『統一家の後継者』という言及は無意味~ 2008年12月24日 國進様と亨進様に「神様と真の父母、兄(顯進様)を中心に一つにならなければならない」と指示された・・・「後継者問題」についての質疑④
2008年12月24日のクリスマスイブ、天福宮建築基金伝授式において・・・・(お父様は)國進様と亨進様に「神様と真の父母、兄(顯進様)を中心に一つにならなければならない」と指示された。
「統一家の後継者」という言及は無意味です
(金容成のブログ記事引用始め)
2000年から2008年まで、多くの曲折がありましたが、お父様が顯進様の位相を証され、祝福された時代です。この内容も統一家によって隠された真実です。特に2008年12月24日、お父様が明確に顯進様の位相を明瞭に証してくださいました。それは、2008年12月24日のクリスマスイブ、天福宮建築基金伝授式の時、教権勢力の前でお父様が行われた一連の儀式です。
お父様は当時、その式場で顯進様、國進様、亨進様を呼ばれ、顯進様を中央に、國進様と亨進様を両脇に立てられました。そしてその場で國進様と亨進様に「神様と真の父母、兄(顯進様)を中心に一つにならなければならない」と指示されながら、天福宮基金200億をお父様が顯進様に渡され、顯進様は國進様に、國進様は亨進様に渡すように指示されました。
当時、亨進様は世界会長としてすでにお父様から代身者、相続者の資格を付与された時でした。亨進様が代身者、相続者の資格を数百回受けたとしても、顯進様の位相を超えることができないことが明らかにされた儀式です。
このような状況の中で、「統一家の後継者」という言及は無意味です。
(引用終わり)
結論として、「統一家の後継者」という言及は無意味です。ということです。
これは単なる言葉や資格の問題ではありません。
普通一般に「後継者」ということは、ある人物がいて、ある事業を行っていて、その行っていた事業を継承する人を後継者と呼ぶわけです。単純に組織のトップの役職を継承することでは無いことは一般的な常識です。
それでは文鮮明先生において、その後継者とは誰なのでしょうか?それは文鮮明先生という方がその生涯において何を考え、何をどのように行動し、何を目標として、何を実現しようとして来られたのかを知らなければなりません。そのことを抜きにして「後継者」ということは語れないはずです。
「後継者」という言葉に翻弄されているのはその一番大切なことを等閑にしてきたからではないでしょうか。「後継者」というのは単なる名前でも役職でも立場でもありません。ましてや単なる儀式によるものでもありません。実際に先駆者のなしてきた、技術や文化、精神や伝統そのものの継承であり。実にリアルな事実そのものなのです。
こういう一番大切なことを疎かにして誰それが後継者であるとかないとか儘あることですが、実際にはそれらはまったく意味のないことだということです。歴史上のいかなる人物もその人物のなした業績が大きければ大きいほどその遺した遺産を継承することは並大抵のことではありません。形だけ継承したのではいけないし、その名前だけ継承したのでもいけないのです。ましてや再臨主、メシア、真の父母という使命を果たされた文鮮明先生の使命を継承するとはいかなることでしょうか。そのことの意味をしっかり理解していいれば、不必要な葛藤や対立ましてや分裂などということは起こりえないことだったのではないでしょうか。
逆にそのことに目覚めるならば問題解決の道は容易いとも言えます。そのことはいずれ皆が気づく時が来る。それが希望の時、希望の日(Day of Hope)なのではと思います。すべてがあからさまになる時でもあるのです。