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摂理的葛藤の“真実”を読み解くために 1.孝進氏の事

2018-06-06 02:00:53 | "真実”シリーズについて

 摂理的葛藤の“真実”を読み解くために

天宙的葛藤が引き起こされ今もその混乱が続く状況の中で、この問題を解決して為には、あらゆる事実を検証しながらその問題点や原因を明らかにしていかなければなりません。金容成のブログに引用されたお父様のみ言から読み解く“真実”の記事を纏めてくれた雪風さんからさらに事の本質を明らかにしていく記事を送っていただきました。初めに孝進様に関することから始まっています。祝福家庭としては出来れば避けて通りたいこともあるかもしれませんが、明らかな事実を根拠としてこそ真実を明らかにしてくことが出来ることを考えると雪風さんが取り上げるテーマは極めて重要な意味を持つと思われます。これまでの雪風さんの記事に引き続きお読みいただけるようお願いいたします。(HOPE)

 

 

孝進氏の事

摂理的葛藤を語るとき、孝進氏を抜きに語れないという思いになってきました。

雪風

 孝進氏の妻であった洪蘭淑氏の著書からの引用です。

 後継者の指名と育成に失敗したことは、文氏の死後、家庭内で血が流れることを確実にするだけである。息子たちはすでに、彼のビジネス帝国の支配をめぐる闘いにはまりこんでいる。統一教会自体が容易に手に入るようになった時、闘争は激化する一方だろう。

指導者の地位はもちろん自然に長男にいくはずだ。しかし孝進の絶えざるアルコールとドラッグ問題のために、弟たちはすでにその地位に向かって競争を始めている。女性ゆえに父親の跡を継ぐチャンスのない仁進でさえ、孝進の立候補資格を守ろうと必死になっている。彼女ははるか以前に自分の運命を彼と結び付けた。もし彼(孝進氏)が没落すれば、彼女と夫の朴珍成も一緒に没落する。

わが父文鮮明の正体(洪蘭淑氏著)エピローグより

 

想像力をかきたてる文章です。特に仁進氏のことが気になります。この本でも仁進氏がたびたび出てきます。時系列を見ると、孝進氏が聖和してからすぐに亨進氏が総会長になった。孝進氏の聖和が競争の始まりの合図だったのでしょう。この本は、韓国では出版されていないようです。されていれば金容成氏は、この本を参考にしたと思います。

 

当時の時系列です。洪蘭淑氏が去った後1997年まで離婚裁判が行われた。それが世間に知られるのは時間の問題であり、早急に対策をたてる必要があったはずです。それが清平特別修練会だったような気がします。

1994  5 家庭連合創立 家庭連合以前は宗教時代 以後は超宗教時代 家庭盟誓発表

   11 文鮮明師、孝進氏の問題を初めて知る

1995 1清平特別修練会始まる

1洪蘭淑脱出を決意する

2月、文国進理事長はセイロ(Saeilo Inc.)を設立し、ワンナップから500万ドルの投資を受け、銃器製作事業(KAHR)を始めた。UCIは、大学を出たばかりで、能力も検証されていない20代半ばの青年に「父とは無関係に」500万ドルも投資した。

   8月 洪蘭淑脱出

1996  2.24日本人を対象にした清平修練会始まる

1997 12 通貨危機発生

 

孝進氏の時系列ですウイキペディアからコピーしましたが、ほとんどが 洪蘭淑氏の本からです。

この本によれば、この時点ですでにお母さまは家庭内の実権を握っていたようです。

 

19621229- 韓国で誕生。リトルエンジェルス芸術学院に入学。ニューヨーク州タリータウンのハックリー校 (Hackley School) に入学。空気銃を学校に持参し、数名の同級生を撃ったことでハックリー校を退学となる。父、文鮮明の側近、朴普煕とバージニア州マクリーン (McLean) で暮す。

この時、サムエル氏と会い、秘密を知ったのかもしれない

19731218- 他の兄弟たちとともにアメリカに移住した。

1981

11- 父文鮮明が当時15歳の洪蘭淑を結婚相手に選んだ。

12- 単身韓国を訪れ、洪蘭淑に会って婚前交渉した。

1982

17日アメリカで洪蘭淑と結婚し、当初ニューヨークのウエストチェスター郡のアービントン (Irvington) にある文鮮明一族の邸宅(通称イーストガーデン)で、妹、仁進(インジン)の家族らと同居した。父、鮮明の個人的な補佐、ピーター・キムを伴い新婚旅行に出かけ、フロリダ州、ディズニーランド、ラスベガスを訪れた。孝進氏は、別れ話を切り出し、蘭淑との結婚は望まなかったが両親を喜ばせるためだけ結婚したこと、韓国にいるガールフレンドをあきらめるつもりはないことなどを告げ、韓国のソウルへ旅立った。韓国から帰国し「結婚祝いのお金でガールフレンドをアメリカに呼び寄せ、マンハッタンに二人で暮らすアパートを借り、両親にそのガールフレンドと結婚するつもりである」旨を告げた。母、韓鶴子が孝進のガールフレンドと話し合い、手切れ金とカリフォルニア州行きの航空券を渡し、手を打った。孝進氏韓国から帰国。

1983

3- 長女が誕生。

1985

「大学原理研究会」の世界会長に就任。統一教会/統一協会所有の録音施設、「マンハッタン・センター」(マンハッタン・スタジオ)の製作・経営の責任者となった。

1987

 マンハッタン・スタジオでレコーディングを始めた。

1988

 統一教会の信者の前で、ワシントンに行った後ドラッグ(麻薬)に関わるようになったこと、高校時代、酒を飲んでいたこと、多くの女性とつきあっていたこと、肉体関係を持ち、結婚を考えていた女性がいたこと、父親に対する良心の呵責から自殺を考えていたことなどを告白。

1993- コカインを常用するようになった。

1994

2- 父親からマンハッタン・センターのプロジェクト資金として40万ドル(当時のレートで約4千万円)もらった。

11- 5子、次男が誕生した。

1995

4- マンハッタン・センターの社員らが父、鮮明に孝進の復職に抗議する手紙を送った。

88- 当時の妻の洪蘭淑が5人の子供を連れて文家から脱出。蘭淑からマサチューセッツ検認裁判所に離婚と養育費の支払いを求め提訴された。フロリダ州ウェストパームビーチのヘイゼルトン・クリニック、カリフォルニア州のベティ・フォード・クリニックで麻薬中毒治療を受けた。

1025- マサチューセッツ検認裁判所から毎月養育費を支払うよう命じられた。

11- 子供たちとの面会が可能かを確認するために蘭淑が雇ったソーシャルワーカーと面接した。

12- 子供たちとの接触禁止命令に背き、子供たちにクリスマスプレゼントを贈った。

1996

2- 子供たちとの面会が可能かを確認するために再びソーシャルワーカーと面接した。

4- ソーシャルワーカーから子供たちとの監督付き面会の許可が出た。蘭淑の裁判費用の支払いを求めた裁判所の命令に背いたため、マサチューセッツ州刑務所に収監された。ニューヨークで正式に破産手続きを行い3か月後に釈放された。

1997

12- 裁判所が蘭淑との離婚を認めた。

1998

920- 元妻、蘭淑がアメリカのCBSのドキュメンタリーテレビ番組“60 Minutes”で文鮮明一家の偽善性を告発した。 

1013日『タイム』誌に文一族を告発したインタビュー記事が掲載された。『わが父文鮮明の正体』の発売に先立ち、『文藝春秋』11月号で「文鮮明聖家族の仮面を剥ぐ」と題してその一部が掲載された。

1125- 蘭淑の告発手記“In The Shadow of Moon”(『わが父文鮮明の正体』)がアメリカと日本で出版される。

2005

36-329- 日本7か所でコンサートツアー「HJ Moon Concert 2005」(主催・真の家庭運動推進協議会)。

2007

324-47- 日本5か都市コンサートツアー(福岡大会、高松大会、大阪大会、名古屋大会、関東大会)。

2008

39日午前7- アメリカの教団施設(ベルベディア邸)において、「コミットメント(誓約)」と題した説教をした。

317日午前943- 韓国のソウル特別市龍山区漢南洞(ハンナムドン)において心筋梗塞により死亡した。

319- 2,100人が参列し韓国・天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で世界昇華式が行われた。

 



再び洪蘭淑氏の著書からの引用です。

 最近、この問題について話すとき、文師は自分が昇天したあと「真のお母様」が統治するだろうと暗示している。韓鶴子が統一教会の舵取りの位置で、象徴的な役割以上のものを果たせるとか、また果たす意志があるとか本気で信じている人は、教会にはいない。

「イーストガーデン」を離れる一か月前、私と文夫人は統一教会の将来について話し合った。私は指揮権を孝進には渡さないように強く主張した。名目上の宗教団体を率いるのに彼ほど不安定な人間を想像することはできない。彼女はいやいやながら認めた。文鮮明は統一教会の指導をほかの息子のひとりに任せなければならないだろう。その可能性が彼女を悲しませるのは分かっていた。最初の子供が女の子だったあと、孝進の誕生は「真のお母様」としての彼女の地位を確実にした。彼女の運命と彼(孝進氏)の運命はひとつに結ばれているように見えた

わが父文鮮明の正体エピローグより


読み解かれた”真実”から見えて来るものとこれからの課題

2018-06-06 00:34:54 | "真実”シリーズについて

 金容成のブログから読み解く”真実”から見えてくるものとこれからの課題

 HOPEより

 

雪風さんが纏めてくれた 「金容成のブログから読み解く”真実”」シリーズが、Ⅱのシリーズも含めて一段落しました。このシリーズの掲載で見えてきたものがあります。そうして今後の課題も明らかになってきました。 

 

父子協助時代を通して顯進様に使命を継承して行こうとされていたお父様

お父様の生涯の願いとは何だったかといえば、それは平和理想世界(神様の創造理想の世界)の実現ということだったと思います。それらのことは平和メッセージに明らかになっています。すなわち三代圏家庭理想の実現を通して世界平和の実現をはかっていこうというものでした。

そのお父様の理想実現の計画は着々と理想に向かって進んでいました。子女様の家庭の祝福からお孫様の祝福が進んでいっていました。

 

1998年になると、お父様は文顕進様を世界平和統一家庭連合の世界副会長に就任させられ、二世圏のリーダーを顕進様のもとに従うようにされながら様々な権限の委譲を始められ、順調に使命の継承が行われていくものと思われていました。

 

2000年代に入るとお父様は「父子協助時代」ということをしきりに語られるようになり、摂理的長子からお孫様の祝福を通して三代圏家庭理想の実現を現実のものとしていかれるようになっていたのです。

 

教権勢力の反逆

ところがこれらのお父様から顕進様への使命継承に水を差すような出来事が起こってくるようになってきました。まず起こってきたのが郭先生攻撃でした。のちにお父様が全羅道の輩と言われて叱責されたのが、円羅南道出身者を中心としての(中心には金孝律氏)による不法な郭先生への攻撃でした。当時韓国の通貨危機に際してIMFが介入して、韓国の財閥に対して不正蓄財などがないか査察調査が行われていました。これに乗じて一部全羅南道出身の幹部たちによって、郭先生に対する内部告発が起こってきたのです。実際に査察がおこなわれましたが、郭先生には一切そのような事実のないことが明らかになったのです。そこでこの時はお父様はこのような画策をした全羅南道出身の幹部たちをして「全羅南道の輩」と激しく叱責をされたのです。

 

その後顕進様が世界巡廻をされる最中で一部幹部の不正(不正な蓄財など)が明らかになり、それらの問題を指摘された顕進様に対して、ある幹部が顕進様を讒訴するということも起こってきました。そうこうするうちに顕進様の世界巡廻への非協力や、顕進様の活動に関してお父様への偽りの報告、アメリカ会長人事などへの不当な介入などが繰り返されるようになってきました。

汝矣島裁判やUCI裁判もその一例でしょう。

 

このように顕進様の世界的活動への妨害やお父様への不正な(偽りの)報告が目立つようになって来たのが、特にお父様の乗られていたヘリコプターの墜落事故でお父様が入院を余儀なくされていたころを境に特に激しくなっていきました。そうして顕進様への活動の妨害にほかの子女様(四男、七男ほか)や、お母様まで加わるようになってくるようになっていったのです。

 

お母様の問題

金容成氏のブログに引用されたお父様のみ言を見ると、この間、お父様のお母さまに対する叱責のみ言葉が多くなってくるようになってきました。

顕進様への様々な妨害にお母様まで加わるようになってきたのです。

 

このころ、お父様の指示さえも無視される状態になっていきました。(特にヘリコプター事故後顕著に・・・)

 七男の亨進様の世界会長就任とお父様を無視した米国人事(顕進様と仁進様に対する)

お父様が語られているみ言と、当時の幹部による教会発表の現実との乖離が目立つようになっていきます。

 

 

束草偽霊界メッセージ事件とお父様による顕進様解任

そのピークが束草(偽 霊界メッセージ)事件でした。

この束草の研修院には500余名の教会幹部が集められていました。その場で、お父様はいくつかの理由を挙げられて、顕進様を叱責され、顕進様のあらゆる職責をはく奪する決定を下されました。

その時、お父様が顕進様解任の理由とされた内容を見ると悉く偽りに満ち満ちたものでした。

  

それは、それまで顕進様に関してお父様への偽りの報告が行われ続けていたことが明白にわかる内容でした。それでは、それは誰が?どのような目的でお父様に顕進様に関する偽りの報告を続けていたのでしょうか?

その時、霊界の孝進様からの霊界メッセ―ジとされるものが読み上げられました。しかしこの「霊界メッセージ」はだれが書いたのか不明です。

  お父様はそのまま信じておられた可のごとく語られた発言が残っています。

それは、梁会長が書いたのか?  金孝南訓母なのか?  その後、梁会長も、金孝南訓母も自らが書いたことは否定しています。それではこの霊界メッセージはいつだれの指示あるいは霊界からのメッセージとして記録されたのでしょうか?明らかになっていません。

 

 

その後の梁会長や金孝律氏の発言・・・ 

お父様による直接の解任とその後のお父様による「顕進のところに行くな!」との発言?

を根拠に顕進様と顕進様を支持する者たちの排除が進むようになって行きました。

 

 

・真のお父様の聖和

 聖和とその後の聖和式前後の顛末  ・・・お父様の聖和式後徹底した顕進様排除が行われていくようになっていきました。

 お父様の聖和の前後の内実もだんだん事実が明らかになってきています。聖和式が終わってからのちは、後継者とみなされていた七男や四男も追放されてアメリカに移り住むようになっていきました。

 今日、家庭連合ではお母さまを押し立てて、お父様とお母さま一体論を根拠にお母様に絶対服従の体制を確立していっています。また、三男顕進様を支持するグループおよび七男亨進様を中心とした教会を分派として、教会員が離れないように組織強化が進められているのが現状です。

  

お父様と麗水で最後の時を過ごした神山威元会長が顕進様を支持する声明を出すと、その行動や集会参加への妨害が強化 ネット上のブログ記事などへの妨害も行われるようになってきました。

 

お母様の「独生女」論 

そういう中でお母さまによる「独生女」論が台頭してきました。さらにこの「独生女

論は、お母様の無原罪誕生論にまで進んでいき、さらにはお母さまは無原罪で生まれた、お父様原罪あって、お父様は16歳のイエス様との出会いを通してあるいはお母様との出会いを通して原罪を清算されていったというような主張がお母様からされるようになっていきました。

 

さらに今ではSC(四男、七男派)によるお母さま攻撃が激しさを増し。お父様と姜賢実先生との祝福や銃を持った独自の祝福式も行われるようになっていっています。

 

 これからの課題

金容成のブログから読み解く”真実”から次のことが課題として浮かんできました。 

①一連の混乱(天宙的葛藤)はなぜ引き起こされたのか?・・・その原因と動機は何か?

②側近幹部たちに見る反逆の事実とその原因、動機となったものは何か?

③この混乱に一番大きくかかわってこられたのがお母様ということが明らかになってきました。それではお母様の行動の動機とその原因は何だったのでしょうか?またお母さまにかかわった人物たちにはどのような人々がいてどのような影響を与えていったのでしょうか?

④子女様たちの動向も気になります。7男さんや四男さん、それに仁進様などの動向も気になります。

⑤お父様の判断や決定に見る不思議?

 もともと顕進様を立てようとされたお父様だったのになぜその後顕進様を解任、さらには排除するようなみ言を語られているのでしょうか?  事実はどうなのでしょうか?お父様の真意は何だったのでしょうか?

あるいはもっと背後に何かがあるのでしょうか?あったのでしょうか?

 ⑥盲目的に従う食口たち

一連の様々な混乱を見てきたはずの食口のうち多くは家庭連合に今なお所属し、教会組織に付き従っています。食口たちはその過程に生じてきた様々な矛盾に気づかなかったのでしょうか?

 それは食口たちの行動様式からくることなのか?あるいは矛盾から脱却できない現実があるのか? 何故なのか?  どうすれば克服できるのでしょうか!

 

 我々はどのようになすべきなのか

我々はどのように受け止め行動しなければならないののでしょうか?

まずは事態を現実的に受け止めることが大切だと思います。そして引き起こされた事実の背後にある、善と悪を見抜いていく必要があります。そのほかにも克服すべき課題は数多くあります。

 

 進んでいく顕進様を中心とした摂理の動向について

 南北統一に向けてのAKUの歩みや天の伝統の相続の問題、 家庭再建運動や 世界平和の実現に向かっての諸活動などを取りまとめて行きたいと思っています。

 

今後の展開について雪風さんと

雪風さんからはその後も”真実”の解明に向けての記事をいただいています。引き続き背k際させていただきます。

”真実”を追求する過程の中で避けて通れない事実が数多く明らかになって行きます。時には見聞きしたくないような内容もあるかもしれません。しかし、現実から我々が離脱したら摂理を見失ってしまいます。ですから、できれば伏せておきたいような内容も含めて、”真実”を追求する作業を進めて行きたいと雪風さんとも話しています。

今後は雪風さんの記事に加えてHOPEの感想や協力してくれている皆さんの意見も交えながらブログを書いてい行きたいと思っています。これからも応援よろしくお願いいたします。