HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

統一家大変革のプロジェクトだった「2009天宙平和連合世界平和巡回」(統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 痛恨の2009年 3の3)

2017-09-29 19:08:13 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

 

先に紹介したお母様について語られた2009124日のみ言をもう一度見てみましょう。

[<中略>オモニが勝手にしようと考えています。好きにしなさいというのです。オモニはオモニが行きたいように行き、私は私の行きたいように行く⋅⋅と言うのです。私は朝、どれほど深刻だったか、夜明け前の陽のない真っ暗な世界、電灯が砂浜に映るようなそのような思いで、夜が明ける前に経ちました。今日は大変革を成すだろうというのです。オモニの好きなようにしなさいというのです。先生の近くにいる孝律が自分から、ユン・ギビョン自ら、それからドンホ!]

         資料:み言選集6071112ページ、2009124日天和宮

ここに「大変革」というみ言があります。このみ言を具体化されたのが2月の初めに発表された2009天宙平和連合世界平和巡回」でした。

  

〇統一家大変革のプロジェクトだった「2009天宙平和連合世界平和巡回」

 

これはお父様が顯進様に与えられた天宙的かつ歴史的な使命でした。父子協助時代の摂理的長子としての顯進様に重大な特別使命として与えられた使命であり、指示でしたその時の特別指示のタイトルは2009天宙平和連合世界平和巡回」というものであり、「天宙平和連合」を前面に押し出した全世界各地における大会や行事の推進したこの巡回は2009227日の日本大会を皮切りに始められました。



◇家庭連合機関誌「統一世界」20093月号には2009天宙平和連合世界平和巡回」のことが次のように掲載されています。

文顯進会長、194カ国世界平和巡回出発  「統一世界20093月号」より

日本大会(227日〜31)を皮切りに真の父母様の指示によ2009天宙平和連合世界平和巡回」が始まりました

真の父母様は「今回の巡回が、今年515日までに完了しなければならない」と語られ、「早く多くの国を巡回しなければならない為、文顯進会長が直接、参加できない所は、文顯進会長のスピーチビデオを上映すること」と指示されました

 

天宙平和連合は、今回の巡回を主管しながら、各大陸および国別に天宙平和連合が目指す平和のビジョンと目的にふさわしく、国家単位で世界平和家庭連合創設準備、国連更新、国連新千年開発計画(MDG)の遂行、超宗教運動、平和奉仕、祝福および真の家庭に関連する様々な行事やプロジェクトを進行するものと思われる。

特に今回の巡回では、昨年の成功的実践モデルを各国家の底辺に定着させる為、各国家の政府および機関、NGO団体などを共同後援および協力パートナーとして参加させることを計画している。文顯進会長は日本大会(227日〜31)を皮切りに、アジア、アフリカ、中東、ヨーロッパ、南北米など、主要国家を巡回する予定である。

巡回日程で文顯進会長は、アフリカ・エチオピアでアフリカ連合および国連指導者と会合を持ち、ケニア・ナイロビではマーティン·ルーサー·キング3世のリアルジン、ザ・ドリーム財団と共同で世界各国の青年指導者を招待し、国連新千年開発計画達成およびアフリカ地域の平和定着の為の国際青年指導者サミットを開催する予定である。

 その後、フランスではユネスコ本部で講演会を行った後、パラグアイを経てブラジルなどの南米大陸巡回を終えた後、モンゴル、韓国、インドネシアなどで巡回講演をされるものと思われる。

 特にインドネシアでは、世界最大のイスラム教国としてアブドラマン・ワヒド前インドネシア大統領といった主要指導者が文顯進会長を招待して大会を開催する予定である。

 特にこの行事には、元世界最高位のイスラム教徒の指導者が参加することが予定されており、真の父母様を中心とした地球村超宗教平和運動の成功的なモデルが確認できるものと期待されている。

 文顯進会長は巡回の最後に、今回の巡回の全ての成果を一つに集めるという意味でアメリカ・ニューヨークにある国連本部において国連が定めた「家庭の日」を記念し、講演することにより、194カ国巡回講演会の最後を飾る予定である。

 :統一世界20093月号P103  2009世界分棒王年次総会(200921516日、武昌浦ビーチパレス)



2009世界分棒王年次総会   2009世界分棒王年次総会(200921516

 2009世界分棒王年次総会が天宙平和連合世界本部の主管で去る215日から16日まで武昌浦ビーチパレスで開かれました。この総会は摂理的に真の父母様によって任命された各国家の分棒王夫婦と元老、および先輩家庭2百余名が参加する中で盛況を成しました。<中略>分棒王たちは大陸別懇談会を持ち、各大陸の情報交換はもちろん、今回の真の父母様の特別指示によって行われている顯進様の190カ国巡回日程に対する分捧王の役割を討議する時間を持ちました<中略>郭錠煥会長は去る215日に開催された「2009世界分棒王年次総会」で、真の父母様の名によって各国に派遣された分捧王が大陸会長および国家協会長と物心の両面において協力し、今回の巡回を成功的に完了できるように頼みました

 2009世界分棒王年次総会(200921516日、武昌浦ビーチパレス)

 


2009年1月15日 代身者相続者宣布と亨進様がお父様の後継者となったとの偽りの宣伝 (統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 3の2)

2017-09-29 05:49:23 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

(2)代身者相続者宣布と亨進様がお父様の後継者となったとの偽りの宣伝

2009115、真の御父母様は神様解放圏即位式を挙行されました。この時お父様は亨進様に対して代身者相続者宣布を為されました。

ところが教権勢力はこのお父様による亨進様の代身者相続者宣布をして、亨進様が後継者となったと組織内に宣伝するようになったのです。実際にはお父様は亨進様をお父様の後継者であるとはその時も、その後も一言も語られていませんでした。それにもかかわらず教会権力を占有した教権勢力は亨進様が後継者であると歪曲し、強引な論法で教会員たちを扇動して行ったのです。その手法は極めて強引で乱暴な主張でした。しかし彼らは何故このような強引な手法を取ってまで亨進様をお父様の後継者だと印象付けようとしたのでしょうか?そのことが極めて大きな問題です。

  

・亨進様世界会長の職分をもっ顯進様はアメリカ総会長職を奪われ、さらにはアメリカ理事会を仁進様によって違法に改変させられえいました。そういう極めて不合理な妨害の中にありながらも顯進様は世界的な超宗教平和運動の推進において目覚ましい勝利を収められて行ったのです。お父様200811月、そういう顯進様の世界的な活動に対して絶賛されました。お父様は顯進様の勝利を「神様の摂理史の新しい出発である」と表現され、これ以上にない祝福の言葉を授けられていました。

 さらに20081224には、世界会長である亨進様に対して顯進を中心に一つになれ!という指示までされていますこのことはどういうことなのでしょうか!確かにお父様は亨進様を世界平和統一家庭連合の世界会長に任命はされ、2009年に至ると戴冠式まで挙行されましたが、それはあくまで家庭連合という組織上の事であって、摂理上のより大きな次元からすればその中心は兄の顯進様であるということを明確に認識され指示されてのいたことの証明です。真のお父様のお考えはこの時点においてなんの迷いもなく明確に顯進様を摂理上の長子として認識され、そのように扱っておられ、そのように発言されていたのです。

 


2009年 お父様と神様の摂理に対する反乱の歴史 (統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 3の1)

2017-09-29 04:27:11 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

3.20091月~2月に隠された反乱

(1)お父様と神様の摂理に対する反乱の歴史

2008729、お父様がアメリカの摂理推進の為に任命された顯進様のアメリカ総会長として職責を亨進様とお母様を前面に立てた教権勢力が剥奪してしまった事件が引き起こされました教権勢力はその後二度にわたってお父様から直接に「原状回復せよ」との指示があったにもかかわらず、その指示を無視し続けお父様と神様の摂理に対して叛逆を露にしていきました。

そして2009年を迎えるとその叛逆行為はさらに甚だしく酷悪な行動へとエスカレートしていったのです。

 

2009年の反乱>

2009年最初の反乱は2009年の224に起こりました。この時の主役は國進様であり、助役は亨進様と教権勢力が直接担当しました

2009年二回目の反乱は200938に起こりました。この反乱がいわゆる有名な束草霊界メッセージ事件で

これ等の事変をこれから詳しく見て行きましょう。


2009年1月 寂しく出発されたお父様  (統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 痛恨の2009年 その2)

2017-09-28 22:01:16 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

2.真実を語らない教権勢力

 20091月 寂しく出発されたお父様

20091摂理を経綸された時、お父様は「本当に寂しく出発した」と食口たちに訴えておられます以下そのお父様の言です。

 <中略>オモニが勝手にしようと考えています。好きにしなさいというのです。オモニはオモニが行きたいように行き、私は私の行きたいように行く⋅⋅と言うのです。私は朝、どれほど深刻だったか、夜明け前の陽のない真っ暗な世界、電灯が砂浜に映るようなそのような思いで、夜が明ける前に経ちました。今日は大変革を成すだろうというのです。オモニの好きなようにしなさいというのです。先生の近くにいる孝律が自分から、ユン・ギビョン自ら、それからドンホ!」:み言選集6071112ページ、2009124日天和宮



オモニ(お母様)についての言及もあります。2008年激しい教権勢力の父子協助時代の摂理を破壊する行為のゆえにお父様の心情はずたずたに引き裂かれ寂しさの極致にあったことが窺われます。我々が明らかに2008年の反逆で知るのは、教権勢力と京系勢力に利用された子女様たちの叛逆行為でしたが、加えてお母様のことがとてつもなく寂しいお父様の心情の傷みの対象となっていたことがこのみ言を通してうかがい知ることが出来ます。お父様のその寂しさを心底理解して差し上げる者はその当時、だれもいなかったのでしょうか?

 


子女様の人事に関する奇妙なこと三つ 亨進様を後継者とはされていなかったにもかかわらず (統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 「痛恨の2009年」 その1)

2017-09-28 09:37:26 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

Ⅸ 痛恨の2009

2009年の顯進様に対する教権勢力の攻撃

統一家に引き起こされた策謀は2009年に入りさらに深刻なものとなって行行きました。そのことに関連して子女様の人事に関して2009年に至るにつれて奇妙なことが立て続けに起こって行っていました。

 

1.奇妙なこと三つ   

<その1>  三人の子女様への対等な人事処置

・お父様が摂理現場に公式的に投入された子女様は顯進様と國進様と亨進様でした。

・お父様は父子協助時代を迎え、顯進様を摂理的長子として指名され、2004年にはお父様の継代を続けなければならない子女様であると宣布されました。

・それにもかかわらず、200512日、お父様は顯進様、國進様、亨進様の摂理的責任分担を均等に付与されたのです。

・当時、客観的に見て、数年間、世界の摂理現場での実務経験のある子女様と実務経験の全くない子女様に対等に責任分担を付与されるということはどう見ても不自然です。

 

200512日に行われた、三人の子女様に対するお父様の人事措置は、果たしてお父様の独断によるものだったのでしょうか?それとも、何らかの外部からの働きかけがあったのでしょうか?

 

<その2> 亨進様の世界会長就任とお父様の顯進様を中心にと言うみ言

2006417日、お父様は世界の公的資産をアメリカの財団に統合され、顯進様をアメリカの財団の理事長に任命され、2013113日の基元節勝利の為に全力を尽くされるように措置されました。20061023日、お父様は顯進様の活動状況をご覧になって今、死んでも心残りがないとまで顯進様を信頼され絶賛されています。(み言選集542334ページ 2006.10.23)

・さらにその翌年の2007年には、統一家の全ての指導者は顯進様を協助しなければならないとも語って指導されています。み言選集55284ページ 2007.1.11~み言選集580-910ページ 2007.11.8

・ところが2008年になって418日、統一家において、「原理的にも全ての面で亨進様が最も偉大な指導者である」と絶賛され、世界会長に任命されたのです。(世界会長とは顯進様を行政的に主管する位置にある。結果的に亨進様はこの職責をもって顯進様の摂理の進展を難しくさせた。)

 

・お父様は、顯進様の成功的な2008年の超宗教平和運動を絶賛され、顯進様による超宗教平和運動を統一家の新しい摂理史の出発として(1)祝福されました。続いて2008年の1224日、天福宮の建築資金の下賜式を通して、世界会長である亨進様に対して「顯進様を中心に侍り、一つになりなさい」(2)と指示されています。:み言選集6012008.11.10 天正宮 271272ページ;み言選集604200205ページ 2008.12.24 天正宮 新しい神殿と祖国光復

 得や

一見ちぐはぐに見える真のお父様による亨進様の世界会長就任でした。このことにはどういう意味があったのでしょうか?お父様の独自の判断(もちろんお父様は天の父である神様には相談されたと思われますが~)だったのでしょうか?それとも誰か別の人からの知恵や要請を受けてのものだったのでしょうか?

  

<その3> 亨進様ご夫妻を従えての戴冠式の意味するもの

 20081224日、お父様は世界会長である亨進様に「顯進様を中心に侍り一つなれ」と指示されてから22日後である2009115日の神様解放圏戴冠式行事の時、父母様の後ろに亨進様ご夫妻が王冠と王のガウンを着て父母様に随うようにされ、お父様の代身者相続者を付与されました。

 ・その後教権の中心にいた金孝律氏はこの戴冠式を根拠に、2009115日の戴冠式はお父様の後継者を決定するものである」と公式の場で表明しています。

・金孝律補佐官が2010222日に遊天宮において述べた声明はつぎのとおりです。

「今、亨進様はお父様の継承者として、お父様の後継者として、お父様から受けたミッションを遂行している。お父様とお母様が、誰が後継者とならなければならないのかを決定した戴冠式のゆえに、統一家の分裂が始まった。」

2010.2.22日 遊天宮での金孝律補佐官による声明


亨進様を後継者とはされていなかったにもかかわらず  

ここでよく考えてみなければならないことがあります。それは、たとえお父様が亨進様を世界会長に任命し(2008418日)、2009115日の戴冠式行事の時、亨進様に王冠と王のガウン着せ、代身者相続者であるとされたとしても、一言も亨進様をして(お父様の)後継者であると称されたことは全くなかったのが事実です。

 

それでは金孝律氏は何故「亨進様が後継者である」と強弁するようになったのでしょうか?それは顯進様の超宗教平和運動の成功を阻止するためだったとしか考えようがありません。顯進様の超宗教平和運動が成功すれば顯進様のお父様の後継者としての立場を阻止することが最早完全に不可能になることが明らかだったからこそ、何としてもそのことを食い止めるための強弁だと考えるしかないのではないでしょうか。