HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

お父様は何故顕進様を追放されたのか? 父子協助、その存在自体を抹殺しようとしていた反対勢力

2017-01-28 21:06:05 | 逆理の道

お父様は何故、一見するとお母様や側近たちによる報告を真に受けていかにも騙されたかのごとき言動をとられたのだろうか?お父様の本意は何だったのだろうか?それまでのお父様は顕進様を信頼し、すべてを任せて世界摂理を進めるように指導しておられた。にもかかわらずである。何故にお父様は180度逆転するような決定を下され、顕進様をいかにも側近たちの報告が事実であるかのごとく認識されて顕進様の解任や摂理の表舞台からの撤退を指示されたのであろうか?どう考えても疑問が残る。

確かに、2008年から2009年にかけてのこのころ、顕進様への逆風は極めて激しいものであった。アメリカにおいては顕進様が留守になると、これらの勢力が動き出し、様々な策動を続けていたと当時のアメリカを知る食口が言っていた。

お父様が摂理を完成させる段階に来ていたということは、それだけサタン側にしてみれば最後の末路を迎えていたということになる。

サタン側の最後の発悪がこの時起こったと思えば、当時の状況を理解することができる。

父子協助時代が完成し、顕進様が完全にお父様の後継としてすべての実務を取り仕切るようになれば、もはやサタン側は何等そこに付け入るスキはなくなってしまう。なんとしてもサタン側は顕進様の後継を阻止しなければならなかった。そしてサタン側の本性として最後の手段も考えられていたに違いない。その手段とは顕進様の存在を完全に抹殺する方法である。その権威を踏みにじることだけではない、その存在自体を地上から一掃しようと企てたとしても不思議ではない。

顕進様追放に向けたサタン側の手段や方法を見れば、そこには宗教的、倫理的、道徳的な何物も感じられない。権力を維持し、奪取するためにはあらゆる手段を講じて来た、そう韓国朝鮮の王朝時代の権力争いそのものの図式がそこにはあったのである。

王子をさえ殺害し、その命を絶つ行為が如何ほどあったか!歴史的にサタン側が取って来たあらゆる手法がそこには繰り広げられてきたのである。

真のお父様がなぜ長子の立場の顕進様を追放されたのかその目的の第一は長子顕進様の命を守るためであっただろうということは想像に難くない。お父様はサタン側勢力の手の内に会って最後生命維持装置を外されるかというような事態にまで陥ったのである。サタンがもし神の国の実現を絶対死守しようと思えば、父子協助時代の父子のうちどちらを優先して其の存在を抹殺しようとするだろうか!親よりも子の方を狙うであろうことは当然である。

そこでお父様は自らサタン側勢力に騙されるふりをして、長子をその手の中から脱出させられたと考えられる。当時の状況からみて、お母様も兄弟たちも反対に回るその中でお父様と顕進様は完全に孤立状態に立たされていた。多くの食口たちは教会指導部のいうがままで事実も事態も知らない。このままでは父子もろとも抹殺されかねない状況に瀕していたのである。

その後お父様は顕進様のもとに食口たちが行くことも抑制された、それは顕進様に同情するふりをして刺客を送ることも十分あり得る当時の状況だったのである。

これらのことは考えすぎであろうか?そうではない。歴史上にサタン側に立った者たちが常套手段として用いた手法は人間的な方法でなかったことはお父様は百も承知であったのである。

お父様は逆理の法で、顕進様に敢えて困難な親からも見捨てられるような道を行かせられたという見方もある。確かにその一面もあると思う。ただし、すでに顕進様はお父様の心情や苦難を十分すぎるくらい理解されていた。そういう心情をすでに相続されている顕進様であることを十分承知の上で、顕進様追放の最終的手段を取られたのではないだろうか。

すでに顕進様が教団主力から離脱されて7年を過ぎ8年目、9年目を迎えている。今それらのすべてが明らかにされて行っている。

それから顕進様の逆理の道、その目的の一つはお母様と兄弟たち、統一家のすべての祝福家庭救済の目的があったであろうことを知ることができる。そのことはあらためて記してみたい。


お父様は騙されていたわけではなかった

2017-01-19 22:49:55 | 逆理の道

お父様は騙されていたのか、そうではなかったのか?実に深刻な問題である。

この問題と密接に関連があるのが2009年3月9日の束草における事件を中心に真のお父様がいかにして顕進様を叱責し、その職務を剥奪して行かれたわけであるが、このことに関係する一連の内容を記述した金容成のブログ記事を当ブログ村の中で「まっちゃんのブログ」にわかり易く、要点を纏めてくれている。

金容成のブログブログは当HOPEブログでも何度か参考にさせてもらったが、非常に論理的に様々なみ言や資料を駆使して論を進めてくれているが、何分文章が難解な欠点がある。そこをうまく纏めてくれているので参照させてもらおう。顕進様がどのような経緯でその職責を博j脱されたのかが箇条書きにして説明されている。

顯進氏が公職を剥奪された理由

http://ameblo.jp/motojuku103/entry-12239506833.html

この纏められた内容を見ると実に唖然とする。顕進様を解任に至った理由が実に荒唐無稽なことである。真のお父様ともあろう方がこのような理由でもって、このようなことを鵜呑みにされて顕進様を叱責したり職責を解任されたとは到底信じられない内容である。

第二番目の理由に「妻が3人も4人もいるなどとは到底考えられない。誰が聞いても嘘だと思う内容である。

どう考えても不自然である。お父様がそのような内容を信じるとは到底思えない酷い内容である。つい先日までご自身の後継者として定め、その歩みを賛美し信頼し続けたお父様のとる態度や言葉とは到底考えることができない内容である。顕進様の実体を父親のお父様が知らないはずがない。教会権力を握った側近たちや、真のお母様がどのように言ったとしてもそのような言葉を信じられるお父様とは到底信じられない。

却って、それまでお母様の独自行動を叱責され、またそれに同調している幹部たちに苦言を呈しておられたお父様なのであるから、顕進様への叱責や否定は到底お父様の口から発せられうような言葉ではないことがわかる。

これは真のお父様の極めて高等な作戦としか思えない。それが「逆理の法」なのではないか。

長子の立場の顕進様に対しての絶対的な信頼があればこその真のお父様の究極の作戦だったとしか考えられない。

だからお父様は「騙されいた」のではなく、あえて騙されたふりをしながら、顕進様をあえて教会からは遠いところにおいて、そこから逆理の道で顕進様が最後の神様の摂理の道を上り詰めてこられると確信しておられたのではと思わざるを得ない。

実際顕進様は、逆境、逆風の吹きすさぶ中、たった一人の孤独な時間を過ごされながら、祈りに祈られて摂理の道を開拓し、勝利して来られた。困難と苦難がかえって顕進様を強くし、その精神をさらに高貴なものとし、神様への絶対忠誠の真のお父様の伝統をしっかりと相続される立場に立ったのである。

だから、真のお父様は教権勢力や真のお母様の言動に惑わされたり、騙されたりしたのではなく、あくまでも騙されたそぶりをされながら、偉大なみ旨の勝利に向けて顕進様との内的一体化を成し遂げていかれたのである。

これが今日の段階におけるHOPEの見解である。

異論のあるかたもおられようと思う。ならばその意見を聞かせてもらいたい。単なる「‥論」ではなく、内外からもたらされる事実と真理(原理)がすべてを解き明かすカギとなっている。ありがとうございます。

 

<追記>

このころのお父様の顕進様への叱責は実に激しいものだった。よくぞここまでというようなはなはだしいものだった。通常ここまで実の親が子供を叱ることはないだろう当いうようなものである。普通の人間ならこのように誤解され、言い分も認めてくれないような親ならばとっくに見捨てて去って行くだろう。しかし、顕進様はそれらにじっと耐え、克服された。お父様の叱責がその通りの事実であったとするならば、とっくの昔に顕進様はみ旨の道から去ってしまっていたに違いない。しかし顕進様はお父様の叱責の背後にある深い願いと永遠の価値、何よりその心情のお奥にある深い愛情を悟って行かれたのである。だからこそその逆境を乗り越えて堂々とその使命を、すなわちお父様が実現できなかった最終的な神のみ旨の決着点に向かって進んでこられたのである。お父様が与えられた逆理の道を乗り越え勝利されて今あるのである。


あらためて、お父様は騙されていたのか? そうではなかったのか?

2017-01-16 11:01:56 | 逆理の道

お父様は騙されていたのか?そうではなかったのか?

今日の統一家の混乱あるいは分裂の発端は、「父子協助時代」を通して真のお父様がその使命を継承していかれると見做されていた文顕進会長をお父様自らが解任、その摂理から遠ざけられた一連の言動があることは誰しも否定できない事実であろう。

問題は真のお父様自らが何故、それまでお父様が指示しそれに従って世界的活動を展開しておられた顕進様をご自身で解任されるようなことをされたのあろうかということである。

お父様ご自身が聖和されてしまわれた今日、そのことを正確に知る由もない。現在統一家の主流組織となっている家庭連合から出される様々な情報や資料はこのお父様ご自身による顕進様を否定されたとみられる言説を根拠に、顕進様はいかにも反逆者であり、その顕進様を擁護したり支持したりするものは反逆者であり、分派行動をとる者であるとして断罪してきた。先般櫻井節子夫人がメッセージを発表されたし、その前には神山名誉会長が教会から除名されるという通常考えられないことが行われたが、その神山会長も最後のメッセージ「許せ!愛せ!団結せよ!」のメッセージを残して聖和していかれた。

神山先生が除名などという処分を受けられた理由も、お父様の言説を根拠にしての処分である。

不可思議なのは2008年以降の真のお父様の言説である。2008~2009年またそれ以降の真のお父様が聖和される頃までの真のお父様の周辺は、真のお母様やその当時お母様に従った子女様、またその意をくんで動いたと思われる幹部たちの意のままにあったと思われるので、その真相を知ることは今現在極めて困難である。

今現在、教会組織に置かれた先輩家庭や一般食口たちは、教会組織から提供される情報や資料を鵜吞みにするしかないわけで、顕進サイドからの情報や資料はほとんど目にする機会もないのが実情です。「真のお父様がこのように言われた。」と言われればそのように信じ、そのような言葉に従って思考し、行動するしかないのが実情である。

櫻井節子夫人が「顕進様のことを知らなければ、愛さなければ」と訴えられても、教会の公文や通達に従えば、顕進様と関係を持つという人との接触さえ躊躇せざるを得ないのが実情であろう。

果たして真のお父様は側近の幹部たちの報告をそのまま受け入れ信じて、その報告を根拠に顕進様を解任されたり遠ざけられたのであろうか。

当ブログでも引用したことのある「金容成のブログ」では金容成氏は「お父様は騙されたのではない!」と主張されている。「それは逆理の法だったのだ!」と主張している。

果たして真のお父様はお母様やその当時真のお母様に従っていた子女様たち、そして真のお母様を推したてて真のお父様の意向に逆らっていた幹部たちの顕進様に関する事実と異なる報告に単純に騙された結果の顕進様の解任、排除だったのか。あるいはそのような事実さえも実際には異なっていたのだろうか。

金容成氏の主張はお父様が顕進様を排除されたかに見えるのは、真の子女として顕進様に絶対的な信頼を置いていたがゆえに、しかし、真のお父様と顕進様を取り巻く環境があまりにも厳しいため、摂理の道を打開されるためにとられた「逆理の法」だったのか?

真のお父様の生涯歩まれた精神や思想を考えれば、金容成氏の主張の方が正しいようにも思われる。

真のお父様は最後の最後に「顕進なしに基元節はない」と語られたことからすれば、真のお父様は顕進様を排除されたかに見えるその期間も変わらずに顕進様を信頼し、期待し、その使命を託し続けておられたと理解するしかないのではなかろうか。

一見顕進様を排除されたかに見えるお父様の映像や伝えられるみ言は何を意味するのか。最後の祈祷が切り貼りされてお父様の本位とはまったく異なる映像として教会員たちに見せられた事実もあります。

このあたりの真相を物語る資料や事実関係が明らかになれば統一家の今日の混乱問題も収拾され本来あるべき統一を実現する助けとなるのではなかろうかと思います。

是非とも皆様の見解や意見、資料や情報の提供をお願いしたいと思っております。

どうぞよろしくお願いいたします。


逆理の道  問題解決の道は真摯に涙で向き合うこと  「逆理の道」のトーク続きの4

2016-11-26 21:44:08 | 逆理の道
[F] 協会側の主張の中に次のようなものがあります。
「三男の顯進様に従う人たちを郭グループと表現されたのは真のお父様ご自身でした。「従う人の話を聞いて子女様が親の下に来ない」とお父様は怒りを露わにされました。従う人は、子女様を真の父母様から奪う張本人、真の父母様と子女様の間を引き裂く者となり、父母様の下へ帰る道を閉ざしてしまうからです。」 これは6000双家庭会が出した声明文の最後の部分ですが、このような言及に対して、顕進様サイドでは「お父様は偽りの報告により騙されていた」と言うとらえ方で反論している方がありますが、どうもそういう反論では協会サイドの人たちを十分理解させるには至っていないのが現状です。
祝福家庭の4つの質問で問われるところのズレている原理観、「父子協助時代」に対する摂理認識の薄さ、お母様とお父様との確執の証拠、逆理摂理の始動、そして、現在の混乱等からみるところの、神様~お父様(イエス様)~顕進様の縦的三代で繰り広げられた逆理摂理の涙の物語を心情的に伝えていくことのほうが重要なのでは思います。

[Y] 問題解決の道は涙ですね。
罪を償う~清算するということですが、そのことにふさわしい言葉が以前に紹介したメッセージにありました。
「犯した過ちにどの様に向き合うか! 真摯に涙で向き合うことでしかない~」という言葉です。
罪というより「不徳」とみた方が良いのかもしれません。問題や課題に真摯に涙で向き合うことが求められているようですね。


次回からは「逆理の道(摂理)」についてのトークをもう一度まとめなおして「逆理の道(摂理)」とは何か?何だったのか?ということを確認していきたいと思います。

「逆理ということのイメージ」・・・・我々は再臨主の前に良き弟子足りえているのか  「逆理の道」トーク続き3

2016-11-25 22:42:26 | 逆理の道
トークの続きです。

[Y] そのころのみ言が残っていれば決定的だと思います。
逆理ということのイメージですが「押してダメなら引いてみよう」という諺があるが、逆理摂理は、お父様がお母様を引っ張って行こうとされたけれど、頑として付いて来られようとされないので~もっとも信頼する息子に一番後ろの後ろに行って反対側から押して見てくれ。とされたとイメージしましたが、そのようなものでしょうか?

復帰摂理は堕落したエバの復帰ということに尽きるので~再臨メシアとしてのお父様が最終的に成し遂げなければならないのはエバの復帰、すなわちお母様を復帰することに尽きるわけですね。だから、ご自身だけでそれが難しい状況になったので子女である長子が全く反対側から母親を復帰して来ることに託すしかない~それが逆理と見ましたが如何でしょうか?


[F]顕進様を無慈悲に生贄として捧げることを通して、お母様の人間としての良心、母としての母性に期待されたのではないでしょうか?>長子が全く反対側から母親を復帰して来ることに託すしかない~それが逆理< これは逆理摂理の失敗によってもたらされた、現在の状況ではないかと私は考えます。

[Y] 顕進様は母親を本来の位置と状態に帰すという、摂理的重要亊に取り組まれておられるのですね。助け手が必要です。助け手が多ければ復帰は早まります。

「良き弟子足りうるか」、今朝ある方からいただいたメッセージの中にあった言葉です。
どのような聖人も、聖人が聖人足りうるのは良き弟子を得ればこそです。本当に師の精神を受け継ぎ本当に師を命懸けで守ろうとする弟子を得てこそ、その師が師として仰ぎみられるようになり、歴史に刻まれます。愚かな弟子しかいなければ、その師の末路が悲惨となります。イエスキリストも本当に良き弟子さえ得ていれば十字架の道を行かずともよかったのではないでしょうか。
我々は再臨主の前に、正しく良き弟子足り得ているのか自省してみることが必要です。

続く