HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

ひとこと・・個々人が主体性と自主性をもってする時に無限の発展と希望を見ることが出来る

2018-04-09 22:39:04 | 新しい希望に向けて!

雪風さんが纏めてくれている「金容成のブログに引用されたお父様のみ言から読み解く”真実”」シリーズが好評で、皆さんから、とてもよくまとまっていて、わかり易いとの評をいただいています。雪風さんにお聞きしたら、これからが本編と言うことで、続きが待ち遠しいところです。

”真実”がわかって来てみると、「ああなるほど!」と、思うことが多々あるものである。

今日統一家は、抜き差しならぬほどの混乱状態と言っていいと思うが、それではなぜこのような混乱状態に陥ったのか!様々な要因があると思うが、その要因の一つが食口の主体性のなさにあるのではと思う。

混乱を引き超すのは様々な要因が重なって起こるものである。どこかの誰かの特定の人物に責任をおっかぶせるようなものではないと思う。

その混乱の要因を一つ一つ明らかにしていってこそ、問題解決の道が開かれて行くと信じる。

その要因の一つとして食口の主体性のなさと言うことを上げたが、そのことはHJNが「主人意識を持て!」と言われて来たこととも相通じると思う。

いわゆる「展示会」なるものでは、食口たちは「タワー長」なるものに逐一報告をして、その指示のままに発言したり行動する姿を見て、HJNが驚かれたという話を聞いたことがある。そういう中でHJNが食口に語られたのが「主人意識を持て!」と言うことだった。

かねがね「天国とはいかなる世界か?」と考えたが、天国とは個々人がそれぞれの能力や個性を最大限に発揮する社会であると言うことが出来る。

個々の人間それぞれが、「神の子」なのである。見えざる神の見えざる命令に従って、個々人が自主自立して主体的に行動して、それがすべて調和し、また喜びを創り出す。そういう世界が天国と言うのではなかろうか!

共産主義社会や、独裁者が支配する社会では、個々の人間が自分自ら発想するとか行動すると言うことは考えられない。共産党から与えられた模範解答があって、そのごとくに応えなければつまはじきに会うのである。

これでは発展はあり得ない。独裁国家はすぐに経済も社会も発展が阻害されて、貧困と抑圧に苦しむようになっているのである。

中国も共産党ではあるが鄧小平が、経済の自由化を実現して、そこから急速に経済発展を遂げて来た。経済が豊かにさえなれば「いい政権」なので、国民もついてくる。しかし経済制作に失敗すれば、国民は口には出さずとも、政治体制に根本的な疑念を抱くようになる。

国民の目や口や耳を封じての独裁国家は、必ず行き詰って、いずれ崩壊して行かざるを得ないのは、人類歴史の決まったパターンでもある。

人間は基本的に無限の能力と可能性を秘めている。その能力をいかに発揮させることが出来るかが指導者の資質となる。

ある人がお父様はあまりにも能力がありすぎて、何でも自分でやってしまわれた、それだから有能な指導者や経営者が育たなかった。と言っていた。ある面当たっているのかもしれない。お父様は、かつて食口たちに「第二のレバレント・ムーンになれ!」「第二のメシアになれ!」と指導されていた。そのごとくに食口たちがあらゆる分野で第一人者になって行っていたならば、天国実現はとうの昔に実現していたかもしれない。

今の時代、我々に必要なのは「主人意識」であり、個々人の自主性と主体性である。そしてそういう食口が協力し合い、強調しあって行けば百人力、千人力、万人力にもなって行く!

企業でも、今の時代は強力なワンマン経営者がいる会社ではなく、個々の社員が自主性、主体性をもって、活発なアイデアや企画を練って行動する企業が発展して行っている。

そもそも人間には無限の能力が備わっているのである。

今後FPAが発展して行くにも同様なことが言えるだろう。一見個々人の能力は微々たるもののように思えても、それが合わされば無限の能力になり、無限の発展の可能性がそこから出てくるのである。

そういう意識をもって取り組んでいけば、神様が無限の力を与えてくれて、限りない発展と希望が訪れるのは間違いないであろう!


国際政治の動向をはじめ政治・経済など現実世界の動きを常に把握して行く

2018-03-21 01:11:58 | 新しい希望に向けて!

 

本当の意味での宗教家は、単純に宗教的な活動だけに目を向けていればいいのではない。現実世界の様々な状況の推移にも関心を持ち、本来は宗教活動であるが、関連するあらゆる活動を通して、健全な社会の仕組みや、現実社会の動向がよりよく進むように支援をしたり提言をしたりすることが求められている。

 

文鮮明先生はその生涯の歩みの中で、政治や経済に直接かかわる歩みを数多く為されてきた。時には、果たして文先生は何者だろうか?と疑問に思うほどに様々な政治、経済、文化、スポーツをはじめあらゆる活動に関与して来られた。

それは人類の救済という最大の偉業が、単純に宗教活動のみによって実現されるものではないと言うことを誰よりもよく理解していたからに他ならないだろう。

 

だから、我々祝福家庭も単純に祝福によって血統転換されたというある面宗教的な価値だけで家庭連合やそのた、教会組織に所属するのではなく、現実世界のあらゆる面で、「より善き幸福の世界」すなわち、地上・天上天国の実現という偉業の達成に向けて歩んでいくことが重要となって行くのである。

 

とりわけ政治の動向には深い関心を持つ必要があろう。それは、今日世界的な民主主義時代を迎えて、国家社会をリードする代表者の決定が、多数決の原理によってなされるという現実の要請からして明らかである。

政治権力を誰に委ねるのかという選択において間違えば、とんでもない結果が我々を襲ってくるのである。とりわけ無神論思想に根差した共産党や社会主義政党などは、国民多数の幸せや平和のためではなく、自分達の政権奪取やその維持のために民心を扇動したり一方的な世論を形成することを必要悪だとして実行してきているからである。

よくわかる実例が近隣の共産主義政党による独裁体制国家の議会なるものの姿を見ればそれがよくわかる。

立てられた国家指導者の主張を全面的に受け入れて賛美し、それに誰も異論を差し挟むものがない。その決定が如何に非論理的、非倫理的なものであっても、誰も表立って反対しない。また反対できない社会となっているのである。そういう国家においては、表向きの建前は別として、国家指導者に対する批判や、それが建設的と思われる意見でさえも無視され、否定され、排除されるのである。

だからよく言われてきた「いったん共産主義社会になれば、逆戻りできない」、長い長い年月を抑圧や搾取、人権蹂躙がおこなれて来ても常に無視され、否定され続けるのである。

 

一旦、無神論、唯物論的に人物や政党にその政権を任してしまえば、もはや本来的な人権や平和、幸福を取り戻すことは極めて困難な状況にならざるを得ないのである。そのことが、現実の我々の住む東アジアの状況にも深刻な分断や対立の状況を作り上げてしまっているのである。一見どこにも解決の道が無いような深刻な迷路に陥ってるかの如くである。

但し、事の事態の原因を正しく把握して、賢明なリーダーが現れることと、そのようなリーダーを支持し、国や社会を変革して行くことを幅広く支援して行くような賢明な人々があれば、それがはじめて問題解決の道を見出す具体的な方策を打ち出すことが出来る道となるのです。

自己の欲心や、自分だけの生活に執着しているものは的確な判断をすることが出来ない。民主主義の社会では国民自らが、賢明な思考と行動が出来るような学習と努力が求められているのである。

歴史や政治に積極的な関心を持ち、自分自身が正しい人格性を身に着けるたゆまぬ努力が民主主義の時代の国や社会をより喜びと幸福の時代へと導く主人となさしめるのです。

 


コリントⅠ13章

2018-03-18 18:54:27 | 新しい希望に向けて!

あらためて、コリントⅠ13章のみ言をかみ締めよう!

コリント人への第1の手紙 第13章 

たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい)たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち)と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

 

実に味わい深いみ言である。旧新約聖書のすべてのみ言を集約しているといっても過言ではないだろう!

結局聖書の教えの根本は「愛」である。 愛がすべてであると言ってもいいだろう。

私たちの人生も、愛がすべてではないだろうか! 愛に生まれ!愛に生き!愛に死す! まさしく愛の人生こそが人生そのものであると言えよう。  文鮮明先生が教えた教えの核心もまさにその「愛」に他ならない!

愛の人生 いかに愛を持って生きるか! 日々の生活の中で以下に愛を実感する生活を味わえるか!そこ人生のすべてがかかっている。

翻って、人生の不幸とは何か!人生の不幸とは「愛」を知らないで生きることである。愛を失い、愛から遠ざかり、愛を否定して生きる人生こそ悲劇の人生に他ならない。

人々の幸福を願うのではなく、自らの恨みと憎しみを先立て、人々に悲しみや対立や分裂をもたらすのは人生の不幸である。愛を失ったときにすべてがそのようになってしまうのである。

愛を感じる人生を生きよう。与えられることよりも与えることを願って、人から愛されることよりも人を愛することを願って生きよう。

豊かな情操を育てるのは家庭だと言った。その家庭が憎しみや恨みの舞台となってはならない。家族深い紐帯が、限りなく豊かな情操を育むよき家庭を求めて行かなければならない。愛の実践生活こそが家庭生活の基本とならなければならないのだ!

 


愛情の育て方 日々の生活の在り方を考える

2018-03-16 01:06:22 | 新しい希望に向けて!

 愛情の育て方 日々の生活の在り方を考える

家庭崩壊の話をしたが、家庭崩壊を防ぐにはどうしたらいいのだろうかと考える。もちろん、夫あるいは妻の浮気などといったことは好ましいことではないのであるが、実際自ら好んで浮気する男女もあるまいと思う。やはり根本は、男女ともに、深い愛情やお互いの愛の絆を強めて行く努力が何より大切である。

それではそのためにはどうするのか?これには幼いころからの心情の育て方が一番大きな課題となってくる。

 父母の愛をふんだんに受けて、しかも固い絆を結ぶ秩序や規範の在り方を熟知するような親の教えや指導、愛情あふれる育て方が問題になってくる。育児に関しては様々な指導書や教育学があるので、それらを参考にすればいいと思うのだが、そういう中で、特に現代になって欠けてしまい易いのが、心情教育であり、さらには善悪をきちんと判断できる生き方を身に着けさせることである。

神様を自然に実感して行けるように

そこで課題になってくるのが、宇宙の根本にあられる神様の存在と、その神様への感謝やそこに依拠する心情の育て方になってくるのである。

現代教育では、とかく宗教的教育が教育現場からは排除される傾向性がある。イスラーム世界やあるいは仏教国などでは、国を挙げての宗教教育が盛んなわけだが、とかく西欧のキリスト教世界では、政教分離が進んで、学校教育などでの宗教教育がされなくなってしまっている傾向性が強い。家庭で宗教教育がなされればいいけれども、そうでなければ、教育現場が無神論的、唯物論的にななりやすい傾向性を孕んでいるのが現実である。

日本などでも、学校での宗教教育はほとんどなされないし、各家庭でも特に何らかの宗教団体に属するなどして、あるいは自宅に仏壇や神棚などがあって、日常的に宗教的な環境に接する家庭や、子供たちの環境があればいいが、特に核家族化が進行する中で、普遍的価値を顕すようなものが無い家庭は、子供たちに心情の豊かさを育てることが非常に難しくなってきていると言えよう。
 人間が単なる動物ではないこと、あるいは自然の中に無限の恩恵や祝福の有ることなどを身をもって体験させられるような指導を子供たちにできるかどうかが重要になってくる。

特にこれからの時代は世界の人たちが様々に交流し、往来する時代になってきているので、宗派性の強い宗教は嫌われる傾向が強くなってきている。もっと自然の中で子供たちを育てながら、日常生活の積み重ねの中で、子供たちが宇宙の始原や、人類の歴史などの興味や関心を持つように育てて行くことも大切では無かろうかと思う。だから、我々にはより良い生活のアドバイスや、育児や家庭生活のヒントをもらうような教材や資料が求められてきているのではと思う。

愛の心情を育てる
あるいは自然な交わりの中で、自然に愛情を育てられるような生き方を学ぶ場もほしくなってくる。
そいう言う意味では、これからの時代は、より充実した家庭生活を送る上でのヒントや知恵を、自然に学べるような出版物や動画などの資料が求められる時代になってきている。あるいは人と人との対話や交流の中にヒントや知恵が生まれてくると言うこともあり、日常的な交流の場が求められてもいるのではないでしょうか。そういったときにちょっとヒントになるような・・一品のような情報も価値があるように思われる。
それともう一つ。これからの時代は特別に誰か力のある人がいて、その人の導きに従うというよりは、この社会を構成する一人一人が、神から生かされている実在であることを自覚して、天性の個性や能力を発揮していく時代ではなかろうかと思う。勿論強力なリーダーは必要だが、個々の個人や家庭が能力を最大限発揮してこそ、社会は発展して行くのである。人間存在が、細胞の一つ一つが活性化してこそ、人間存在として最高の能力を発揮できるようになるのと同じである。
今の時代は個々の人間力や家庭力を高める時代だと思う。言葉を変えれば愛情を豊かに持つ家族で構成された家庭があって、その家庭同士が緊密な連携を取ることのできる社会が出来れば、この地上に無数に存在する矛盾や葛藤や差別、抑圧といった類のものは一掃されて行くのではなかろうかと思ってみたりもする。

とにもかくにも我々は神を中心に心豊かな人間となる努力を日々の家庭生活や、隣人との交わりの中で実現して行くことが真に人間らしい豊かな社会を作り上げて行く第一歩となるに違いない。世の中のことに広く関心を持つ人間となることも大切だろう。

 

 

 


妻の浮気の誘因は家庭を顧みない夫の側にも責任が

2018-03-13 17:23:49 | 新しい希望に向けて!

 妻の浮気の誘因は

家庭崩壊の原因で一番大きいのが妻の浮気だとしましたが、そういう妻が浮気に走る誘因は夫の側にもあります。仕事一途で、妻や家族を蔑ろにしたり、家族サービスをしていなかったり。どちらかといえば企業戦士タイプにこういう夫が多いようです。

一生懸命「家族のため」と思いながら働いて来たけれど、夫の帰りを待ちわびる妻や子供の気持ちを省みることが少なくなれば、当然妻や子供たちは寂しさを感じます。そういう時に優しい声をかけてくれる誰かがいたら、男女の特別な関係に至らないまでも夫との関係は疎遠になったり、夫に疑われたりと言うことが起こってきます。親やそのほかの大家族がいればそう言うことも起きにくいのですが、核家族や、夫があまりにも妻を等閑にしているとそういったことが浮気の要因になったりしてしまいます。

 家庭崩壊を解消する地道な活動

家庭崩壊の原因追及やその問題の解決にはあまり世の中も熱心ではないようです。これまでどちらかというと、こういった問題は宗教や倫理・道徳団体が取り扱ってきましたが、どちらかといえば宗教団体は個人救済的なところが多く、倫理・道徳団体も幅広い社会の要請にこたえるところまでは言っていないようです。しかも政治や行政では扱いにくい問題とされて来たので尚更です。

これからの時代は幅広く、これらの問題に解決の道を見出す、研究や運動、普及といったことが重要になってくるのではないでしょうか!特に実践的な面で広く社会に貢献できるようなクリアーな運動主体が求められれいます。政治的立場や宗教・思想的立場を越えて、広く国民や市民にしじされる地道な草の根運動的な取り組みが大切だと思います。