HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

カンニングが横行した科挙試験・・・・実質と内容の伴わない学問が国を滅ぼしていった・・・

2017-05-20 09:27:52 | 愛について

朱子学に関連して

あるところで話が合って聞きに行った。そこで朱子学と陽明学の話が出て、ついでに中国と朝鮮の科挙試験の話が出た。

重箱の隅をほじくるような科挙試験の問題で、受験生たちはいかにカンニングするかと言う技術を競ったと言うことである。様々なものに出題個所の内容を事細かにびっしり書き記してカンニングを行ったそうである。科挙試験も末期になるとますますその本来の趣旨を離れ、受験技術の競争と化し、科挙試験合格のための技術を教える予備校が繁盛したらしい。

 

結局は最後は暗記力の勝負になり、暗記力の優れた人間が役人になって行った。人格や幅広い素養などはくそくらえで、試験に合格するための技術が全てに優先するようになって行った。これでは国家の行政がうまくいくはずがない。汚職や腐敗が横行し、収拾がつかなくなり、さらに役人の無為無策で国家も疲弊混乱していった。

 

本来儒学は人間としてあるべき道徳律を謳ったものであるにもかかわらず、彼らが唱える学問は経文の暗唱にほかならず、人間性の涵養とは全く関係のないものになって行った。それでいて、国民には学問の理屈をつけて、窮屈な生活を強制するようになり、ひたすら作られた「忠孝」が強調されるようになって行ったのである。

経文だけはしっかり唱える役人たちが、庶民には「忠孝」を鼓舞して忠誠を要求する。官製の道徳律が国民支配の道具と化していたのである。

 

今、どこかの国や組織がその如くで ・・まさにその実例を示しているのでよくわかるだろう。


真のお父様がキリスト教を中心に救いの摂理をしていかれたのはキリスト教が愛の教えを説く宗教だからだった

2017-05-19 02:01:17 | 愛について

真のお父様の生涯路程を読むと、真のお父さまがキリスト教を学ぶようになられたきっかけが紹介されています。真のお父様は「キリスト教が愛の教えを説く宗教だったから」と言う、理由でキリスト教を学び始められたと言われています。

半島では高麗王朝が滅んで朝鮮王朝が樹立されると、それまでの仏教が禁止され儒教が国教化されます。僧侶たちは僧籍を剥奪され、都市を追われ山中に隠れ住むようになりました。(韓国にあるお寺がほとんど山の中にある理由)また、その他の宗教も一切認められていなかったため、国民はただひたすら儒教の教えに従うしかありませんでした。それまで仏教式で行われていた先祖祭祀なども儒教式に改められました。(今でも韓国では儒教式で先祖祭祀が行われているのはその名残です。)

日本統治時代になると、日本国内と同じように一定の信教の自由が与えられるようになり、そういう中で仏教やキリスト教が広まるようになっていきました。特にキリスト教は、キリスト教諸宗派が競って朝鮮に宣教師を派遣するようになり、一挙にキリスト教が広まるようになっていきました。そのような中で、文家もキリスト教に改宗するようになっていったのです。

キリスト教は、それまでの儒教の四角四面の教えに比べて極めて教えは寛容でありしかも愛にあふれたものでした。

儒教、朱子学には愛が欠けていたと指摘しました。朱子学を基調とした儒学は極めて厳格な道徳規定があり、すべての国民が儒教的倫理観に強制されて生きているようなものでした。今でも韓国では、春香伝や沈清伝がもてはやされていますが、これらは明らかに儒教的な価値観から見た美徳です。対象が主体に対する部が強調され、それが時には強制的にまでなって行ってしまったのが朱子学的な儒学の陥った誤謬の一つだったわけですが、キリスト教が教えるような愛や寛容の考えはありませんでした。悲壮な美学が儒学の美学だったのです。しかしキリスト教は無条件の愛を説きました。そのキリスト教が説く愛の教えは、半島に住む人々にはとても新鮮で、開放的な考えでした。だから人々は競ってキリスト教に触れキリスト教に改宗していったのです。その勢いは燎原の火のごとく、止まることを知らないくらいでした。

日本の場合はもともとの仏教の教えが慈悲を説いて環境的でしたし、日本で普及した儒学は官学は朱子学でしたが、民間では愛の教えである陽明学が広く普及したため、朝鮮半島のようなキリスト教の普及は見られませんでした。それが、今韓国にキリスト教が多い理由にもなっています。

「キリスト教は愛の教えである。」このことが重要です。統一教会もその根本は愛の教えでした。真のお父様が説いたのは「真の愛」でした。イエスキリストが、聖書の最も大切な教えは神を愛することであり、その次に隣人を愛することだと教えたように、初期の統一教会には愛があふれていました。真のお父様はその限りを尽くして食口たちを愛しました。そして兄弟姉妹たちもお互いに愛し合って仲睦まじく暮らし、教会は発展して行っていたのでした。

真のお父様はキリスト教が愛の教えだから、その愛をもって世界人類委を救済する事業をキリスト教を先立てて行って行こうとされたのです。

しかし、教団が発展するにしたがって、そのような愛の空気が何時かしら、義務的な戒律的な価値観に逆戻りしていったのです。今教団幹部が指導する教会の方針や教えにはだんだんと愛が欠乏して、義務や使命が強調され、いかにもかつて朝鮮時代に盛んだった儒教に逆戻りしt尚ではないかと思うような現状になってしまっています。朝鮮時代そのもののような固定的、価値観が教団を支配してるのが現実です。

まるで、朝鮮時代の朱子学的価値観のような現実の教団の指導の仕方です。

これでは発展は望めません。


四書さえ丸暗記すればお役人に・・・無能なお役人政治が民を苦しめ国を滅ぼした

2017-05-17 21:34:02 | 愛について

朱子学の弊害の続きです。

理に走って愛が欠乏してしまうのが朱子学の欠点です。神様の創造の動機は愛であったにもかかわらず、「理」を先立てることと「情」を軽んずる結果が、殺伐とした理詰めの世界を招来してしまいました。

そして、四書(論語、孟子、大学、中庸)を重要視するあまり、他の学問を軽視することとなりました。特に朱子学が国教となった明や朝鮮では「科挙」制度が行われましたが、その科挙試験に用いられる教科書が、朱熹のまとめた四書の解釈だったため、多くの優秀な学者はただひたすら四書を学び、これを丸暗記していったのです。四書について何でも答えられる人間が優秀だと言うことになったのです。現実無私です。

 

学問オンリーの人間が政治を行った結果は

結局科挙試験に合格した者が役人になるわけですが、彼らの頭のなかは四書だらけで、全ての物事は四書に始まり四書に終わる。その他の学問をする暇などありません。

行政と言うのは、道徳的価値観だけあればいいというものではありません。政治経済文化さらには軍事や国際関係も知らなければ立派な行政官とはなれません。現実を統治する様々な知識や、統治者にふさわしい人格を備えていなければなりません。

しかし、科挙試験の教材が、朱熹のまとめた四書に限られたため、四書に書かれた内容とその解釈については100%完璧に答えられる人がんが、実際の行政を担当するにあたっては、経済も知らず、文化も知らず、人間もわからない。人格や人間性にも乏しい人間が現実の行政を取り仕切るという悲劇が続く結果となったのです。

 

「君主権」を強調し、その権威への忠誠を統治の手法とする

現実的には実務能力ゼロに等しい人間が行政を司るわけですから、現実がうまくいくはずがないのです。それで、現実的行政の代わりに、「君主」への忠誠を強調して、主君の命令に絶対服従させるという手法で国家社会を運用するようになるのです。

そして君主を美化します。その君主に無条件で従うことが美徳であるという価値観を構成するようになるのです。

現実的政治の拙さは他者に責任を転嫁するのです。大概は隣国を敵視して、悪の権化のように吹聴して自らの政治の誤りを認めず、国民には誤った情報で統制を強めます。従わないもには強力な強制力を行使します。国内的にも行政の強制を正当化するために徹底的な階層差別を行います。被差別階級を徹底的に虐待することを通して、政権への忠誠を確保させようとします。

このように内省的には無策と強権政治を行うことで、国家的力量は限りなく低下していきます。かくして国家権力は末路へと向かうようになるのです。

「科挙制度」を取った、東洋諸国は、結果としてそのような運命を辿らざるを得ませんでした。それが中国と朝鮮半島の実情でした。

 

かつての「四書」を「共産主義」や「個人崇拝」に置き換えたのが

かつて「四書」を神聖視したものを「共産主義・社会主義」や「毛沢東語録」を神聖視してきたのが中国の共産党政権です。北朝鮮は「主体思想」と言う名の「金一族」の神性化です。南の韓国は民主国家であるにもかかわらず、歴代大統領が自らの政権を神聖視して他者を攻撃し我田引水の政治を行ったがゆえに、政権失脚が相次ぎ、大統領経験者の悲劇が連続しているのです。

わが統一家、家庭連合も同じ体質を持っています。現家庭連合の迷走は、皆さんお気づきでしょうが、かつての朝鮮朱子学による両班政治で迷走と混乱の政治が続いた朝鮮王朝時代そのものです。

世に「論語読みの論語知らず」という諺があります。統一教会には「原理バカ」と言う言葉がありました。前者は、いかにも論語に通じているかの人間がその論語の精神とは程遠いと言うことです。後者は原理ばかり論じているが世間知らずで何もできない教会員のことです。

こういった類の人がリーダーになり、あるいは行政の責任者になると民は悲劇です。教会は無為無策な行動を繰り返し社会的に信頼も信用も失って組織の衰退をもたらします。

それが半島諸国や、家庭連合混乱の一番大きな原因だと行ってもいいでしょう!

 

HOPE子は日本を殊更に美化するつもりはありません。日本史の中でも愚かなリーダーは沢山いました。先の民主党政権などはそのごとくでした。さらには日本を泥沼の戦争に引きずり込んだかつての軍部のリーダーたちがいました。愚かな公家政治で民心を掌握できなかった天皇親政の時代もありました。それでも日本はそれらの時代の間違いを反省して、真のリーダーの資質を持つ人間がリーダーシップをとる歴史があったからこそ、今日の日本の繁栄と平和を実現してきているのです。

 

緊迫する半島情勢そして家庭連合の実情

日に日に半島情勢は緊迫の度を極めています。北朝鮮の金正恩に国家統治能力があるとは誰も思っていないでしょう。まっとうな交渉能力も欠如してただただ暴走しているのが現状です。南の韓国でも同様です。国民の不平不満をネタに政権の座に就いた現政権は日本でも自民党政治の愚策に飽きた国民が一時期待した民主党と同様です。

わが統一教会家庭連合はどうなのでしょうか?立派なリーダーシップを持つ、正統的後継者である三男を追放して、ただただ文鮮明師の妻としてその位置にあった真のお母様を神格化してまつりあげ教会員をまとめ上げようとする手法は、かつての朝鮮王朝の王権争いを繰り返した両班政治そのものです。王家を奉るふりをしながらその実は国民を搾取し私腹を肥やし続けていたのが両班たちでした。正当な王子を死に至らしめる悲劇を王家にもたらしたのも両班政治の誤りの結果でした。

まさに現実は歴史そのものの繰り返しです。

 

誤った権威からの脱却が急務 「愛」が支配する世を実現しなければならない

朱熹そのものの間違いは「理」を強調し「情」を軽視した論理そのものでしたが、それを利用した歴代の王権は一時王権をほしいままにしてきましたが、最終的には民の信を失い、漢族の王権時代を終わせた明王朝のごとき末路を、そのごとく半島においても繰り返してきたのです。

日本が幸いだったのは朱熹の思想に疑問を持った王陽明の思想が、思想の主流を形成してきたことが救いでした。王陽明は禅寺で禅を学び、実は隠されたイエスの教えを学んでいたのです。言葉は言い換えられていましたが「神の愛」を説いた教えがそこにはあったのです。

日本では江戸時代に名君と謳われた殿さまや、民の救済に尽力した大塩平八郎、と言った政治家や学者がいました。彼らは「愛」を説くだけではなく、実践したのです。

「神の愛」が支配する時代を実現しなければならない時が今なのである。


「理」に偏重した朱子学・・身分制度、君主権の偏重も問題に

2017-05-15 18:31:24 | 愛について

朱子学の弊害

朱子学が様々な弊害をもたらした一番の要因は、あまりにも「理」に偏重した思想となってしまったことである。

朱熹が説いた「性即理」と言う実践論の考え方は、まず「性」と言うのは心の静かな状態だという、その「性」が動くと「情」となり、さらにそれが不安定になると「欲」になるという。だからいかに心を「性」たらしめるか?「情」を統御して「性」に至らしめることが自己修養であり、倫理だと言うことである。「理」と言うのは宇宙の普遍的原理である。人は自己修養で「情」を制御することで「性」の状態にのみ「理」があるとした。これが「性即理」と言うことである。

 

朱子学と科挙制度

さて、朱子の学問が問題となってくるのは、朱子学が国の学問となり、科挙試験の項目となって行くことにより引き起こされてくるようになる。朱熹が存命中は弾圧を受けるなどするが、その後国の教えとして受け入れられるようになり、元の時代になると科挙試験に準拠する学問として認められるようになっていった。

明の時代になると朱子学は科挙試験に合格するための学問となり、さらに政治の場では支配体制維持のための教学となるようになり、弊害が目立つようになってきた。そういう中で実践論としての王陽明などが登場してくるようになるのである。

 

「情」を否定し、「知」に走り、「四書」と言う限られた文献をのみ教科書とした科挙制度の結果、行政を預かる役人達は極端な「理」中心の行政となり、表向き「理」に走るようだが、行政官たちは、自己の保身と利益に走るようになり、一見「王権」を奉じているようだが、実は「王」の意向とは関係なく、中間管理の役人たちは私利私欲を貪る結果となって行った。

 

四書を解釈した朱熹の体系のみを絶対化した結果

「朱子が解釈した四書」以外の学問を異端視して排斥し、自分たちが権力を独占する結果ももたらした。朱子の解釈した「四書」を絶対視することにより、人間本性に基づく新たな解釈や見解を極端に嫌い、排斥していった。

身分制度を固定化して、自分たちの地位を守り、科挙試験に合格した知識を誇り、学問のない一般庶民を蔑視して、酷使した。

最終的には民心の指示を失い、王権自体の衰亡へ向かっていったのである。中国においては明の時代の末期が斯くの如くであった。また朝鮮でも朝鮮時代の末期には両班層の腐敗と堕落が進み、実質的に王権の権威が失墜し、また経済政策の無策と厳しい階級制度の結果産業や文化の発達が極端に制限され、国家の衰亡を招いた。

日本の場合は、朱子学が幕府の御用学問になって幕府の行政が朱子学的になったが、中国朝鮮のように科挙制度を取らなかったため、実際の行政には様々な思想や理念をもとにした実質的な行政が行われることが多かった。また中国、朝鮮のような極端な身分制度も取らなかったため、民心も良好であり、産業や商業の発達も見ることが出来た。

中国明朝の遺臣であった朱舜水が来日、水戸光圀がこれを受け入れ、それがもとで水戸学が構成されて行った。水戸学では四書に代わって尊王皇国が主要な趣旨となり、その後の明治維新やその後の日本の行政のありかたに影響を及ぼした。後醍醐天皇による建武の新政や楠木正成を忠臣として再評価したのも水戸光圀公であった。

これらは明治以降、行政の主権を握って行った軍部の行政手法に影響を与え、皇国を奉じながら思想弾圧で国策を遂行する手法が、敗戦を招く結果ともなった。


朱子学絶対化の結果がもたらした国力の低下

朱熹は四書を根拠とする膨大な学問体系を作って、ある面では学問研究を著しく進展させたかの如くであるが、その実彼の学問は行政権を独占した学者あるいは科挙試験にすべての価値を置いた学閥に国家の行政権を独占させる結果となり、実質的な発展や理を求めることよりも定められた学問的倫理観に縛られることにより、社会発展を阻害する結果を招いた。

経済や軍事は支配権力者の利益が優先される結果となったため、経済は脆弱、軍事は他国の侵略に無防備の結果となり、近世においては、欧米列強の進出を許した清朝や、朝鮮王朝の衰退と混乱をもたらす結果ともなった。

儒学を奉じた東洋三国が欧米列強の進出を許し西洋近代化の波から逃れられなかったのは固定化した朱子学的な行政の結果と見てもいいだろう。唯一日本だけがその傾向性が弱く様々な学問や西洋の文化を許容して取り入れる風土を持っていたために生き残ることが出来たとも言えるだろう。

 

今なお続く朱子学の弊害

朱子学が残した社会制度や、思考方式の弊害は、今なお続いている。

中国は四書を毛沢東語録に置き換え、共産党を絶対権力としてそれ以外の思想や権力を認めない独裁国家を形成してきた。かつて科挙試験を合格した役人の座に共産党が君臨して支配権を独占してきているわけである。

半島においては北朝鮮は四書の代わりに金日成の語録でもある主体思想を置き、金一族絶対権力化で金一族を神に代えた絶対権力国家として今の今まで続いてきてその限界を露呈しているのである。

南の韓国はどうであろうか、一応民主国家の形態はとりながらも、学問優先の風土は変わらない、有名大学を優秀な成績で合格し、現代の御用商人として強大化した財閥や国家権力を預かる役人になったものが権力をほしいままにする国家体制になってしまっている。自国が全てであるとして他を排斥する朱子学的性向は極端な反日思想となって外交的混乱を来して国家の行く道を阻んでいる。

今まさに統一家、家庭連合も同様の朱子学的弊害に浸食されている。教会権力を握った一部権力が、真のお父様を立て、今はそれが真のお母様の権威としながら、実は権力を独占して、一般会員の発言や行動を阻み教会権力に従わざるを得ない状況を作っている。個々人の自由な発想や自立を阻害して、権力の意向に絶対服従するもののみを重用して他を排斥する、自由な発想や行動を規制するため、創造性は発揮されず、教団の発展は完全に阻害され、脆弱化して行っている。

挙げればきりがないほどに、朱子学のもたらした弊害は大きい。

 

日本にも朱子学の弊害はあったことはあったけれども

日本がアジア三国の中で唯一西欧列強の進出を食い止め、東洋的精神伝統を守りながらも産業文化を発展させることが出来たのは、朱子学に対抗する陽明学を取り入れたことにあったとも言える。陽明学は「愛」を重要視した、また「致良知」や「至誠測達」の精神を尊重して個人の自発的発想や行動を促し、また行政においても身分にかかわらず公平な治世を行ってきた結果であろう。

 

朱子学の残した弊害からどのように脱却するかが今日の重要な課題となっていることは間違いなかろうと思う。

家庭連合における問題の解決もここにある。

 

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朱子学の持つ問題点・・・最大の問題は「愛」が欠けていること

2017-05-15 08:48:14 | 愛について

朝鮮朱子学や日本の朱子学

ここで朱子学と言うのは日本での表現である。もともとは南宋の政治家であり儒学者の朱熹がそれまでバラバラであった、四書(論語、孟子、大学、中庸)に独自の解釈 「性即理」の考えをもって解釈して学問体系としてまとめたものである。

朱熹が儒学の学問体系をまとめた功績は大きいが、その後彼のまとめた儒学の体系が国家の基本的な統治理念となってくると様々な弊害をもたらすようになってきた。

中国は宋が滅んで言が勃興し、その後漢族による明が王朝を建てて国土を支配した。その明が国教としたのが朱熹の儒学だった。科挙制度が実施され、そこで重視されたのが四書であった。(四書五経のうち四書を重視したのが朱熹であった)

その後中国大陸の中原には満州族による清が支配する時代となり、日清戦争以降、中華民国、さらには今の中国共産党による中華人民共和国となる。

朝鮮半島においては、高麗が滅亡して半島の支配権を握った「朝鮮」はそれまでの仏教を排して「儒学」を国教として統治するようになる。ここで用いられたのが朱熹の思想いわゆる朝鮮朱子学と呼ばれるものだった。朝鮮でも科挙制度が実施され、その学問が朱子だったため、朝鮮の行政権を握った言わゆる両班の学問となり、朱子学を学習した両班が政治の実権を握るようになると、その影響が極めて大きいものとなって行った。

日本には早くから主に禅宗の僧侶などを通して儒学の経典がもたらされ、最初は主に禅寺などで講されるところから始まっている。

 

朱子学の問題点は様々に評されているが、その中でも一番大きな問題点は「師観のブログ」でも指摘されているように、「愛」の欠如であろう。日本では朱子学に対抗するように王陽明の思想の「陽明学」が取り上げられるが、やはり一番大きな違いはここにあるとHOPEは思っている。

朱子学の欠点は、まず「王権の尊重」から始まり、その思想が「理」を重んじるところから政治体制の固定化が進むこと、額を重んじるあまり学問を習得した人間に権力が集中する弊害、また理を重んじるところから。個々人の自主的な判断や思考が無視される傾向があると言うことである。

結局朱子学的統治が進むことにより、現実的な経済や庶民の生活が無視されれる傾向が生じ、学問的には朱子学が絶対化され、他の学問や思想の勃興を否定することにより、発展性が極端に阻害される結果がもたらされる傾向が強い。

この結果は、「明」が結局のところは支配権の硬直化により、最後は滅亡し、朝鮮も近代化が阻害されるというけっけをもたらしている。

日本の朱子学も江戸時代幕府の後任の学問となり、その他の学問を異端視し弾圧まで加えられるようになり、それが江戸時代の近代化を遅らす原因となって行った。幸い日本の場合は王陽明の思想などがある程度陰では認められていたため、それらが、その後の近代化に寄与している。

この問題はさらに多くの問題を孕んでいると思われるので引き続き記述を続けて行く。

(続く)

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