰ることは可能です。今はすべてがあからさまになって行っているのですから!



統一原理的救済観と現家庭連合の「救い」に関する認識の不一致

2017-05-05 21:24:45 | 原理

文鮮明先生が解かれた統一原理的救済観とはどの様なものだのだろうか?創造原理と復帰原理を見れば極めて明確である。

創造原理によれば、神様の創造目的は、(個性完成、家庭完成、主管性の完成)のすなわち神の三大祝福の完成にある。

これは神様の存在様相の三相に起因にしている。神様の本性相と本形状に似た実体の人間の性相と形状、すなわち心と体の統一、神様の本陽性と本陰性に似た実体の男性と女性が統一されて出来る夫婦、ここには新しい生命の誕生を伴い、子女の繁殖による永遠性の継承も伴う。そして神の本性相的男性格主体に対して、本形状的女性格対象の被造世界の統一。すなわち神の実体となった人間が自然を主管する主人としての役割を果たす。

人間存在の本来あるべき有り様が明確に解かれている。

 

神は自分の形に人を創造された。すなわち神の形に創造され、男と女とに創造された。

創世記に「神は自分の形に人を創造された。すなわち神の形に創造され、男と女とに創造された。」とある。

「神の形、すなわち男と女」である。

創造原理の創造目的の(二)には「神の喜びのための善の対象」として、三大祝福を完成した位置が、「罪の影さえも見えない理想世界」が実現、それが「地上天国」であり、「地上天国」で生活した人間が肉身を脱いでいく世界が「天上天国」だと規定している。

 

人間の堕落とは何か?堕落によって堕落人間に陥った人間が「救われる」とは何か?

人間堕落とは何か?このことは「堕落論」で詳しく述べられているが、結論的には、終末論第1節「神の創造目的完成と人間の堕落」にあるように、人類始祖の堕落により堕落性を帯びるようになった人間が、神を中心とする家庭ではなく、サタンを中心とした家庭を為し、子女を繁殖するようになり、悪の家庭と悪の世界を構成するようになったこと、すなわち「悪主権の世界」を作ってしまったことにある。

そこで「救い」とは何か?それは人間始祖の堕落によって実現されなくなった三大祝福を完成した世界すなわち地上天国を再び実現することに他ならない。

具体的には堕落によって堕落性を帯びるようになった人間がその本性を回復して、神と一つになり神性を帯びるようになれば、堕落により本来神が願われた通りに神の愛を中心として男女が結び合い愛の家庭愛の世界を実現すべきであったが、それが実現できなかったので、復帰いい家庭を通して人間が本性を回復するにしたがって、復帰過程の人間が作る家庭や世界もより本然の姿を持った家庭や国や世界を実現していこうとするようになってくるのである。

 

復帰摂理史における宗教の役割

宗教は堕落して神から遠くなった人間の本性を回復し、神との関係を修復し、堕落性を脱いで人間が本性を回復するように教え導いてきた。

復帰摂理の進展とともに人間本性を回復する歩みは進んでいき、生命よりも真理や善や愛を追求する教えが広まって行くようになっていった。その中でも2000年前にメシアとしての使命をもって来臨イエスキリストの教えは人間本性の回復に画期的な役割を果たして来た。

それとともに、男女の愛の在り方や家庭の在り方に付いても、人間本性に基づいた教えが世に広まるようになり、さらには国や社会の在り方に付いても、多くの精神指導者が現れて、自由や民主主義や、愛に基づく政治の在り方が説かれるようになってきた。それは、復帰の摂理が本然の世界、三大祝福の完成した世界をすなわち地上天国を希求する歩みだったからである。

それでは、再臨主としての使命を担ってその生涯を歩まれた文鮮明先生の教えや生涯の歩みは何を求め、何を世界に遺して行かれたのだろうか!

それは、最初の神の創造目的であった。三大祝福の完成した地上天国の最終的成就に他ならない。それは個人においては人間本性の最終的完成であり。そのことを最終的に「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」と言われ、あるいはまた「正午定着」と言われたように、神様と完全に一つになった人格、あるいは神様の心情や本性と完全に一つになった人格の理想を言った言葉である。

 

そしてさらに宇宙の根本は「絶対性」であると説かれ、男女の愛の交わる生殖器の位置がまさしく神様の臨在される位置であるとされ、神様の愛を中心とした男女の位置が神様の創造理想を完成した理想の位置であるとして、自らその実体のなるべく真の父母を宣布され、さらに子女を産み増やして実現する真の家庭の実現を果たされたのである。さらには神を中心とした本然の国の在り方を示すために「天一国」を宣布され、本然の国や世界の在り方のモデルを示そうとされたのである。

それらの理想の核心的部分は三代圏の家庭だった。そのことは真の父母様と真の家庭の子女様によって実現した三度の世界巡回公演で宣布された「平和メッセージ」に明確である。

復帰原理によると、旧約時代は行儀の時代、新約時代は信義の時代に対して、成約時代は侍義の時代だとしている。

三大祝福の完成にはまず第一に本然の人間本性の回復が大切であり、次に家庭完成が大切であり、最終的に万物主管も完成して天国の実現となる。人間の救済もこの三段階の完成があって初めて完成的な救済となる。

 

残された現実

さて、文鮮明先生はこのような人類救済の使命を果たされるためにその生涯を捧げて歩んで来られたが、現実の世界には個人から世界の問題に至るまでいまだ様々な課題が残り、人類救済の課題が完全に果たされたとは言い難いのが現実である。

それでは文鮮明先生の再臨主としての使命はどうなったのであろうか?

今今の、家庭連合の現実は人類救済のモデルとなる家庭や国家の姿を具現化しているのだろうか?理想と現実はあまりにも遠いと言わざるを得ない現実です。

そこで一番問題になるのは、現実の家庭連合の構成員が、自らの教団に願われた使命や役割についてどれだけ自覚をしているのかと言う問題である。

創立者である文鮮明先生が明確に抱いていた理念や家庭理想、世界平和の在り様をどれだけ自覚して先生に仕え侍って来ていたのか?今も侍り続けているのかが最も大きな問題です。日本では法人の名称が世界基督教統一神霊協会から世界平和統一家庭連合に変わったけれどもその意義と価値をどれほどその構成員が自覚しているかが問題です。

そのことに、最も疑問を抱かざるを得ない事実は、モデル的家庭の中核にある真の家庭をどれほど尊重し、大切に思ってきているのかと言うことにおいてはなはだ疑問に思わざるを得ない事実です。

特に現在の教会幹部が真の子女様とその家庭に対する態度は、文鮮明先生が掲げた理念や理想とはかけ離れた実体を我々に見せつけているとしか思えない事実です。

それは本来あるべき「救い」に関する認識があまりにも文先生の教えとかけ離れた認識にあることに端を発しているのではと思わされるのです。

 


「侍る」ことを知らない人々・・・「神様」や「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」の概念の誤用がもたらす弊害

2017-05-04 06:23:37 | 原理

旧約時代:行儀⇒新約時代:信義⇒成約時代:侍義 と本来進化していっているはずなんだけど~

どうも「侍る」ってことがわかっていな人が多い「家庭連合」のようでがっかりしています。

 

一生懸命信徒に・・・「行儀」や「信義」を要求(時には強要)しているのが現家庭連合幹部や教育担当者ではないでしょうか!皆さんどう思われますか?

 

「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」についての誤った教育

さて、現在の家庭連合の信徒指導で最も間違っているのが 「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」についての誤った教育です。

「真の父母様に 絶対信仰 絶対愛 絶対服従しよう!」と教えていますが、これが間違い!ですね。

「神様」が抜けてますね。

真のお父さまが教えられたのは「神様」を中心としての「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」でした。

 

そもそも「神様」への呼称が問題

そもそも、神様のことを「神様」と呼ばないで「天の父母様」などと呼ぶことが大間違い。これはこのブログ村でも以前何度も指摘されてきていましたが、完全に原理的に逸脱です。

統一原理では「神は本性相と本形状の二世性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性の中和的主体としておられ、被造世界に対しては性相的男性格主体としていましたもう。」という概念が根本中の根本です。ここで変わらないのは神は「唯一者」と言うことです。その唯一者の清掃として二性があるというのが原理的観点です。ですから神様は唯一だけれども二性を合わせもっておられるということですから、「天の父母なる神様(韓国語ではハナニム)」と呼ぶことは正しいけれども、「天の父母様」と呼ぶことが正しくないと言うことは誰の目にも明らかです。神様はあくまでも唯一なる主体であられるからです。「神様(韓国語ではハナニム)」に代えて「天の父母様」と呼称することでどのような弊害が生じるかと言うならば「唯一なる主体者」としての神様の概念が薄れ、「父母」すなわち神様の二性が分立して二性の実体となった実体としての父母、具体的には真の父母様の実体の概念に限りなく近づいていしまうと言うことです。そしてその結果、本来無形で唯一な神様に侍る意味での「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」と言う概念が、「実体の父母」としての「真の父母様」さらには真のお父様が天上におられるので、地上におられる真のお母様こそ「真の父母」だと言うことになり、最終的な結果として「真のお母様」それも真のお母様が語られたとされる「言葉」に絶対服従を要求する結果となっているのです。

 

原理と齟齬のある呼称が概念のすり替えのもと

天の神様でもなく、聖和されて天上界(霊界)に行かれているお父様でもなく、今生きてこの地上におられる「お母様」こそ絶対であるとして、そこに「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」を強制するという結果をもたらしていいるのです。さらには「お母様」従わないことは「父母様」に従わないことだと決めつけて、子女様であろうと誰であろうと。すべてを分派あるいは不信仰者と決めつけて排除するという論理を組み立てているわけです。

普通に「良心」や「知性」を持っていればわかりそうなこの間違いを平気で犯し続けている限り、「神様(ハナニム)」の願いからも、御父母様:地上生活を終えられても明らかに永遠に生き続けられておられる真のお父さまを無視し続ける結果となっているのです。かくして神様の摂理の成就やみ旨の完成に最大のブレーキ集団となり、み旨に対しての妨害者になっている今の家庭連合です。

 

かつて犯した用語概念の誤用

かつては「カイン アベル」の概念を誤用して大変な摂理的障害をもたらす事件を引き起こして来た「・・教会」でした。今また「神様」や「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」の概念を誤用して神様の摂理の成就に大変なブレーキをかけ続けています。

とてつもない信仰の模範者や頭脳明晰な指導者が多くいるはずの「家庭連合」はどうなってしまったのでしょうか?

 

「良心」を取り戻すことが何より大切な今

真のお父様が教えられた「良心は両親に優る! 良心は先生に優る! 良心は神様に優る!」という言葉をもう一度深く思い起こすべきではないでしょうか!お父様がないより大切なことと教えられた「良心」を取り戻す時だと思います。

 


真の子女様の家庭はもとよりお孫様の家庭そしてすべての家庭が真の父母の家庭になるところが天国

2017-05-02 21:08:06 | 原理

成約時代は侍義の時代

統一原理によればキリスト教の時代、新約時代は信義の時代だとされています。信仰をもって義とされる時代です。「信ぜよ!さらば救われん!」と教えられました。信ずることが価値を持って迎えられた時代でした。

それに対して、再臨時代は成約時代と言われ、侍義の時代です。侍ることをもって義とされる時代です。侍って義とされると言うことは、侍って実体圏を相続する時代であるということになります。真の家庭の三代圏を軸に、侍る生活を通して、我々自身の家庭が真の家庭になって行くことです。

 

地上天国の実現は真の家庭の拡大によってなされる

真の父母様から祝福を受けた我々の買て自らが実体でが真の夫婦となり真の父母になり、真の子女を生み増やして息子娘を祝福し、さらには孫の家庭まで祝福し、真の御父母様がされたように我々の氏族圏に拡大し、さらには故郷の人々、全ての家庭を真の家庭に生みかえて行かなければならないとおしえられました。そのようにしてこそ我々は地上生活の目的を達成してこの地上生活を終えた後は天上天国に入国するようになるということです。

キリスト教2000年間の犯した大きな間違いは真のお父様が指摘されているように、イエスキリストを神ご自身だとして、キリストを絶対化、キリストは聖なるものである一方、その他の人間は俗なるものだとして、決して神ご自身にはなれないとしたところにありました。本来キリストは、全ての万民がその罪を清算して本来の位置と状態に変えることが出来るようにするために来臨したのです。たとえ堕落の血統を引き継いできた人間でもその罪を清算するようになれば、神と同等の価値を持つことが出来るようになるというのが原理的な考え方です。しかし、新約の信仰はそのような道を自らさせぎってしまいました。神様の復帰摂理は全てをもとに返すことが最終的なみ旨のはずにもかかわらず、2000年間のキリスト教の救済観では人類は永遠に本然の世界に帰ることが出来ません。

そうであるからこそ、真のお父様は、全ての祝福家庭に「第2のレバレントムーンになれ。第二のメシアになれ!」と言われて来たのです。祝福行事は単純に罪を清算するというものではなく、祝福を起点として、全ての家庭が真の父母様の家庭に倣って真の父母になれ!というメッセージを込めて祝福して下さっているのです。だからこそ、祝福家庭はカインの子女としてアベルの子女である真の子女様と一つになりなさい!そのように語られ指導されて来たのです。

 

全ての家庭が真の父母にそして真の家庭にならなけばならない

真のお父様の教えは、真の父母様は聖なる方、我々は堕落人間で俗なる存在‥ではないのです。皆が皆本然の家庭を築きなさい。そしてその王な家庭が集まってできる世界が天国であり、平和理想世界だと教えられたのです。それこそがまさに神様の創造理想の完成した世界でもあります。そのことが横的には氏族メシアの拡大であり。縦的には三代圏の家庭の実現と拡大になるのです。

真の家庭は真の子女様の家庭が完成してさらに真のお孫様の家庭が実現して、真の父母様が真の祖父母の位置すなわち、そこが神様の位置になります。そこが神様の創造理想の縦的な軸になるというのが真のお父様の解かれた統一原理の最も核心的部分になるのです。

 

当然真の父母様の伝統と精神と愛と生命と血統を相続した真の子女様の家庭は第2の真の父母になり、お孫様の家庭も同様です。そしてその真の家庭の縦的な軸に一致したすべての祝福家庭も真の父母になって行くことが復帰の摂理の最終的課題なのです。

ところが、我々統一教会家庭連合において最も重要なこのことを正しく認識している人があまりにも少ないのが現実なのかもしれません。

 

不思議に思うこと

不思議に思うことがあります。それは顕進様が全ての職を剥奪された束草の事件です。2009年のこの時、真のお父様は様々な理由を指摘されて顕進様を指摘され、叱責されました。それらの悉くが顕進様には身に覚えのないことでした。その叱責された理由の中に「顕進様は真の父母の名を騙った!」と言う理由がありました。今日ここに紹介したような原理的な根拠を考えると、お父様が顕進様の職務を解くに至った理由の不可思議さが際立て来ます。

当然原理的には顕進様は第二の真の父母となるべき立場でした。そのときすでに真のお父様は顕進様ご夫妻に祝福の権限を伝授されておられました。祝福は真の父母がされるものです。祝福の権限を受容すると言うことは当然、顕進様が真の父母の立場に立たれたということです。真の父母を騙ることもない。すでに真の父母の立場にあったのです。

統一原理は真のお父様ご自身が解明された原理なのですから真のお父様が原理を知らないはずがありません。そのお父様にしてみれば顕進様が真の父母を語ることは賛美こそすれ叱責する理由にはならないことです。

だのに、真おお父様はそのような理由を掲げて顕進様を叱責されました。

原理がわかる人であればそのようにお父様がなされた理由は分るはずです。お父様が顕進様を叱責されたのは顕進様が明らかな間違いを犯して叱責されているのではなく、明らかに何者かによって貶められ、謀られてのことであることをお父様ご自身が表明されていると同じだからです。

 

お父さまは「悟れよ!」と言っておられるようです。

 

それにしてもよくぞ、顕澄様を貶めようとする者たちは原理を理解していなかったかと言うことが歴然です。よほど原理的に無知でなければかのようなメッセージは書けないものです。それともそれらすべてのことを知ったうえで行っているのでしょうか!そうであるとするならば彼らは悪党中の悪党と言うことになります。

 

顕進様もわかっておられたとしか考えようがありません。真のお父様が自分を叱責されるには特別な理由がある。真のお父様が明らかに非原理的なこのような理由で顕進様を罪に問うなどと言うこてゃあり得ないことだ。それをあえて言われてなされるとは、特別な理由がそこにはあるからだ!と悟られたに違いありません。

そのことを深く悟られて今日まで歩んで来られたからこそ、顕進様とそのグループは驚異的な発展と飛躍を実現できたのでしょう。

全ての事実を通して、全ての事実が明らかになり、全ての誤りが明らかにされ、すべてが是正される時を迎えているようです。

 

 


霊人体の成長と侍る生活・・・真理(原理)とその実体(真の家庭)の価値さえ理解すれば今は希望(HOPE)の時なのです

2017-05-02 15:22:52 | 原理

何かの技術を習得するには、普通弟子入りをしてその師匠から「技術を盗んで」習得します。「盗んで」と言うのは言葉が悪いですが、要は師匠のやり方仕方全てをまねて技術を自らのものにしていくのです。

何かの製品を作る技術の習得ではもちろんですが、人生の生き方の習得もそうでしょう!人生の師がいればそのもとに通うか、できれば内弟子として、共にその家族と共に生活しながら、その生活を通して人間としての生き方を学んでいくのです。それが進んでいけば、学校であったり、修練所であったり、道場で当たりするのですが、いずれにせよ優れた生き方をする人物に直接接しながら生きる技術を習得していくのです。

ここに「侍る」という生活が生まれてきます。その家庭に入って技術を習得するなど、まさに「侍る」こと、そのものです。

 

統一教会、家庭連合で習得するものとは

さて、統一教会、家庭連合においては、何を習得するのでしょうか?究極的には天国入ることのできる家庭を築く技術を習得することではないでしょうか。

原理的には天国入るとはどういうことなのでしょうか?人間は地上生活を終えてから霊界に行くと教えられています。地上生活を通して、人間はその霊人体を完成してこそ、霊界の天国にも入ることが出来るのです。

霊人体の成長の段階には、「霊形体」「生命体」「生霊体」の三段階があると原理では教えています。その三段階目の生霊体を完成した人間が地上天国を完成してから入る霊的世界が天上天国だと教えているのが原理です。

それでは霊人体はどのように成長するのでしょうか?原理講論を見ると、「霊人体は神からくる生素と肉身からくる生力要素の二つの要素が授受作用する中で成長する。」とあります。

 

霊人体の成長に必要な要素

霊人体には神が臨在される霊人体の中心部分である「生心」と霊体から成り立っています。人間が生心の要求するままに肉身が呼応して生きるようになれば、肉身から霊人体に善の生力要素が送られるようになり、正常的な成長をするようになるのである。ここで生心の要求するものが何であるかを教えてくれるものが真理である。人間が真理を学んで、善の実践生活をすれば霊人体の正常的な成長を見ることが出来るのである。

そこで、救世主、メシアの役割が重要になってくるわけです。原理講論では、人類を救うことのできる最終的真理を明らかにされたのがいjン類の救世主、メシア再臨の主である文鮮明先生です。その文鮮明先生の解かれた真理の骨子が統一原理であり。その統一原理の解説書が原理講論であり、さらに最終的に文鮮明先生が説かれてすべての祝福家庭が、真の家庭のお母様も子女様も学ばなければならないとされたのが原理本体論でした。

 

天国に入れる霊人体完成こそが我々の目指すもの

さて、ここで最終的真理が統一原理であるとされましたが、歴史上様々な聖人義人が真理の解明に努力してきました。そして、ここで問題になるのはその真理をいかに体現するかの問題です。

学校でどのように科学や理論を学んでも、それですぐに何かができるわけではありません。真理は人間の生心に働いて肉身をして善なる生き方を示すわけですが、いかなる真理も、真理自体に価値があるのではなく、その真理に基づいて実践した実体があってこそ、価値を顕すことが出来るのです。

 

メシヤが必要なわけ 真の家庭が必要なわけ

だからこそ師匠が必要なのです。救世主でありメシアであり再臨主である文鮮明先生はその究極的真理をご自身がそのごとくに体現されて究極てき完成実体になる道を自ら示されたのです。

そこでさらに問題になるのが家庭です。統一原理の示す神様の創造目的の究極的姿は四位基台で示されています。神様の二性性相の実体として人間が創造されました。すなわちアダムとエバを創造されたわけです。そのアダムとエバが完成して夫婦となり子女を繁殖して四位基台を完成した位置が無形な神様が実体として顕現する位置だと教えています。

だから救世主は真の父母でなければならないし真の家庭の完成者でなければならないというのが究極的真理である統一原理で教える感性の姿です。

さて、霊人体の成熟と完成とは何の完成なのでしょうか?それは神様の本性が真の愛なのですから、人間実体の完成の姿も真の愛の完成です。その真の愛は単独で完成するのではなく、四位基台を構成する、神様とアダム(男性)とエバ(女性)そして子女の相互の愛の関係によって愛が実体化するということです。それが三対象の愛であり。究極的には12対象の愛であり。心情と言う観点からは4大心情圏の完成だというのが文先生が説いた究極の原理です。

 

文鮮明先生ご夫妻と子女様たちが動員されて語られた世界巡回における「平和メッセージ」の骨子もそのような内容です。祝福家庭が唱和する「家庭盟誓」の内容も同様です。そして、ここで強調しなければならないのが真の家庭の使命です。

 

侍義時代の意義

成約時代が「侍義の時代」と言うのは、どういうことなのでしょうか。祝福家庭が祝福を受けて真の子女様にをアベルとして侍るのはどういうことでしょうか!

それにはわれわれ人間が究極的に地上生活を終えて天上天国に入ることのできる霊人体を完成するのは家庭生活を通して、その家庭生活が三代圏を通して、子女⇒父母⇒祖父母の位置にまで上がって行くことを通して霊人体が完成していくということをみ言葉とともに実体で見せて教えてくれているのが真の家庭だと言うことです。

 

だからこそ真の家庭が絶対に必要

だからこそ真の家庭が絶対に必要なのです。真の家庭の三代圏に倣ってあなたたちも三代圏の家庭を築き完成させていきなさいと教えておられるのです。真の父母様に真の子女様の家庭、さらに真のお孫様の家庭まで含めて三代圏です。

統一原理を正しく理解し、さらにそれを補完される八大教材教本のすべてのみ言を通してその骨子を理解すれば、そしてその観点で真の家庭こそが我々がモデルとしてその家庭に倣う存在であることを理解すれば自ずと行くべき道は明快になるのです。

統一家に混乱があるとするならば、その真理の骨子を理解していないか、人生の究極的目的である霊人体の完成と天上天国に行くという目的を喪失しているからに他ならないでしょう。

 

神なき非原理・反原理の世界の究極の姿

今神は、過酷にも神なき世界の究極の姿をある一国の姿を通して教えてくれています。性相と形状の二性性相の主体と対象の関係性を逆転させたのが唯物論であり、無神論の思想的な誤りです。一方陽性と陰性の主体対象の関係性を逆転させるかまたは無視した思想がフェミニズムでありジェンダーフリー思想です。この原理を否定したり逆転させた思想が世界を混乱をもたらしているのです。

神様はこれまでメシアとともに歩んできた統一家に人類歴史上最大の試練をお与えになっているのかもしれません。そのような混乱と葛藤が訪れることを予期されていたからこそ、真のお父様は「八大教材教本」を絶対に改竄してはならないとされ、最後の最後まで「原理本体論」の教育を強調されていたのではないでしょうか!

 

統一家混乱の実態とそこからの脱却

統一家混乱の実態は、「真理」とその実体である「真の家庭」の価値を見失っていることの結果であると言うことでしょう。そのことさえわかれば解決の道はすぐそこに準備されています。いまその最終的解決の道に向かって大きく前進しているこの時だと思います。


そのことさえわかれば、今はまさにHOPE(希望)の時なのです。